言葉と表現と射影のブログ

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zoom RSS ALSO SPRACH OWLCAT ふくろねこー、かく語り き  五月  本多敬

<<   作成日時 : 2012/05/03 10:17   >>

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1、ドストフェスキー小説の独白は、精神の自立した構成に属する。しかし、それは、カーニバル的対話との異化的接触からの影響で、純粋且つ原初的な力を失ってしまう。ショスターコーヴィッチはこのことをよく知っていただろう。ドストフェスキーとスターリンの間にある憂鬱な亀裂を考えたかもしれない

2、「若い芸術家の肖像」のスティーブンは、意識の流れの中心点である前に、知識人である。彼は権威的政治を批判する普遍主義的主体である。ちなみに、知識人とはどんな問題にも介入する特権を持つ者をいう。ジョイスはこのような知識人とは言い難いが、彼の拵えた小説の人物、スティーブンは知識人だ


3、知識人はどんな問題にも介入する特権を持つ。近代以降の西欧では、そんな<語りの特権>を持つ者は哲学者だけだ。日本の哲学者は皆専門家で、西欧からみれば、知識人ではない。日本における哲学者の不在が、文学者に、又は文学的批評家に、知識人の役割を担わせるのかもしれないと子安氏は指摘する


ことばで描く画家とは?
quelque chose qui n'est d'aucun âge, et qui nous vient d'un éternal futur, ou fuit vers lui

報道機関の経営者が取材対象である東電に入るのは自殺行為である。自由報道協会の公正な報道を求めてきたフリージャーナリスト達の中には昨年、深刻なアイデンティティー危機が陥る者が沢山いただろう。江川紹子が重要な理由は、「取材は一対一で」という自己定義と共に思考を始めようとしているからだ

「ニュースが分らない」が分らない。三原則の緩和であれODAであれ、武器輸出を間違いと読者が判断するのは憲法に照らしてなのだ。解説者のホ先生、即ち朝日新聞の記者のように、野田首相の言葉から受け身的に考えるわけではない。憲法第九条の言及が一言も無い、朝日新聞の「ニュースがわからない」

今日緊急を要する問題といえば、交換価値をめぐる正義の問題だ。が、東氏の憲法試案は同一労働同一賃金の意義に言及せず、天皇を尊重せよ!の掛声だけだ。結局この試案は、多義的<使用価値>の領域を神聖化した、記号論的消費論の偽装といえよう。旧左翼の交換価値的正義の抵抗を囲い込もうとしている

今日私達がバラバラになっている原因の一つに、交換価値的正義が崩壊している現実がある。東氏は「左右大連合」と呼びかけるならば、なぜ彼の憲法試案に同一労働同一賃金の言及がないのか?天皇を尊重せよだけだ。昔の記号論的消費論も交換価値的正義を排除的に囲い込みこれを消去して満足していたのだ

"政財官マ大"の原発的一体構造の恐怖と民主主義的理性は両立しない。民主主義の理性を必要とするのは<現在>である。だから、「段階的に十年」と説得してくる数字に警戒しよう。微調整を好むネオリベ的価値観の影がちらつくが、脱原発は商談にあらず。「五十年で脱原発」ならばそんな「脱」は無意味


17世紀英国では、国王(チャールズ一世)と議会派(クロムウエル)の間に対立が起き市民革命が勃発した。現在なら、この対立軸は、国際ブルジョア連合軍(多国籍企業・大銀行・経団連)と、TPP反対の民衆軍(中小企業と農業と消費者)との対立軸だろう。非正規雇用者達は自らを代表できないでいる

ヴィクトリア朝ブルジョア作家は妻にタイプライターを打たせた。オーウェルがそう。作家と妻の従属関係は、政治家と彼を正しい人、善い人として仰げと命じられる民衆の間の支配関係を映す鏡だ。質問もせず、前原誠司の利権話を行儀よくまとめるだけの「聞き手」もそんな従属関係。朝日新聞のプライドはどうした?

米国は地球人口の三%で、毎年地球資源の半分近くを利用するのは不公平とする意見も出てきました。僅か1%の国民が、国際競争力と生活便益の為に、コントロールも困難で地球の全範囲を汚染しかねない高度なエネルギー生産の方法を継続するとします。百年後の人々は現在の私達をどう評価するでしょうか


「未来新聞」のトップ記事は?「TPPで2022年に崩壊しつくした日本社会」「"TPPで優位に立て"と十年前社説で煽った当時論説委員に怒りの声」「苦しい弁明に終始。TPPは別の意味?"T"はとんぼの"T"。"PPは、ポンキッキー、プーさんの"PP"だった?」「今からでも遅くはない」

堀 茂樹さん
‏フランスの歴史上、かつてはなんと市民戦争が多かったことか!市民戦争は民族戦争と違って理想と理想の衝突でもあるので、単なる集団エゴの戦いよりノーブルだともいえますが、しかし内戦であり、内戦は悲惨極まります。今のフランスは民主政治の枠内のガチンコ勝負で、内部対立を昇華しているのです


私が何も新しいことは言わなかった、などと言わないでもらいたい。内容の配置が新しいのだ。ジュー・ド・ポーム(テニスの一種)をする時には、一方も他方も同じ球を使うのだが、一方の方が上手に球を送る。それと同じように、私は古い言葉を使ったと言われる方が嬉しい。§22

高校時代から硬式テニス部なのに、いっこうに上手くならない!ちなみに文章をテニス(ジュー・ド・ポーム)として形容したパスカルの精緻な考察がある。おいらは(打ち合いのボールの様に)古い言葉を使ったと言われたいね、と。しかし言葉の方も、「ナイスショット!」を打てんよ、ふくろうねこは・泣

対案はありませんね、では、直ちに再稼働への道が証明されました、と推進派の説得術に対して、私は拍手する気にはなれない。いまは対話の信頼関係こそ必要である。その前提として、原因解明と責任追求がある。津波か地震か、手抜き工事か?事故原因の情報すら適切に公開されなかった理由とは?一歩一歩

Capitalism: a machine which washes all authentic human dreams and replaces them with material obsessions.

<芸術は、快楽か禁欲か>

普遍的思考のことにかんしていえば、普遍主義は、"愉快な空間"とするニーチェ的なポストモダン的な考え方と、"愉快な空間ではない"とするカント的なフランクフルト学派的な考え方がありますね。例えば、80年代に顕著な商業空間に、自由の契機を見出すのは前者です。そして、2000年以降に重要となっている公共空間の創設に自由の契機を見出すのは後者であると思いますが、正直言ってまだ私の中で明確に整理できていません。ただ、日本の現代アートは、良い意味でも悪い意味でも、いまだにディズニーランド的に遊園地的快楽なんですが、2000年以降に重要となっている公共空間の創設の意義が十分に理解していないようにみえます。海外の称賛を受ける中、W村上、荒木や安藤、そして北野等の新しいオリエンタリズムの台頭のことがあります。正直厄介ですね。何故なら、日本の現代アートは、まさにそこに、コミュニケーション不可能な自虐的な空白のもとに回収されてしまうでしょうから。日本の現代アートはこのまま、発言がないアート、抵抗を失ったアート、顔が無いアートを輸出し続けることが可能と思っていますか?必ずしも愉快な空間ではない公共空間のことも、理論化が必要


昔は自己紹介の欄で、エピキュリアンを自称していました。現在駅ビルアンに落ちぶれようとも、快楽と禁欲、この両者は、ふくろうねこの中において互いに切り離せない関係にあります。快楽的に存在し、禁欲的に考えること。思考の硬直化を防ぎ、思考に柔軟性を与える方法です

原発稼働ゼロ、国内50基止まる。遅きに逸した、メルトダウン(3つ)が起きた後の原発稼動ゼロなのだから。現在も非常に危険な状態にある事は変わらない。また政府は夏に幾つかの原発の再稼動を検討中で、推進派の動きも監視しなくてはならない。今後数ヶ月間の言論と民主主義が決定的に大切となろう

Errāre hūmānum est. 誤ちを犯すのは人間的なこと。

デフォルトといえば、アングロサクソン型フレンチレストランです。早く食べ終わった人の皿を、(同伴者にお構いなく)テキパキと片付けるこの類のレストランは、フクヤマ氏が言う程には、人種民族を超えたwelcomeの普遍主義があるとは思えませんでした・笑。そういうレストランは、英国のレストランでした。フランスでは、パリの忙しい観光街を除いてですが、レストランは丁重に暖かく迎えてくれます。気のせいか、英語を喋るとやや凍りつきますが、しかし下手でもフランス語を喋る意志さえ示せば、暖かいですね

沖縄タイムス | 県民の50%、沖縄の基地集中は「差別」


SERRES

踊る人は数字(chiffre)と記号であり、計算であり、純粋な貨幣なのである。抽象化による彼の身体、裸で無である彼の身体は、普遍的な等価物なのだ。―生成―


From 1949-2006, Israel received more than $156 billion of direct US aid, Palestinians have received less than one tenth of that amount.

Fb友達のスイス人写真家が東京の写真を公開中。清潔な身なり、マスク、傘、携帯電話に囁く仕種、周囲十センチしか関心が無いのか、空ろな眼差し。人々の駒の如く静かに歩く姿は、新聞の、広告と広告の間に慎み深く挟まれた、ルーチンワークで綴る記事しか見つからんあの寂しい欠如感を思い出させるな

ポツダム宣言を読んだことがありますか...? 
<国民が権力を縛る明治からつながる日本の「持ち物」>

45年7月に米・英・中3ヵ国が日本に降伏を求めたポツダム宣言にかんして、樋口陽一氏の解説によると、「戦前の日本には民主主義があったことを、ほかならぬポツダム宣言の起草者が認識していたわけです」。ポツダム宣言によると、「日本国政府日本国国民の間に於ける民主主義的傾向の復活に対する一切の障碍を除去すべし」。歴史を鑑みると、日本国憲法の価値観は、自由民権運動や大正デモクラシーといった、幕末・明治以来の日本社会の「持ち物」とつながっている。むしろ、35年ー45年の国粋主義、全体主義の時期こそ、幕末からの流れと異なるものであった。ポツダム宣言は軍国主義に染まる前の日本の民主主義を「復活強化」せよといい、日本政府はそれに調印したと樋口氏は説く。憲法という基本法を作り直すという事は、自分達の歴史に向き合う事でもあります。論議するのなら、その事は十分に意識して欲しい、と。

上陸する虚無の土地を求めても詩人を拒む国で、どうしてこの無力な私は、光の領域、自己の歴史を語る事ができようか?詩の空位時代。この国は詩の再上陸を拒み続ける限り、外国語で書くしか選択が無いのか?外国語で書かなければならない亡命者のように、自己の歴史を、途切れ途切れのフィルムの繋がり

この国は、詩の再上陸を拒み続ける限り、自己を照らし出す事ができない。「天球は流れを停めよ!虚無よ、私を永遠にのみ込め! 」と、幽霊船と同様、彷徨える詩において定位する虚無が必要だ。虚無の暗闇もなく、詩人を拒む国で、どうしてこの無力な私は、光の領域、自己の歴史を語る事ができようか?

この国は、詩の再上陸を拒み続ける限り自己を照らし出す事ができない。「天球は流れを停めよ!虚無よ、私を永遠にのみ込め! 」と、彷徨える詩に於いて、虚無を再領土化することが必要なのだ。詩がなければ、どうして私達は自己の歴史を語る事ができようか?http://pirenesfountain.com/100tpc.html

比較しても虚しいが、朝日と提携したガーデアン紙は、ネットサイトに誰もが投稿でき、文が公開される。ネットの意見がパネル討論会でフィードバックされる☛誰もが発信できる言論空間を守り育てる為にも、形を変えて横行する「覆面の暴力」に用心したい(天声人語)☚あなたこそ、匿名の卑怯者でしょ?

精神分析的投射のメカニズムは、隣国を侵略したい国家に顕著である。この欲求は、「敵」に投射することによって、隠蔽される。「敵」が攻めて来るぞと被害妄想に陥り、防衛の名のもとに侵略を正当化するのだ。天声人語の書き手も、自由な言論を封殺したい欲求を、「敵」のネットに投射していないか・笑

英国ガーデアン紙のネット上の意見欄には誰もが投稿できる。私も一度投稿した。チェック無しで公開された。パネル討論会の場でもネットの意見がまとめられフィードバックされるのを実際にみた。わが国の八百万部発行大新聞の一面コラムが無署名の一人に独占されている有様ときたら、1984より酷いよ

英国ガーデアン紙のネット上の意見欄には、たしか英国在住なら誰もが投稿できます。私も一度投稿したことがあります。直ぐにチェック無しで公開されました。パネル討論会の場でもネットの意見がまとめられ、フィードバックされるのを、本社に隣接しているクイーンズ・ホールで実際にみましたよ。ところが、わが国の八百万部発行大新聞の一面コラムが、無署名の一人に独占されている有様ときたら、これは1984の世界より酷いとおもいませんか? 提案ですが、公共空間に準じたスペースなのですから、署名のある10人にするとか(うち女性5人、移民やハンディのある方も執筆者に加わる)


堀 茂樹 さん
「移民」については、「外国人」と混同しない事が基本中の基本です。フランスには毎年大量の合法移民が定着しますが、フランスに住む外国人は凡そ一定して全住民人口の6〜7%です。移民及び移民2世が次々に「フランス国民」になっていくからです。「フランス民族」などというものは、存在しません。

Being neat in one's dress, wearing the sensitive mask, putting up a narcissistic umbrella, whispering to a cell-phone in the neighborhood 10 centimeters interest. The lonly-looking face and melanchoky smile. Coherently, people walk like game piece. That figure of grouping is as void a calm as the routine-work-articles sandwiched between the advertisement in the newspaper that is telling nothing important.This is Tokyo

I think, the charm of Kyoto as the town consists in the details that it has still breathed ,and that is never able to be reduced to the total. Every place of the tradition, culture and events see them struggle against each other;the micro power and the macro power , even in the still beauty of nature, the minimalism, in the garden the Buddhist temple and Shinto shrine feed together.

昔は、Twの自己紹介の欄でエピキュリアンを自称していた。現在すっかり駅ビルアンに落ちぶれてしもうたが、快楽と禁欲、この両者はね、ふくろうねこの中において互いに切り離せない関係として生きてまっせー。快楽的に存在し、且つ禁欲的に考えること。思考に柔軟性を与えるフーコの本の如く。ですね

家父長的長期計画は結構、でも「五十年で脱原発を」ならばそんな「脱」は無意味だ。また十年という媚びた数字に、私はネオリベ的価値観を読み取る。「段階的」というのは微調整のことか?が、脱原発は商談にあらず。政財官マ大の原発的一体構造と民主主義は両立しない。「いま」、民主主義が必要なのだ

マサッチオMasaccioの「楽園追放」ですが、元々葉っぱが描かれていませんでした。追放前と比べると追放後のアダムは勃起していました。絵を展示していた教会が勝手に、葉っぱ+枝を書き込んだとダブリンのtrinityの美学教授が怒っていました

フレンチメイドの格好に大喜の客。ハルピンの女は呆れる。「あなたはスケベより変態が適切」。客は苦笑。「変態という言葉が適切です」と教えると、女はその通りに言い直した。「中国は真似ばかりだ」と余計な事を一言。愛国心を傷つけられた女からボカボカ殴られるSMプレーに@ugaya_bot

17世紀英国では、国王(チャールズ一世)と議会派(クロムウエル)の間に対立が起き市民革命が勃発した。現在なら、この対立軸は、国際ブルジョア連合軍(多国籍企業・大銀行・経団連)と、TPP反対の民衆軍(中小企業と農業と消費者)との対立軸だろう。非正規雇用者達は自らを代表できないでいる


アンチ・オイディプス: 資本主義と分裂症 ‏ @AntiOedipus_bot
seq2 誰が盗まれているのか。それが労働者でないことは確実である。彼は買われてさえいない。なぜなら、賃金による還流または分配は、まさに購買力を創り出すものであって、けっしてこれは購買力を前提としてはいないからである。――(下)p47

千のプラトー:資本主義と分裂症 ‏
seq3 <その場での旅>、あらゆる強度はこう呼ばれる。たとえその強度が外延において展開するとしても。思考すること、それは旅することである。――(下)p263


朝日の沢村瓦氏は、ネオリベ的政治の肖像画に陶酔している。この人物の痛い卑屈さこそ、破壊的懐疑精神と権威迎合主義のお見本だ。彼が嘆く「天罰」といえば、公約を守らない与党に憤慨した人々が、(支持しない)野党に投票することによって「罰する」投票行動。それ以上でもそれ以下でもないのに、ね

フランス大統領選の結果、欧州危機不安再び、という。たしかに欧州は危機に直面している。もしこの危機は経済だけの問題なら簡単だ。だが、政治システムに関わる危機だけに、人間の危機と直結した危機なのだ。移民排除等、他者に不寛容な社会はもはや生きるに値しないと行動し始めた人々のことを私は注目している

フレンチメイドの格好に大喜の客。ハルピンの女は呆れる。「あなたはスケベより変態が適切」。客は苦笑。「変態という言葉が適切です」と教えると、女はその通りに言い直した。「中国は真似ばかりだ」と余計な事を一言。愛国心を傷つけられた女からボカボカ殴られるSMプレーに


アントナン・アルトー ‏
偽善的で、非情な、時にはわれわれを狂気の倦怠のなかへ突き落とす死の舞踏。日々の不快さ、己れを知らぬ災いは、結局ほとんどすべてがそこから来ているのだろう。では描いたり書いたりすることは、それに逆らうためなのか?  たぶん。  たぶん、そうだ。

丸山圭三郎 ‏
ソシュールの記号学解体=構築の後段階が目指すものは、ラングの現象面と本質面の区別というよりは、むしろ意識の表層における言葉のあり方から、未だ共同主観化されていない深層意識における言葉の活動へと垂直に下降する試みであった。

丸山圭三郎 ‏
〈マナ識〉は深層心理に巣くう自我意識であり、これを生み出す識が〈アラヤ識〉という潜在意識である。〈アラヤ識〉は、過去・現在・未来にわたって生死する輪廻の主体であり、この貯蔵庫という意味を持つアラヤには、あらゆる存在を生み出す〈種子〉という精神的エネルギーが薫習される。


似非左巻きは、二項対立的に捏造したナショナリズム像を、従ってナチス像をそのままソビエト像にする。文化資本は、ソビエトを非難したこの者に、思想的中立性の王冠を与えるが、国違いというものだ。それは日本の姿なのだから。出口なき国家で私はヴェーユの様に、地球の裏側にある未知の場所を求める

インターナショナル・バカロレアの世界文学の面白さは、比較文学的な方法で論文(5枚から20枚)を書くことである。高校生は一本の論文を書く為に三冊を選ぶ。共通のテーマを論じる為に、各々の本のキー・パッセージを三つ並べる。あなたもやってみる?例えばフーコとドゥルーズとサィードの三冊で

伊豆の海や見ゆる新島三宅島大島嶺は雲居棚引く 詠み人:長塚節(長塚節歌集)


二十世紀精神の歴史(本多編)

Note(1)<マルロー、ヴェイユ、ジョイス>の概要α、1943年までフランス共産党による独自のレジスタント運動があった。43年以降カミュは民衆のレジスタント運動に参加。人間を殺す権利は人間が持つのか?レジスタント運動に至る人民戦線の歴史。正義の世界の自立性と思想的自立性との関係

Note(2)<マルロー、ヴェイユ、ジョイス>の概要β 思想的自立性の歴史的な条件とは?独ソ不可侵条約による人民戦線崩壊。知識人の呪縛・屈辱・憎悪。ケンローチ「大地の自由」。アイルランドのブルジョア主導のナショナリズムの一体的構造=ソビエトとナチスの一体的構造。マルクスとジョイス

Note(3)<マルロー、ヴェイユ、ジョイス>の概要γ マルローの普遍主義(普遍主義の危機。不条理から美の世界への変貌)とヴェイユの神話(工場労働の不幸から、超越的神話の探求へ)。マルローの小説。ヴェイユの思索の射程から、フーコ「言葉と物」を見渡すこと。ゴダール「映画史」1AB

<マルロー、ヴェイユ、ジョイス> 
「神話への反抗」(渡辺一民)からジョイス的な「神話的リアリズム」へ。精神の歴史

神話とは人民戦線的な普遍主義。ローチ「大地の自由」が描きだしたスペイン市民戦争の状況(コミュニズムによるアナーキズム弾圧)、独ソ不可侵条約が齎した人民戦線の崩壊

マルローのダブルスタンダード(理想世界の絶対性と現実世界の相対性に交わらぬ境界をもうけて、普遍主義の幻滅を避けること)。最終的なマルローの変貌(反運命としての芸術、美の世界)

ヴェイユはマルローとは違うアプローチ。工場肉体労働の体験から、ソビエト的な体制に懐疑的な態度をとった。しかし解放のユートピアを捨てた訳ではなかった。神話としての「重力の恩寵」


「神話への反抗」から「神話的リアリズム」へ。戦後のフーコの問題意識は、ヴェイユの最後の神話を発明したいとする問題意から切り離すことはできない。以下、フーコ「言葉と物」からの引用。「神話を発明した我々の住む地球の裏側には、延長による秩序づけに完全に捧げられた、しかも、我々にとって名づけ話し思考することが可能となるようないかなる空間にも諸存在のの増殖を配分しない、そのようなひとつの文化があるのにちがいない」

ヴェーユのヴィジオンから。1933年「展望ー我々はプロレタリアート革命に向かっていくのか?」

「それは大いにありうることだが、われわれが破壊しなければならないとすれば、存在もせず破滅することのないようにしよう。我々が立ちむかわなければならぬ怖るべき力は、我々を粉砕しようと待ち構えている。たしかにその力は、我々が完全に存在する事、即ち、我々の意志を世界に刻印するのを妨げる事はできる。・・・だがそれも、我々の努力の目標を明確に認識しようと我々が努めるのを妨げる事できない。我々が望むところを遂行できないにせよ、盲目的に望んだのではなく、少なくともそれを意識して望んでいたという事実は打ち消しえない。といっても、なるほど我々の弱さが我々の勝利を妨げるだろう。だがそれとても、我々を粉砕する力を理解するのを妨げるわけにはいかない。世界のなにものも明晰であろうとするのを禁止することはできないのだ・・・」。人民戦線派の週刊誌「ヴァンドルディ」が訴えたスローガンを喚起。「我々を脅かすものの存在は我々を互いに引き離すものよりも強い」

パリで敗戦を迎えた1940年。「私はいま胸のはり裂ける様な思いでおります。しかもその思いは、知性のなかでも、心の奥底でも、人間の不幸と神の完全さとその二つを繋ぐ絆とを、真理の光のもとで一緒に考える事のできない私の無力さの故に、一刻一刻とつのりゆくばかりなのです。そのような真理がいつか私に与えられる事があるとすれば、それは私自身のからだが不幸のなかに、とりわけ現存する不幸の極限といったかたちのもののなかにあるときだろう、そう私は心のなかで固く信じております。・・・私は真理の外におります。人間的なものはなにも私を真理のうちに導いてくれる事はできません。あれ以外の方法で神が私を真理のうちに導いてくださる事はない、こう私は心のなかで信じております。それはちょうど宗教的使命と呼ばれるものの根本にある確信なのです」。1950年までのヴェーユの神話

<ヴェーユ的なフーコの問題意識>

 「人間経験を、自然と生命の時間に、歴史に、諸文化の沈殿させられた過去に連接させる起源にあるものの領域をとおして、近代の思考は、人間を、その同一性のうちにーその充足のうちに、あるいは彼自身そうでありあの無のうちにー、歴史と時間を、それらが不可能にしながら思考する事を強制するあの反復のうちに、そして存在を、それがそうであるところのまさにそのもののうちに、再発見しようと努めるのだ。そしてそうする事によって、起源を自身に最も近いところと最も遠いところで思考するという、その無限の任務のなかで、思考は、人間が、人間を存在させるものーあるいは、そこから出発して人間が存在しているものー同時期のものではなく、人間を分散させ、それ自身の起源から遠ざけ、しかも恐らくは常に到来しそうで到来しない切迫さのなかで人間に起源を約束する、・・・そうした力の内部でとらえられるものであることを発見するだろう。ところが、そのような力は人間にとって外部にあるものではない。それは、絶えず再開される永遠の起源のおだやかさのなかで、人間の外に場所を占めるのではない。その力こそ人間固有の存在の力である」(渡辺訳)


三年前帰国したときは、最初の一年間は相手の話の細部がよく聞こえなかったし、こちらが喋る日本語のアクセントもおかしかったから、無縁の演劇界の人々からも、「分けがわからないもの」と現象学的括弧入れされるほどだったが、最近は「気になる変なもの」までに出世してきた。くだらん、もう寝ようw


三年前帰国したときは、最初の一年間は相手の話の細部がよく聞こえなかったし、こちらが喋る日本語のアクセントもおかしかったから、無縁の演劇界の人々からも、「分けがわからないもの」と現象学的括弧入れされるほどだったが、最近は「気になる変なもの」までに出世してきた。くだらん、もう寝ようw


私達はリゾーム、雑草か?楽観的に八十年代は「草」を「ネット」と思い込んだだけに、橋下の様に、ソフトな繋がりに過剰期待する者が出てきた。彼等はハードな繋がり(例、ウォール街占拠運動)を伴わせる事の意義をみないし、差別に対する闘いを欠いては、「草」が出口にならない事すら理解していない

河津聖恵さん のツイートより
「人間には、他者を物のように屈服させたいという闇の欲望と、他者に人間としての輝きを見出し共感したいという光の欲望が共存する。前者は戦争の原因、後者は平和を創造。現実に流されれば必ず戦争となる。だから理想主義とかお花畑とか言われても、光を志向し続けるべきだ。人はつねに試されている。」


労働党のブレアーはロンドンの至る所に、監視カメラを設置した。その結果街に出ると誰もが、一日最低70回以上カメラから監視され、記録される羽目に。このような、同化しない限り「この男は危険人物だ」と指差すマーキングに依拠しているのが、小説家の「水色のベンツ」と哲学者の「書かれざる囲い」


ロンドンのたむろするユダヤ人達と喋るときの、共有するある種の孤独感と陶酔感に通じるものがあるねー、ほんと。4分からの数分間が、祈りの表現と言うか、瞑想的神秘主義なのよね、バーンスタインは、やっぱ、十代のときはマーラとともにのめり込んだなー、実際に音楽をきいてないときでも、必ずどこからか音楽が聞こえてきたぐらい。隣の娘盛りの同級生達の存在にまったく気がつかずだった。ショスタコは、スラブ的な味付けをして誤魔化すんだけど、バーンスタインのは、ポーランド人やロシア人のスラブ的な一体感じゃないんだな。これは、くちゃくちゃ憂鬱なbagelにしては、ニューヨーク的な洗練さがある。ふふ・・・わかるひとにはわかる、わからないひとにはわからない


1,In Dostoyevski a first-person narrative was a perfect language would lost in its purity /primitive force because of carnival-like dialogue
2, And the literature always becomes the politics.The painful case.Shostakovich knew it. Melancholy fissure between Dostoyevski and Stalin
3,Stephen (in Joyce novel ) was more than a first-person narrative . As the intellectual, he was "fight-back" to any politics authoritarian

1、ドストフェスキー小説の独白は、精神の自立した構成に属する。しかし、それは、カーニバル的対話との異化的接触からの影響で、純粋且つ原初的な力を失ってしまう。ショスターコーヴィッチはこのことをよく知っていただろう。ドストフェスキーとスターリンの間にある憂鬱な亀裂を考えたかもしれない
2、「若い芸術家の肖像」のスティーブンは、意識の流れの中心点である前に、知識人である。彼は権威的政治を批判する普遍主義的主体である。ちなみに、知識人とはどんな問題にも介入する特権を持つ者をいう。ジョイスはこのような知識人とは言い難いが、彼の拵えた小説の人物、スティーブンは知識人だ
3、知識人はどんな問題にも介入する特権を持つ。近代以降の西欧では、そんな<語りの特権>を持つ者は哲学者だけだ。日本の哲学者は皆専門家で、西欧からみれば、知識人ではない。日本における哲学者の不在が、文学者に、又は文学的批評家に、知識人の役割を担わせるのかもしれないと子安氏は指摘する


<語りの特権性とはなにか?>

哲学者ソクラテスでも文学者バルザックでもいいんですが、近代の「語り」は、体系を語らなくてはなりません。近代は、ルネッサンスから始まりますから、体系を見渡す専門性が要求されます。と同時に、専門の特権性に閉じこもっていては、社会的に語ることができません。ここで、「社会的に」がポイントで、「共同体的に」ではあり得ません。人気エッセイストのファンクラブ的な語りは「共同体的に」語っているだけです。<語りの特権性>には「大胆さ」が要求されますが、この要求は、専門性を否定していく外部的な位置と関係していると思います。
また、<語りの特権性>といえば、今述べたこうした「大胆さ」のほかに、おそらく、パスカルが「繊細」「幾何学」と呼んだ精神の働きを伴なわせていくことが決定的に大事でしょう。結局「語り」は大胆且つ繊細にあり、と思います。以下参考の為に、パスカルの言葉です。「幾何学。繊細。真の雄弁は、雄弁を馬鹿にし、真の道徳は、道徳を馬鹿にする。・・・規則など無い判断の道徳は精神の道徳を馬鹿にする。学問が精神に属しているように、判断こそ、それに直感が属しているからである。繊細は判断の分前、幾何学は精神の分前である」
 西田幾多郎は和辻哲郎ほどには、<語りの特権性>を持っていなかったようだ。この点に関して、子安宣邦氏の指摘では、西欧と比べて日本における哲学者の不在が、文学者に、又は文学的批評家に<語りの特権性>を行使させているのだという。東氏がそうかもしれない。しかし、実際は、<語りの特権性>は柄谷行人が最後で、かれ以降、新たな知識人は育っていないのが現実だ


「米軍幹部の教育機関で、イスラム教の聖地やイスラム教の一般市民に対して、広島や長崎への原爆投下や東京大空襲のような無差別攻撃が容認される、という内容の授業が行われていたことがわかった」(朝日新聞5月18日夕刊)。2004年の授業で、大佐や中佐、大尉ら中堅幹部600人以上が受講した



seq2 どんな時代にも属さないもの、永遠の未来から私たちに到来するもの、あるいは永遠の未来へと逃れてゆくもの、そういう何かがある。――(上)p253 アンチ・オイディプス

ウィットゲンシュタインはソ連行きを打ち明けると、師のラッセルは困惑顔で「お前みたいに働かん哲学者は銃殺刑だぞ」と思いとどまるよう説得。今度は「アイルランドで働きに行きたい」と申し出ると、ラッセルは首をふる。「アイルランドで働いたら殺されちまうんだぞ」(笑)

ウィットゲンシュタインはソ連行きを打ち明けると、師のラッセルは困惑顔で「お前みたいに働かん哲学者は銃殺刑だぞ」と思いとどまるよう説得。今度は「アイルランドで働きに行きたい」と申し出ると、ラッセルは首をふる。「アイルランドで働いたら殺されちまうんだぞ」(笑)

英国で起きた産業革命は、地球上どこの国で起きたのではありません。90%以上の人々がアイルランドの様に産業革命を経なかった国にいます。産業革命無き市民革命が世界の多数派です。「独立」後、外国資本に依存する雇用だけに、初めに無職ありき。父親が失業中は、当たり前


「知り合い以上、友達以下」のネットワークは、発達障碍+うつの人々を支える。話し上手といった人間関係を制す原理によっては、この「みえない」ネットワークは生存できない。宇宙に偏在する暗黒物質のことを考えよう。みえないものが消去されるとみえるものも存続できないのは、社会とて同じだろうよ

宇宙に偏在する暗黒物質の様にみえないものが消去されたら、みえるもの一切が存続できなくなるのは社会とて同じ。みえないネットワークがなければ。昔は無縁・公世・楽、今ならは無職のことだ。世界中の困窮した人々と繋がれる「無職」という普遍主義的な生き方から、みえないネットワークがみえてくる

宇宙に偏在する暗黒物質の様にみえないものが消去されたら、みえるもの一切が存続できないのは社会とて同じ。みえないネットワークがなければ。昔は無縁・公世・楽、今ならは無職。世界の多数派、つまり困窮者達と繋がれる「無職」という普遍主義的な生き方は、「知り合い以上、友達以下」の哲学にあり

「知り合い以上、友達以下」のネットワークは、発達障碍+うつの人々を支える。話し上手といった人間関係を制す原理によっては、この「みえない」ネットワークは生存できない。宇宙に偏在する暗黒物質のことを考えよう。みえないものが消去されるとみえるものも存続できないのは、社会とて同じだろうよ









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