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zoom RSS ALSO SPRACH OWLCAT ふくろうねこ、かく語り き 8月 2012 (続)

<<   作成日時 : 2012/08/27 19:11   >>

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「頭は冷たく心は暖かく」とはなにか思い浮かぶには、インターネットで友達をみつけるのも一案。必ずいつもとは限らないが、大抵は冷静なスイス人に友達ができると、争うごとに介入し仲直りの道を示してくれる。心温かいイタリア人に友達ができると、孤立で冷えてしまったこちらの心をあたためてくれる


サィード「知識人とは」も引用するが、ジョイスは「肖像」の中で自分の武器がsilence,exile,cunningと言う。ウィットゲンシュタインの「語りえないことは沈黙せよ」と比較し議論せよと勧めたくれたスイス人がいた。文法を沈黙させると、語りが含むある種の抵抗が動き始めるものだ


なぜマルクスは商品所有者から書き始めなかったのか?資本論の書き出しは商品である。商品所有者が登場しない価値形式論を追っていくと、なにかアジア的生産様式の風景の如し。(共同所有しかないから土地の所有の移転は起きない)。当時マルクスは二つの懐疑の中にいた。コミュニズムとナショナリズム

<なぜ、マルクスが正しかったか>


1、マルクスは、平均利潤の長期的低下の法則を説きました、この法則によれば、資本は資本であるかぎり、常に限界に危機的に直目します。つまり、常に乗り越えられていく危機こそ、資本が必要とするエネルギーに他なりません。これは、重力法則以上に厳格な必然性なのです。
2、だから、こうした資本の限界は、なにか、国民の限界として同一化して語ることは、ゴタマゼmessの言説でしかないのです。ところがマスコミは、日経連食堂のゴタマゼ料理を貪り食うのです。彼らは韓国資本の電気分野での優位の結果を我々の共同責任の如く嘆きます。
3、韓国資本の電気分野での優位の結果を我々の共同責任の如く嘆きますが、滑稽にも、これは、恋愛が起きるのは重力のせいだと咎めるぐらい空想的な思いつきです。経済で失ったものを、金メダルか、領土で奪い返せ、とばかり、領土ナショナリズムにもって行こうとミエミエ
4、大きな人間、財界にとって都合がいい、このインチキな経済競争の挑発を、唾を吐いて大いに笑ってやりましょう!小さな人間たちの、つまり、市民レベルでの中韓日の友情から、物事を積極的にとらえることができないものでしょうか。やはり、常に民衆の視点かとらえた、マルクスは正しかったと言わざるをえないのです



平均利潤の長期的低下の法則(マルクス)によれば、資本は資本である以上常に限界に危機的に直目する。重力法則以上に厳格な必然性だ。だから資本の限界は国民の限界として同一化できない。韓国資本の電気分野の優位を我々の共同責任の如く嘆くのは、恋愛が起きるのは重力の責任だと咎めるぐらい空想的

リアルな経済学的思考とは何か?。A.スミス的に言うと、植民地保有も新たな領土獲得のための戦争も、正当化されないほどコストに見合わない。また尖閣諸島周辺に資源があるからといって、その所有が日本を豊かにするのかどうか一度疑ったらいい。そうならば資源を持つ南の諸国の貧困はどう説明する?

日本の知識人ほど、土に執着する知識人はいない、と渡辺一民氏が語っていたが、この点に関して、どうも知識層も同じ狢らしい。頭が熱く心が冷たい知識層。新聞界のネトウヨとなった、朝日の天声人語の執筆者も、海に浮かぶ岩の島には大変なご執着。「メロスの憤慨」というよりは、あなたの憤慨でしょ?

原発割合についての意見聴取会やパブコメ、国会議員の新聞アンケート、首相と市民代表?との面会。反(脱)原発が優勢と勘違いする愚か者も多いだろうが、世論は原発を屈服できないだろう。嘗て世論全部が公害に反対したにも関わらず、被害者達は公害企業によって徹底的に負かされた現実を知って欲しい

"For all night long I dreamed of you: / I woke and prayed against my will, / Then slept to dream of you again."

-Christina Rossetti

留学してくるIBの女子高校生達のために、感想文を書せたものです。もっと昔の90年代に、東南アジアの華僑青年の話が出るからいいと思い、台湾財閥の某銀行家の娘に読ませ、大学卒業論文として提出させましたが、出入り禁止となりました。笑。ダブリンに来たモローに私の友達がインタビューしました

伝記映画の公開の後ですね。若い青年と共に過ごしたカブールのホテルに訪ねたことがあります。プルーストが小説を書いたホテルですね。思い出すと、ラマンの原文などは、全文書き写したものでした。商業映画としてですが、出来が悪くなかったと思いますが、青年がすこしマッチョ過ぎたかもしれませんね


マスコミは「襲撃」と大袈裟に騒ぐが、外交のプロならば、そもそも盗まれるようなヘマをしないものだ。車の国旗といっても、盗む輩からすると、スポーツ好きのいかれたステッカーみたいなもんでしょ?しかしこの百年間日本人は、何千回、何万回と、アジア諸国の旗を奪ってきたのかと時々は思い出そうね

「シンドラのリスト」にユダヤ人が一斉に集められる場面がある。看守人が窓から部屋の中を覗う。煙が現れると、ガス?と観客は恐怖。が、シャワーの蒸気と分り安心。スピルバーグはこの映画術をリアリズムと自慢した。ゴダールは非難した。1回の蒸気の映像と一緒に、他の99回のガスの映像をみせろと

野田は、日付を示さないことによって、原発問題を文化論的に隠蔽する姑息な試み。[ゼロ記号;シニフィアンが姿をもっていない事自体が、一つのシニフィアンとして機能する記号を指す。文化における記号は、例えば選挙の白票や議論に於ける沈黙等、ゼロの形をとる事によって意味作用をもつ場合がある]

インターネットは、コミュニケーションの道具。それだけか?抗議集会とデモに連携すれば、武器となる。端的に言って、ACTAとは、インターネットの武器としての役割を破壊する刀狩だ。武器でないインターネットは道具ですら無くなるだろう。新聞テレビの様に情報を洗脳的に垂れ流す便所に貶められる


インターネットは、コミュニケーションの道具です。それだけでしょうか?もし抗議集会とデモに適切に連携すれば、インターネットは、言論の武器となります。端的に言って、ACTAとは、このインターネットの武器としての役割を破壊する刀狩です。商業主義の著作権を守るだけのために、強力な検閲を引くことは許されません。この強力な検閲体制のために、武器でなくなったインターネットは、コミュニケーションの道具ですら無くなる可能性もあります。本当に怖いのは、自分で自分を検閲しはじめる、自主規制という底なしの罠です。少数ながら、良心的な新聞やラジオはたしかに存在します。しかし、多数派を為す、報道の責任を放棄した大手マスコミ、新聞やテレビの有様を見てください!ツィッターやフェースブックやユーチューブが、これらのメディアみたいに大本営発表式の情報を洗脳的に垂れ流すだけの便所に貶められることだけは、わたしは強く反対したいのです!

この借家は煉獄に続く様な大きな坂の途中に佇む。角地に位置する故に、犬どもが好む名所である。飼主に注意するが小便中の犬に遠慮している。直接犬に文句を言いたいが、その言葉は如何?何の為に法律を学んだの、しっかりしなさい!と電話でオフィーリアから叱責を受ける。馬鹿にされてるんだ、畜生め

「ユリシーズ」の主人公といえば、「35歳の白人の男性で首都の住人」と分解したらダメ、どの要素もマジョリティを記述する可算集合。マイノリティは非可算集合。仮にデモは可算集合ならば、デモから構成できるネットによる言語は非可算集合。見えないメタレベルの高みから、シングルイッシュを批判す

ドゥルーズによれば、マイノリティに成ることは、非可算集合に成ることである。仮に、反原発デモは可算集合としたならば、このデモから構成し得るネットが書く言語は、非可算集合である。見えないメタレベルの高みから、なにが真の<市民的介入>であり、なにが嘘の<市民的介入>であるか批判していく

あの昔もしtwitterがあり、今日の連歌デモ的「異ノ窓界」の人々と繋がれたら面白かっただろう。バブル時代多感だった十代に何も共有できなかった人々との「同窓会」は溜息フラッシュバックかな。現在もACTAとネット検閲、民主主義の危機、この話題は共有できない、交わらない平行宇宙の如し


山手線に繋がった堅固且つ脆弱なモンサンミッシェル。新大久保といえば、高田馬場から新宿へ行く通路。昼と夜の境界を感じさせない。ハングル語の広告放送のことは覚えていないが、高校時代に試験勉強と称して喫茶店で住民であった友達らと籠城したものだ。ある時期プルースト論を読むのにここに通った

山手線に繋がった堅固且つ脆弱なモンサンミッシェル。新大久保といえば、高田馬場から新宿へ行く通路。昼と夜の境界を感じさせない。ハングル語の広告放送のことは覚えていないが、高校時代に試験勉強と称して喫茶店で住民であった友達らと籠城したものだ。ある時期プルースト論を読むのにここに通った

トロツキー
お前はただの《現在》にすぎないではないか!(楽観論と悲観論に関して、20世紀に関して、その他多くの事柄に関して)

Simone Weil ‏
ガリレオ。近代科学は、無限定な直線運動をその原理とし、もはや循環運動を原理にしなくなったために、神への架け橋であることはもはやできなくなった。

高い地位にある人たちが、なにがなんでも自分達と親しくなろうとするズノッブ連中に抱く嫌悪感、それを男らしい男は倒錯者に対して抱くのであり、女はあまりに惚れ過ぎたすべての男に対して抱くのである。(Proust, 鈴木訳)


「失われた時を求めて」が証言するのは、連歌デモ的ユートピアを求めてだ。世界創造者として日経連的に振舞うブルジョアに対する、アナキズム系前衛芸術家による反抗は、彼等が構築した近代都市に向けられた。今日ならば、原発国家の都市にNo!と言うだろう。敗北した貴族的自然観への愛憎が木霊する

「失われた時を求めて」といえば、スノビズムや芸術至上主義のステレオタイプ。しかし本当にそれらに尽くされてしまう本ならば、左翼知識人達、ポストコロニアリズムの論客カイバードも、労働者階級出身のピンタも読まないだろう。プルーストには、紛争当事者達を和解させようと必死に努力する所がある


ではこうしましょう。そちらさまから大切な島を頂戴するかわりに、頂いた国内にある宝をお返しいたします。渡来人の古墳や天皇家をお返しします。伝えて頂いた漢字ですが、いくらACTAの時代とはいえ、これをそっくり返すと私達は土人になりますから、皇居を漢字永代使用のご料金としてあてて下さい


マルグリット・デュラス ‏
「わたしは二国語育ちなのよ。ヴァカロレアはヴェトナム語で受けたの」


No sooner had text silenced grammer than it moved the speech toward murmur,un bois plus ou moins poreux,plus ou moins élastique et résistant


ジョルジュ・バタイユ
『精神現象学』は、円環を完結させるべき二つの運動を合成している。即ち、自分自身の(人間的自己の)認識の段階的完了がその一つ、もう一つは、知識を完了させる(そしてそれによって己の中の個別性を破壊し、従って自己自身の否定を完了し、絶対知となる)この自己が、全一者(神)となることだ。


昨年の新安全宣言、意見聴取会のガス抜き化、パブコメのデータ操作、デモ主催者懐柔、期限なき原発ゼロの恩寵、原子力基本法に書き込む核武装の文言、野田首相も脱原発派と楽観的に伝える新聞テレビの裏切り。でも推進派は一つの勝利を収めるたびに問うだろう。一体この勝利はなんに役立つのだろうか?


ゴダール「映画の栄光と衰退の歴史」は、どうだろうか?なにか、溝口健二「残菊物語」からの影響はないのだろうかとかんがえてみる。

溝口健二「残菊物語」はダブリンで観た。大阪歌舞伎を舞台としたラストシーンを巡って、私の友人達、アイルランド人宗教画家の男性と、フランス人女学生との間に熱い議論が起きた。再びパリで観たとき、メロドラマでありながら、当時の国威発揚的軍国主義が依拠する英雄主義を批判した視点が感じられた

「頭は冷たく心は暖かく」とはなにか思い浮かぶには、インターネットで友達をみつけるのも一案。必ずいつもとは限らないが、大抵は冷静なスイス人に友達ができると、争うごとに介入し仲直りの道を示してくれる。心温かいイタリア人に友達ができると、孤立で冷えてしまったこちらの心をあたためてくれる

軍事的支配、力の支配に、所有権をプレゼントするのは、国際法違反である前に文明に反する。ラスク書簡もこの前提だ。だから「竹島」の領土権取得を主張できるのは、日本の戦争はアジアでは起きなかったと自分を騙しているからだ。戦争はアメリカだけに負けたと思い込む日本人の意識が目に見えるようだ

ふくろうねこが住むこの家は、ホー、煉獄に続くかのようにおもわれるほどの、大きな、大きな坂の途中にありますニャー。
ここは角地に位置する故に、ありがたや、毎日毎日しゃーしゃーと、犬どもが好む名所となっております。飼主に注意してみますが、なんと、小便中の犬に遠慮しています。「おやめなさい」と囁いています。そんな調子ですから、明日も来るでしょう。ふくろうねこは、直接、犬に文句を言うしかありません。が、その言葉は如何?電話でオフィーリアに相談すると、「何のために法律を学んだの、しっかりしなさい!」と叱責を受けてしまいました。別に、犬に話しかけて説得するために法を学んだんじゃありませんが、やはり、単純に、こばかにされてるのでしょうね、と笑いがこみあげます。犬どもの法といえば、姑息な、外務省官僚の国際司法裁判所提訴の茶番劇がありますね。
軍事的支配、すなわち、力の支配に、所有権をプレゼントするようでは、国際法違反である前にそもそも文明に反するというものです。犬どもが依拠する「ラスク書簡」は、1905年の出来事を中心にしますが、大いに疑問。生憎、その「ラスク書簡」ですら、軍事支配を根拠に領土権の主張をさせないという前提に立つことを、犬どもは自覚すべきです。ですから、「竹島」の領土権取得を主張できるのは、日本の戦争はアジアでは起きなかったと自分を騙している限りにおいてなのです。戦争はアメリカだけに負けたと思い込む日本人の意識が目に見えるようです。やはり、1905年以前に、韓日両方の漁民達がこの島を互いに利用してきたという事実から考えることが大切でしょう・・・ああー、またおしっこしてる!


芸術は結構、が、他人に不快感を及ぼしたり損害を与えないようにあなたたちの仲間同士でやればいいでしょうと説教してくる小市民根性(橋下ちゃんを筆頭に、一般に弁護士になる人ってその程度の見識しかない。迷惑を指差すことが、価値相対主義者と勘違している)#言論の自由を制限したがる人達の特徴

芸術は結構、しかし他人に不快感を及ぼしたり損害を与えないようにあなたたちの仲間同士でやればいいでしょうと説教してくる小市民根性 #言論の自由を制限したがる人達の特徴

悪いことをしていなければ、検閲は恐れる必要がないでしょうと自分の潔癖さに酔っている人々#言論の自由を制限したがる人達の特徴

<表現の自由>を制限したがる人達の特徴といえば、「芸術は結構、しかし他人に不快感を及ぼしたり損害を与えないように、あなたたちの仲間同士でやればいいでしょう」と説教したがる潔癖な小市民根性。自分を潔癖と思いたい人達が多いから、この説教は広い支持を得る。最近は橋下市長の文楽罵倒がある





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