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zoom RSS 3・11以降の思想の肖像 (5)  われわれはどう思想を論じようとするのかーデモンストレーション

<<   作成日時 : 2012/11/24 00:33   >>

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「グラマトロジー」のジャック・デリダなら、今日に於ける原発推進の一体的構造<政財官学報>を指指し、これを、自身の声だけを聞こうとする「直線的」な「領域」と呼ぶのではないか。次にそこから空間を占拠しに来たエクリチュール的デモを目撃するとしたら、何を見ているだろうか?

1、救済の道に来ているつもりでも、現実にはこの自分と彼らが本当に救われるのか?と不安に佇む文字達の連なりを読む。存在的それゆえに真に人間的な運動。マルクスのなかでコミュニズム的普遍主義に陰りが生じ、挙句にアイルランドのナショナリズムに「大きな確信」を持つに至ったときも

2、救済の未来を約したパンフレットのニ十年後にはユートピアはない。語りの力を失ったエクリチュールが続くだけ。本当にわれわれはは救われるのか?称賛されたアイロニーの文体で飾られる「資本論」とはいえ、ジェニーの清書にエンゲルスは暗闇を見る。言葉に於ける軽蔑すべき奴隷的な痙攣

3、おそらく、バクーニンからの感化の大きな運動もあるだろうが、マルクスに於いて進行する、互いに矛盾し合うコミュニズムとナショナリズムの分裂モンタージュは、救済を説く<声>と救済があり得ないとする<エクリチュール>の生成モンタージュほどには、アナーキズム的ではなかった。

4、「神々と国家」は亡命の地スイスで書いた。しかし書いた以上、神が存在するかもしれないと絶望していたはずだ。たとえアダム以来人間の耳に反抗的な蛇が宿っていたとしても、語り聞かせる神が存在してきたことに変わりない。神から授かったアルファベットは何か?軽蔑すべき奴隷の痙攣

5、アルファベットはいったい、なにができるのか? まだわからない。まだ、なにもだ。アルファベットは、なにを望んでいるのか?わからない。すべてかもしれない。それならヘーゲルは最良の文字、精神の文字と言っている理由はなにか?たしかに、「グラマトロジ」のデリダはこう語る。

6、「声の前でもそのアルファベット文字の消失、その中において音声的な<意味するもの>の理念的内面性を尊重しているところのもの、それに空間と視力とを昇華させてしまうすべてのもの、こういったものすべてが、それを歴史の文字となすのであって、つまり、自身の言説と文化の中で・・

7、自己自身にかかわっている無限の精神の文字となすのである」と。しかしそれなら何故、文字はより奴隷的、より軽蔑すべきであり、より二次的でもあると主張するのか?なぜなら文字は生命を裏切るからである。即ち同時に息と精神を脅かし、精神の<自己への関係>を脅かす。具体的には?

8、エクリチュールにおいて、文字の繰り返しや注釈の中で不毛化したり不動化したりすることが起きること。そして映画術のイメージにおいても同じそういう反復が起きる。たとえば、ゴダール映画の映像は、空間と視力とを昇華させてしまうすべてのものを拒む、エクリチュールとみなせよう。

9、ローザンヌは、八十年代以降ゴダール映画の方向を決めた場所。「方法としてのスイス」のことを考えさ­せてくれる。チューリッヒからローザンヌへと通過する列車は国境を越えないのに、出発のとき中心を占めた独逸語を喋る乗客が連続的に、そのうち仏語を喋る乗客に置き換えられていく

10、境界が取り払われている。レマン湖を眺めながら、ゴダール映画における言葉の役割を考える。フランス語とドイツ語、たしかに音から音へ連続的に転位していくが、痕跡の如く変化せずに留まるものといえば、このレマン湖の映像だ。抵抗をなすエクリチュールとしての映像といえないだろうか


11、Des fois il plet, mais enfin c'est agréable ici.キラリー湾。石を積み上げて拵えた小屋はフィヨルド湖の湿地に隣接していて、小さな正方形の窓が一つあるだけで、太古の海底に立つ墓標のようにさえみえた。ノートを開いて文字を記した。

12、雨粒のせいでインキが少しだけ滲んだ。空には暗雲が覆っていた。哲学の全領域は、この一滴に凝結するのだ。Des foi profite la phrase n'est pas faite,pour commencer à parler,pour commencer à vivre

13、「空」とか「水」を、社会的連帯の如くように分割不可能できないXとして物質名詞と呼ぶこと。a cup of waterとか、the blue waterは、物質名詞の普通名詞化、限定詞による限定化。waterという共通のXから様々な属性を表現できる。マイノリティーの観念の如く

14、インディアンという属性、アフリカンという属性、外国人労働者という属性、女性という属性。ゴダールはスイスをヨーロッパのイスラエルとみなす前に、そして自分がパレスチナのインデアンと言う前に、マルクスは白い黒人のインデアインであった。Xは、内部のなかでXに即して考える必然性はない。

15、それは、トートロジーのナショナリズムに陥る国境と同じぐらい困難なこと。神がwaterという語は与えたのではない。故に天賦不動のものとしては存在できない。恐らく亡命者達によって絶えず発明されつくられていく。そうでなければ、言葉(言語)と同じように、化石化してしまうからだろう。

16、高校の「世界史」は、いわゆる近代史という歴史であり、1870年パリコミューンから語り始めるのが普通だ。アイルランドのある高校の「世界史」の一頁目はジェロニモの肖像写真だった。インデイアンに自己投影するアイリッシュ流世界史の真骨頂。Irishnessに伴なわれる言葉はなにか?


17、マルクスは「生命」を与えるゲール語と考えたかも。が、ゲール語を媒介とした、アイルランド人はアイルランド人とする危険な神話は、何も生み出さない。大切なことは、偶像破壊なジョイスの場合、他者の言葉である英語である必然性があった。敢えて言語に対する錯綜した複雑な関係を取るために

18、そして、いまさら日本国憲法、されど日本国憲法だ。われわれの憲法を書いたのはインディアンたち。英語はコミュニケーションの手段に過ぎないのに、米国と英国の価値観に従うとする誤解は何故生じるのか。日本の人々が独自に発展させ、今後発展させていく可能性のあるアメリカこそ本当に意義深い

19、例えば、日本国憲法こそが、そんな意義深いアメリカン・ヴァージョンの一つなのかもしれない。これは小田実が強調する点だが、この憲法は、他の国の立場にたって考えよと命じる場合、日本人だけでなく外国人にも諭して
いるという。どの国も、他の国の立場にたって考え行動せよと語っているのだ。

20、たしかに、これは世界に稀な憲法に違いない。われわれは、この憲法を、沖縄を理解しないアメリカの人々に示すべきではないか。但しその当然の前提として、われわれは自らこの憲法を、人権規定を守らなければならないであろう。政府による、外国人と移民、難民を差別する現在の方向は許されまい。

31、いまさら日本国憲法、されど日本国憲法。小田実の問題提起から、戦後憲法の起源を考えることは無駄ではあるまい。アメリカー>フランスー>カントの啓蒙主義と遡る前に、米国憲法が齎した影響を考えること。但し歴史的に、英国から独立を達成する憲法史的変遷のことに注目したい。

32、つまりConfederationといわれる時代に、独立した13の邦は、共通の問題を処理する為に、国家連合(緩い邦連合)を組織した歴史があった。邦連合である以上、各邦は互いに他の邦の立場を考えなければならない。今日ならば戦後憲法的な他律的な責任がここにおいて自覚されたと考える

33、ちなみに、アメリカにて組織された邦連合は、例えば、現在のスイスの邦連合とは異質なものではないか。たしかにアメリカとスイスにおいて各々が、イギリス帝国とハプスブルグ家から独立していく過程で、邦連合の観念が大事な役割を果たすが、両国が援用した主権理論の展開は別々のものであった。

34、簡単には、主権とは分割を許さない主張に正当性を与える観念をいう。だからスイスにおいてチューリッヒやバーゼルを中心とした邦連合こそがハプスブルグ家に属さない主権の顕現だった。一方アメリカの場合、主権の分割不可能性を主張したのは支配者の英国の側だった。植民地の独立は許されず、と

35、そんな歴史を鑑みると、簡単にアメリカの邦連合のモデルはヨーロッパに求められないと思うのである。恐らくアメリカの邦連合のモデルは独自に展開したものだったのではなかろうか。独自とはいえ、必ず他者から影響を受けているはず。結論に至る前に、「求め合う敵同士」の話を触れる必要があろう

36、「求め合う敵同士」の簡単な例として、アイルランド共和国軍(IRA)のマッチョな組織が、いかに英国軍から影響を受けているかというカイバード教授の興味深い分析がある。本来アイルランド人ほど組織から縁遠い人々はいない。規律と訓練を求めるマッチョな組織は非常に英国的な特徴なのである

37、アメリカに目を向けると、彼らの「敵」は、強力な抵抗を展開したインディアンであった。そのインディアンの社会がどこへ行ったのか?は大きな謎。だこの答えとして、単に消滅したのではなく、アメリカの社会に吸収されていったと推論できる。交通概念を重んじる「求め合う敵同士」理論の適用だ。

38、ネグリ&ハートの最近の著作では、(フレンチセオリーのリゾーム的発想?)、当時の邦連合のモデルの一つに、インディアン部族の連合があった可能性を指摘している。戦後憲法の起源に関する私の法外な結論もここから引き出される。つまり、われわれの憲法を書いたのは、インディアンたちだったと

39、インデイアンの部族社会ー>独立当時のアメリカの邦連合ー>戦後憲法。空想といえば空想。私の自説は実証に裏付けられたものではなく、むしろ理論的なもの。が、われわれの憲法を書いたのはインディアン達だったとする結論は実践的なものだ。TPPとたたかうわれわれに、柔軟な思考を与えるフレームワークとして、役立つからである。アメリカの内部から連帯してたたかおう!

40、求め合う敵同士の例。「敵」の作家(例、英国植民主義の提督でもあったスペンサー)を、アイルランド文学の「父」と定義し、敵味方の境界を破壊してしまう平和主義の戦略がある。同様に、アフリカの作家たちは、コンラット(ヨーロッパ植民地主義のシンボル的存在)を、アフリカ文学の父にする例がある


41、ここで問題提起。英語の国と戦争すると英語がつかえなくなったわけだが、漢字の国と戦争すると漢字がつかえなくなるのか?漱石が憂いた様に言文一致の近代文学の方向に沿って、漢文的エクリチュール性が剥ぎ取られてしまった漢字が中国大陸の表象と結ぶつかなくなったことがある。

42、また国際世論の非難を避ける為であったが、日本は中国において戦争はしていないと外国だけでなく自分達を騙したことがあった。だから、日本は中国大陸において問題を起こした歴史、そして領土問題が戦争によってしか解決されず、戦争が領土問題によって拡大した歴史をいまだに気がつかないままだ

43、最後に、なぜ、三十年代の武者公路の小説には「代表」という言葉が溢れるのかだ。これは人類を代表する文学者の責任への言及と解されるが、日本帝国は植民地の韓国・台湾・中国を「世界的に」代表する宣言とも読める。そうならば、代表されている人々の言葉を国内で禁止する意識が起きてこない。

44、友情は告げる;近代を超えたものは日本にある以上、ヨーロッパへ出発するのはただこの事を確認する為でしかないと。こうして三十年代日本の作家は無傷に自らの内部に閉じた。スペイン市民戦争での共産主義の絶望的な振る舞いから市民的自立性へ向かったヨーロッパ精神の成長を一切経験しなかった

45、三十年代日本ファシズムによる弾圧が熾烈を極め、日本における普遍主義の主張が同時代のヨーロッパほどには影響力を持ち得なかった事もあり、結果的にケンローチ「大地の自由」が呈示した問題を意識したのは、やっと五十年代以降、普遍主義という名の神話への反抗を描いた戦後文学においてである


64、ロンドンのナイジェリア人に、「売る立場、買う立場」の非対称性に関する言説を紹介した。と、<なに>を売るか買うかを一切捨象した抽象性は歴史の冒涜ではないかと彼は警告してきた。アラブ人とユダヤ人は売る立場、ヨーロッパ人は買う立場、その商品はアフリカ人奴隷。この歴史を忘れるな、と

65、鄭福根「荷(チム)」の感想。敗戦の年八月、強制労働と慰安婦を強いられた朝鮮人達は、浮島号に乗船した。しかし芝居「荷」が描いたように、彼等・彼女達の存在は、日本と朝鮮双方に都合が悪い歴史だった。経済を優先させた「復興」の為にと、米国資本主義のために働く駒として再出発するには、

66、そうした歴史の認識は役に立たないどころか、邪魔なものですらあったわけだ。この状況において浮島号爆沈が起きた。が、本当に起きたことは、隠蔽だった。つまり浮島号爆沈によって、歴史が、隠蔽され周縁化されてしまったのだ。「荷」は苦痛と治癒に関する物語である、と鄭福根氏は語っている。

67、つまり、歴史の開示は、単に隠蔽を剥がす認識以上のもので、人間が人間を愛していくプロセスにほかならない、と。強制労働と慰安婦は、<軍・官・政・財・マスコミ>一体構造によって推進されたが、今日における原発推進を可能にした同じ一体構造だ。何もも解決されていない現実に唖然としてしまう

68、鄭福根氏は言う。「日本軍による慰安婦の組織化は、私達の心に、人間であるがゆえの恥辱を植え付けた。アジアの女性達を慰安婦として働かせたこと、それをさまたげる可能性も力も持ちあわせていなかったという恥辱だ。こういう恥辱は過去のものではない。人間であるがゆえの恥辱は全く現在のもの

69、慰安婦は存在しなかったとする大臣の演説や反原発運動の有力な主催者達のネット発信や、また、楽天家のバラエティー番組的お喋りをきいたりするとき、私達の直ぐ前にその恥辱がある。たとえ困難でも、韓国と日本の民衆が直接自分達の責任において、歴史の開示と和解に関わっていくしかないだろう

70、洪成潭曰く、「〈光州〉がわたしたちにもたらしたもっとも大きな教訓は、都市において血と飯で結ばれた〈抵抗する共同体〉が実現したことだ」。「光州は棄民政策だった。福島もその様な棄民政策である。三十二年という時間をこえて、光州は福島のもとに蘇る。演劇の空間と俳優の詩の朗読によって

71、光州コミューンが福島に誕生する。福島は光州のもとに生きた文化と成る。福島は即ち光州。しかし現実に、福島からは光州がみえてこないのは何故か?日本政府の嘘が影響している。又日本国民は、核兵器が爆発したのに静かに沈黙し秩序を守っている。本当の沈黙とは秩序とは関係がないものなのに!

72、多分、光州で福島のような事故が起こり、しかも政府が嘘を言い続けるとしたら、市民たちは武装して、大統領府に進撃しただろう。日本の学生とマスコミは沈黙したままだ。抵抗なき沈黙の和。政府と国民との話し合いすら存在しないではないか。日本国民は静かに沈黙している。

73、この様にシステム化された堅い沈黙の和は何故生じるのか。おそらく、それは日本と韓国の歴史と無関係のことではないだろう。日本植民地主義の協力者達の歴史と関係しているに相違ない。“福島原発事故”は“福島核発電所の爆発事態”と呼ぶべきであり、国家の暴力は<言語の歪曲>からはじまる」


73、アートとデザインの歴史を見渡しても、ポストモダニズムほど論争を生んだ芸術運動はなかった。演劇性と理論性とが共に働く顕著な混合形態ゆえに、不安定なポストモダニズムに定義を与える事は不可能。スタイルは統一されておらず又はスタイル無きスタイルといえようか。文学はジャンルを越境した

74、陽気なデガダンス、何か空ろな華麗さ。ポストモダニズムに共通する特徴といえば、モダニズムの明晰且つ素朴なユートピア的ヴィジオンを遠のけようとする徹底性であった。たしかに、モダニスト達は開けた窓から新しい世界に辿り着けると考えた。彼方は此方から乗り越えるべき外側に分割されていた

75、それに対して、ポストモダニズムの方は、割れた鏡の破片の如く散布した諸々の断片から成る表層に他ならない。ポストモダニズムの中心的コンセプトが複雑且つ曖昧な言明と観念と状況の配置に依拠したのは、反権威的な抵抗を意図したからだ。この反権威的な抵抗は、1970年から1990年までの

76、二十年間に顕著な方向であった。スタイルの固定化を崩しデザインの領域にラディカルな自由を齎す中で、芸術自身の意義を問う自己意識が生まれた。が、199年以降はポストモダニズムは、運動初期において解体を目論んだはずの貨幣的権力の流通の内部のなかに、逆に自身が取り込まれてしまった

77.ダダ的前衛精神の継承者?ゴダールがポストモダン的「映画史」の制作を開始したのは90年代からだ。が、このゴダールを除いて、真に批評精神を発揮できたアートは稀だった。一方、日本においてポストモダニズムから影響を受けた思想の発展があった。柄谷氏よりも子安氏の仕事を私は注目している

78、90年代のポストモダニストの語りは「交通」が無い。彼らは代わりに「力」に訴え始める。デリダの脱構築論といえば、抵抗に定位した思想だ。が、新聞に哲学者として紹介された文ときたら、紺碧の空色のエクリチュールで単に脱抵抗を書き綴っただけの文。少数者に対する差別を正当化しかねない


79、歴史をふりかえってみよう。デリダの脱構築論といえば、二十世紀に絶対的他者としてのマルクス主義において極限を極めた、西欧的普遍主義を体現することの、犠牲を伴なったかくも厳しい規律を、移民達に、即ち、ヨーロッパの外から来た人々に担わせる事ができないとした懐疑主義から現れたのだ。

80、この懐疑主義の答えが、言うまでも無く、七十年代に産声をあげるマルチカルチュアリズム(多文化化主義)である。理論的には、マルチカルチュアリズムは、絶対の真理としての無誤謬性の象徴に堕したマルクス主義の普遍主義への反抗と一体をなすものであった。ポストモダニズムとの親和性があった

81、しかし所詮、そのマルチカルチュアリズムも始めから、内側に普遍主義を孕んでいた。それは、労働者階級に縁を切った、ブレアーの様な中流白人男性が王位を占める、国策的な文化政策だったと言わざるをえない。したがってやがて自由放任主義的なマルチ・ゲットーに転落しても驚くべきことではない

82、米軍によるアフガン爆撃とイラク侵攻の後、ロンドン地下鉄とバスの爆発が起きた。これに関しては、政府とマスコミが決めつけた「敵国」の報復によるものではなく、むしろ同化困難な移民達の暴動の側面が指摘されたが、誰の眼においてもマルチカルチュアリズムの決定的な終焉を印象づけたのである

83、サッチャー主義の到来とは、ポピュリズム的政治が主導するネオリベ的グローバリズムの導入と新植民地主義の復活を意味した。操り人形とまで揶揄された労働党政府だが、サッチャー主義路線追従で「保守党」化したことは事実だった。パニックを最大限に利用するー卑怯極まりないスケープゴートでだ

84、北アイルランド英国政府が強行した「令状無き拘束」よりも酷い弾圧があらわれた。信じられない事に、裁判なき追放刑という中世の拷問が復活したのだ。現在、移民系のマイノリティーの人々が要求しているのは、多様性を尊重したふりの現代的な文化政策などではなく、古典的な人権保障に他ならない

85、結局、移民の人々の要求しているのは、再び憲法を中心とした西欧普遍主義である。「市民」の見直しの方向にある。即ち、主権者たる人民の一員であり、出自も宗教も性別も問わない普遍的な政治主体を求めている点では、それは、小田実のベ平連的な市民社会の要求からはそれほど隔たったものではないだろう

86、日本の知識層による憲法改正試案は、精神共同体の要素として国を尊重し天皇を尊重し日本国籍を尊重せよと主張している。このが右翼と左翼の大連合をもたらすと説くが、しかしこのような大日本帝国憲法の復活では、古典的人権概念と市民の価値を確立できず、又在日外国人も消去され尽くしてしまう

87、私達を脅かすものの存在は、私達を互いに引き離すものよりも強力だ。その脅威はネオリベ的財界とTPPと東電の脅威のこと。旧憲法的デザインも新聞に発表されれば、在日や外国人にとっては事実上の脅威として働くだろう。それは、内容云々の問題をこえて、行為の問題に属する事柄なのではないか

88.明治憲法草案の民権家達の様に一人ひとりが憲法試案をつくれと説くのは言論の自由か?否である。一千万部発行の新聞が発表する試案は、もはや試案以上のものだろう。それは即ち事実上行為に等しい価値がある。差別とされる少数者達に現実の暴力を及している行為と等しいとみなさなければならない

90、歓迎されたものである。何故、このように、この思想家は、他者に向かって、Helloと言えないのだろうか?排他的な愛国者に迎合して振舞うのか?私の知る限り、ヨーロッパでは、ナショナリスト的なポストコロニアリズムの論客と、コスモポリタン的なデリダ主義者の間に激しい論争が起きる。

89、90年代ポストモダニズムを代表する思想家の仕事は、デリダのジョイス「ユリシーズ」の読解に負うている。<世界ー内ー存在>から郵便的に<Blooms-in-the-net >へ誘うテクスト論だ。思い返すと、初めてダブリンを訪ねたとき、Hello,Hello!と電話の挨拶みたいに

91、が、しかし、この対立する両者は共に、西欧の植民地主義に対する徹底した自己反省を共有するから、この90年代ポストモダニストのスターのように、簡単に十九世紀的軍国主義への回帰に酔うしれることは起きないのだろう。知識人としての責任を自覚する以上、当然といえば当然のことなのだろう

92、今日私達がバラバラになっている原因の一つに、交換価値的正義が崩壊している現実がある。「左右大連合」と呼びかけるならば、なぜ憲法試案に同一労働同一賃金の言及がないのか?天皇を尊重せよだけでは・・・。昔の記号論的消費論も交換価値的正義を排除的に囲い込みこれを消去して満足していた

93、私達はリゾーム的普遍主義か?楽観的に八十年代にこれを「ネット社会」と思い込んだ者がいた。ソフトな繋がりに過剰に期待したのだ。彼等はハードな繋がり(例、ウォール街占拠運動)を伴わせる事の意義を見落とした。又孤立化、周縁化、特異点化において生じる排除に対する闘いを欠いては、「草」が出口に変容しないことも気がつかない

94、それなら我々の憲法は何か?我々はインターネットの場だけでなく、国会を取り囲む街頭で、人間の鎖において答えようとした。言葉と言葉を繋ぎ手と手を持ち合うこの自由こそ至高の抵抗と考えていた。間違ってはいなかったが、現在大きな壁にぶちあたり克服しなければならない問題と向き合っている

95、郵便的憲法改正試案や憂国の猿芝居「維新の会」が大日本帝国憲法を持ち出すのは、ポストモダンといえる滑稽な身振り。彼らの玩具である帝国憲法と、現在の中国共産党が自己に対する批判を封じ込める為に称賛し始めた似非「新儒学」(調和的沈黙の徳)。より酷い拷問を人々に与えるのはどちらか?


96、新憲法ー旧憲法=天皇大権、といえる。歴史的には、国王大権は王政復古のとき自分の亡命を尽くしたカトリック信者を罰する法律の効力を国王が停止した事件が最初?原発の前では国民は臣民ですらない程惨め。その上大日本帝国憲法が復活したら、人権が停止された君の所に令状無しの拷問が来るよ

97、存在とはなにか?ドン・スコトゥスとアルトーは、この石が分割不可能であること、この身体が分割などはできはしないことを主張した。存在の問題は、分割不可能性と関係している事を見抜いていた。同様にスピノザ「エチカ」によると、自然たる神は分割できないゆえに、存在と関係していると考えた

98、ハイデガーは普遍主義を存在論的に攻撃したあげく、結局はネガティヴな瞑想に、君が代的「世界内存在」に後退した。しかし天皇主義的ゲットーの分割を破壊せずして存在の開示性などは成立するはずがない。普遍主義的な自然=神の内側で生成される多様性(差異)を抱きかかえる努力こそ存在なのだ


99、ネオリベ政治家達は朝鮮学校への補助金見送りを決めた。周縁化・特異点化・囲い込みの暴力だ。この捏造された<わたしたち>と<かれら>の分割は、「存在とはなにか?」という開かれた問いを倫理的に不可能にしてしまう。現実の試練を受けて、「アンチオイデプス」の読み返しが必要とされている

100、自由の為に連帯を求める愛が、隷属に転落してしまうこと。この矛盾は、スピノザによれば、行き過ぎた愛の崩壊によって生じるという。いつ人々は差別主義者の憎しみを棄て、愛のもとに戻ってくるのかだ。<他者>を排除し動物の如く生存するだけの孤独に耐え切れなくなったときではないだろうか

101、つまり、人々は、効率の名のもとにただ動物の如く生存するだけの惨めな孤独に耐え切れなくなったときに公共空間に帰還する。これはウィトゲンシュタインの私的言語批判の新しい解釈を喚起する考え方で、commonwealthとネグりとハートが強調する公共性の意義を説明した考え方である


102、フェミニズムの主張を全面的に支持する。厄介なのは、人種と性のマイノリティー達が権力に参加したオバマ政権が齎した問題と同じ問題に直面し始めた。権力の中心に座すエリートの発言を受け入れて「男性も女性もない」とすると、反差別の闘争は可能かー現実に男女間差別が存在するにも関わらず

103、ポストモダニズム的には、人種も性も階級も存在しない。例えば「男性も女性もない」とする考え方に拍手喝采したい。何故なら差異の戯れの彼方に、もはや「男性は女性と成り女性は男性と成る」ゲームしか存在しないから。九十年代にそう信じ込まされてきた人々は「左も右もない」と言っている

104、差異の戯れというのは、差別の撤廃の後にしか現れないものなのだ。再び同一性のアイデンティティーから出発する必要があるのだー現存する差別と取り組む為に。同一性を自己目的化せよと言っている訳ではない。むしろ同一的実体が権力的秩序になる前に、それを創造的に破壊することが課題である

105、開かれた問いかけthe opened question、多種多様な小さな人間の声たち、相異なるアイデンティティーが交差する場所、即ち自然成長的に発展していくデモだけがこの私達を<他>に発展させてくれる力ではないだろうか。シングルイッシューによる制約が間違いである理由なのだ

106、「アンチ・オィデプス」による記述が豊かなだけに、脱領土化のプロセスが、自動仕掛けの如く起きるとする誤解も招く。なぜ、続編「ミルプラトー」において、ノマドの力が強調されたのか?いまほど、この理由を考えることの大切なときはないだろう。原発テクノロジーは自ずと終わるはずがない。

107、アトム的に「小さな人間の力」が「大きな人間」を正すこと、即ちわれわれの声の再領土化だ。市民的介入による決定的な生産的切断が必要だ。運動なくして、領土化から生じる別の革命的なプロセス、即ち脱領土化も自ずと起き得ないー反戦と反米軍基地であれ、反グローバリズムと反TPPであれ!


108,109,110


最後に、FINNEGANS WAKE JOYCE

マーク王のもとに召喚された、三つのクォーク!
王の号令は届かぬ。号令が届いたとしても、徴(mark)とは違う所に集まる
雲雀だった奴は王たる鷲として君臨する/コワ(quoi)コワ(quoi)と鳴く老いたマーク王
暗闇でシャツを探して飛び回り、パーマーズタウン公園で狩り、斑ズボンを探す姿
ホーホーホー、抜け毛マーク王
奴は酔いどれ阿呆船
ノアの箱舟から飛び立った使徒の鳩のくせに、女の尻を追い回すお山の大将
愚者達よ、トリエステ魂を炸裂させよ!
瞼が羽ばたきする間もないほどの速さで
これが、あの物書きが名声と銭を稼ぐやり方さ
(本多訳)

Quoi? Quoi? Quoi? 

クォーク三唱とはもちろん、 反原発と反米軍基地と反TPPのこと

Quoi fair ?(なにをしよう?)
Pour quoi faire ? (なにをするために?)
C'est quoi? (そりゃ、いったい何だい?)


112、小さな人間の声は即ち事件性なり。この事件性からの招待状は大歓迎、もし構造からの招待状ならば即ゴミ箱行き。原発推進派一体構造の様に、構造が齎した問題の解決は、再び構造に依拠することによっては、不可能だ。事件性だけが、他者だけが、構造の反復を終わらせる。市民的介入こそが事件性だ

113、現在の段階で、頭巾をかぶった俗悪なのものが人間の声を模倣し始めたことだ。つまり、政府が大手マスコミを通じて世論操作する「意見聴取会」と「パブコメ」、日の丸官憲主宰の様相を呈す「シングルイッシュー」の祈祷集団は、小さな人間の声を盗んでいる。構造からの招待状を撒き散らしている

114、この盗賊団のように、構造が齎した問題の解決を再び構造に依拠することは何を意味していくのか理論的に説明できる。つまり、構造が齎した問題の解決を再び構造に依拠することは、結局、構造=構造と言う最悪の同義反復の悪循環に陥ることである。ここに、書くことと語ることの分裂の秘密がある

115、言い換えれば、救済を約する「声の語り」に対して、なぜ「書くこと」は懐疑的な距離をとるのかである。結局、事件性が回答である。声の語りが、構造が齎した問題の解決を再び構造に依拠するまさにこのときに、エクチュールは批判として同義反復の悪循環に陥ることをみることができるに違いない

116、「資本論のバイオグラフィー」はいかにマルクスがイギリス文学に憧憬を抱いたか明らかにしている。マルクスは、文学者であることの特権性をもって、「資本論」を書く。そうならば語る力とエクリチュールの分裂の映像はマルクスにおいて繰り返されただろう。その映像は彼をとらえて離さなかった

117、貨幣とはなにか?と、声の力は、貨幣の内部から貨幣それ自身に即して回答をさがす。だから、貨幣が貨幣であるのは貨幣が貨幣であるから、という回答以外はみつからないだろう。確かにそれは救済への道標を示しているーただしブルジョア市民社会の成立にとっての救済でしかないように思われても

118、エクリチュールは声の場の傍らで疑う。かくも、構造が齎した問題の解決を再び構造に依拠することは、貨幣=貨幣という同義反復の悪循環に陥ることでしかないはずだと。そもそも貨幣の内部から貨幣自身に即して発言する態度はナショナリズムである。領土拡張主義者の独りよがりな叫びの類だろう

119、しかしこのテーマはもっと後で論じることにしよう。ここで、回り道かもしれないが、われわれの思想の肖像に、ヴィットゲンシュタインを導入することにしたい。アイルランドにおいてヴィットゲンシュタインの編集した哲学ー写真アルバムは、思想の肖像に、構造と事件性の間の分裂を表現していた

120、かれはアイルランドにおいて遺書を繰り返し書き、その数は数十にも上るという証言がある。この事実はいったい何を物語るのだろうか。アイルランドは彼にとって、いわば死の島であったのではないかと考えるものがいる。また、アイルランドは、パスカルが語った、生者に付き添う不可視の死の棺、

121、とでもいうような、目覚めて始めて連れて来られたことを悟る、荒野たる無意識の領域だったのではないか、と考える者もいる。たしかに、かれが滞在した西海岸突端のキラリー湾の入り江は、地図を片手にしても場所を確認することが用意でないような辺境地である。このことが象徴するように、

122、彼が敢えて選んだアイルランドという場所は、表象の空白とも、非連続的崩壊とも表現できる、いわゆる、死の間隙が刻み込まれた観念、とみなされるだけでなく、かれに天才という徴を付与する場所であった。天才ゆえに、「奇妙だ、ここでは誰ひとり声をかけてくるものがいない」と呟いたのだと。

123、バイオグラファーが殊更強調する、孤立した記号となった天才哲学者。。アイルランドのキラリー湾を、物自体として、すなわちあたかも超感性的な領域として思い描くかもしれない。それは、いくら無辺際にして、しかも近寄りがたい土地とはいえ、本当に交通は存在しなかったのか疑うべきである

124、私は二度ここのを訪ねたことがあるけれども、ことさら、その土地は実際は、カントが語るように誰も所有し得ないような土地だったというわけではなく、住民、すなわち他者がウィットゲンシュタインの近傍に存在していたことを書き留めておきたい。 「探究第一部」は、ランダムな中断と継起、


125、そして持続的な反復である思考の形式から成り、文字で描いた風景スケッチといもいえる修辞を多用しているが、この傾向はむしろ「探究第ニ部」において顕著となり、その文学的な叙述の性格をより適切に示すものであるといえる。私は、想像力を駆使した、小説の修辞として特徴的な、


126、この一人称視点の表現の遊びがアイルランド滞在の間に発展していったことに注目する。果たして、ロマン主義が描き出すステレオタイプの如く孤立したひとが、かくも豊かな視点を書くことができるものなのだろうか。例えば、「哲学の全霊魂が言語像の一滴へと凝縮する」というような、

127、憂鬱でエロティックな表現に触れる度に驚きを禁じ得ないのである。ウィットゲンシュタインには、ラッセルが執筆した自身の著作「論理哲学論考」の序文が心底不愉快であった。そこには、階層や体系、意味作用の全体、という安定した表象の中心に向かうプラトニックな強迫観念

128、いわゆるヴィクトリア朝帝国の腐臭というものがいやらしくこびりついていた、というわけではあるまい。たんにヴィットゲンシュタインはラッセルの解説を序文として配置したことに不満を持ったと理解したらいけないのか。つまり、これはあとがきとして置かれるものであったと考えたかもしれない

129、語りえない事柄は沈黙をという最後の言葉は、沈黙に通じる語りの力の再生を暗示すると同時に、救済の未来に浸った内に秘めた禁じえない一定の熱狂を含んでいる。が、決して単純ではない。それを補うラッセルの序文は、エクリチュールが綴る距離としてこの救いを疑う批判でなければならなかった

130、ウィットゲンシュタインは、自身の思考を、生と死を、性を、アイデンティティーの全てを、ラッセルが到達出来なかった未知の境界の彼方に置いてじっくりと見つめたかった。大きな犠牲を払ってアイルランドに来たのは、イギリスでの西欧の中心に縛られて来た立場が解放されると考えた事は確かだ

131、思想の価値はどれくらい犠牲を払ったかによってきまると言うとき、、ウィットゲンシュタインは、思想そのものよりも、思想の価値を問うていた。つまり、思想の内部のなかにいくら深遠な真理と解釈を与えてたとしても、そのことをもってして、世界思想たり得ないことを彼は鋭く見抜いている。

132、どのような思想も、交通とマルクスが呼んだものを欠いては、神秘化か土着化していくだけだ。そうして、グローバリズムの原型をなすヴィクトリア朝産業社会に対して反抗したイギリス文化人達は、職人的な中世世界を称賛する方向に神秘化していった。ヴィットゲンシュタインはこの点で違っていた

133、端的に言って、アイルランドは、イギリスとの関係において、交通をなすものであった。だから、アイルランドを読むことは、ウィットゲンシュタインを読むことだ。と同時に、イギリスを読むことでなければならない。イギリスの40年代から50年代は、戦前の30年代との連続において現れるが、

134この歴史から離れては、40年代後半におけるウィットゲンシュタインのアイルランド行きが実現したはずもないだろう。歴史からの影響を無視してしまうのは、捏造された天才概念と同じ間違いを踏むことになる。芝居からこの歴史の流れを見事に証言しているのは戯曲家アーノルド・ウエスカーである


135、ウエスカー「ぼくはエルサレムのことを話しているのだ」は、この芝居はイギリス東部に位置するノーフォークを舞台にとっている。ノーフォークといえば、英国が英国である根拠、言い換えれば英国の起源が記憶される場所。アングロサクソン人とデーン人の侵入があった後に、

136、ノルマンディーの征服王ウイリアム一世の土地調査書によれば、(ここは)中世の全イングランドで人口が最も周密で最も裕福な地域だったと記録されている。イギリス人の記憶するこの聖地?に、だが、ウェスカーは二人のユダヤ人、即ちディヴとアダを導入してみせたのだ。これは思考実験であろう

137、さらにイギリスの観客が衝撃を受けるのは、この導入されたデイブとアダが、驚くべきことに、他でもないロンドン東部にあるイーストエンドから来た人々という大胆な設定だろう。簡単に説明しよう。イーストエンドは、本来シティのなかに定住を許されなかったユダヤ人達が集住した地域である。

138、このイーストエンドは産業革命以降スラム化し、労働者階級の反抗的なエネルギーが沸騰し続けた場所として存在した。ウェスカーの他の芝居「大麦入りのチキンスープ」は、彼の出身地の人々Eastendersのなかには、スペイン市民戦争に自発的に志願した人々がいたことを証言している。

139、彼らは、フランコの全体主義に反対した。これらは、イーストエンド出身のウェスカーの自伝的な戯曲らしい。労働党が中心的役割を持てるのは、やっと1950年代になってからなのであるが、この50年代は、イーストエンドを介して、1930年代に連続的に繋がっていたことが明らかにされる。

140、端的に、「方法としてのイギリス」とは、ノーフォークとイーストエンドを思考的にモンタージュする方法である。つまり、30年代のイーストエンドの人々の闘いは、50年代において継承されていったーただし、他の場所で、他の方法で、だ。やや図式的に整理すると、

141、ノーフォークというのは、「イギリス」を「イギリス」の内部から「イギリス」に即して(同義反復的に)理解した人々の「イギリス」だとすれば、結局、イーストエンドは何であろうか?恐らく、イーストエンドとは、「イギリス」を外部の立場から批判的に眺める人々の「イギリス」のことだろう。


142、ウェスカーが導入したディブとアダがそういう人々である。ノーフォークは、平均的イギリス人がロマンチックに酔うほど「エデンの園」的な場所ではあり得ず、他方、(同化を拒む)ユダヤ人が酔うほど「エルサレム」ではあり得ない。ウェスカーが呈示する「方法としてのイギリス」はここに極まる

143、つまり、それは、事件性である他者(ユダヤ人)を導入する事によって、イギリスを自己同一的な実体とみなす幻想を相対化する方法にほかならない。結局、ウエースカーの芝居では、ノーフォークといえども、そこはイーストエンドと連続的に繋がっている。つまりこれが演劇において呈示される方法としてのイギリス、Here and Elsewhereだ

144、つまり、イギリスの至る所が、ノーフォークであり、イーストエンドなのだ。ちなみにこれはブレヒトが考えた演劇の構造に通じる。(ソシュール的に説明すると)、演劇の言語というのは、全ての要素を一緒に機能させる。そこで
は、どの要素も価値として、他の要素との同時的共存に依存している。

145、もし依存というものがなければ、関係における作用と反作用もないし、相互作用が起きる事はない。どのキャラクターも全体の構造のなかに存在し、絶えず他へ移り行く。場合によっては、この構造からも離れることも起きようか。俳優は止まらない。ノーフォークも然り、イーストエンドも然り、だ。

146、アイルランドは、イギリス人の間でアダムとイブのエデンの園の様に表象されるのが常である。そうならば、結局はノーフォークは、イギリスの内部に投射されたアイルランドにほかならない。思想の肖像から展望すると、40年代のウィットゲンシュタインはウエスカーの舞台において蘇るのである。

147、反原発派が強調する"生命"は、反理性の代名詞となっているが、われわれは反理性である必要があるのだろうか?例えば、「シングルイッシュ」が失敗しているのは、効率が悪い間違った訴え方だから失敗しているのではなく、不合理な従属性(=礼儀正しさ)と結びついているから失敗しているのだ

148、たしかに、反原発運動は、合理性に対する抵抗に依拠する。理性それ自身の欠陥を鋭く意識している。だが単純にそれは反理性の側に立つということにはならない。また、"生命"の強調は受動的依存性に帰するという非難に対しては、われわれは受動的依存性をネガティヴに考えてはいないと答える。

149、受動的依存性というものが、合理性の領域の外にあるとする誤解がある。スピノザ的には、デカルト的合理性から出発しても、受動的依存性に至るのだ。例えば、ネオリベ的グローバリズムの自己保存的武装化をみよ。この弱肉強食のマーケット競争は「痛い!」とウィットゲンシュタインが呼んだ私的な感覚、即ち耐え難き孤立の感情
に導く。必然として誰もが出口を求めて社会化への方向を目指す。この社会化を世界宗教と呼ぶかどうかは名前の問題に過ぎない。反原発運動の鍵は徹底的に国際問題化できるかどうかだと思う。ネオリベとは異なる国際舞台である。原発問題の解決は国家の内部から国家に即して考えることは不可能であるしまた倫理的にも許されない







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3・11以降の思想の肖像 (5)  われわれはどう思想を論じようとするのかーデモンストレーション 言葉と表現と射影のブログ/BIGLOBEウェブリブログ
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