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zoom RSS ALSO SPRACH OWLCAT ふくろうねこ、かく語り き  2014年6月後半 2, +7月

<<   作成日時 : 2014/06/25 03:32   >>

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安倍はグローバルなブルジョアの成長の夢に憑かれたフランス革命を継承した近代である。また同時に、この彼に根差す上流階級の反近代性と反民主主義性がナショナリズムも支えている。厄介なことに、靖国公式参拝を止めなければ集団的自衛権もナショナリズムの一部である。結局、この相矛盾する二極 <構造>の下で、安倍内閣支持率が十%や二十%台まで下がることが起きない。 かくも<構造>に巻き込まれたまま、地球環境という共同体の身体にとっての外傷を拡大させていくばかりだ。永遠に巻き込まれるというこの現在を止めることがこれほど難しいとはだれが予測できただろうか?

Séxism is the poster recruiting personnel for the army.

No Orientalist text is complete without a ritual infatuation on the part of the narrator with some mysterious woman of the native tribe. An infatuation often experienced by the wayward son who is sent to an outpost because he can find no suitable job or partner at home. (The recession is making it impossible for young Japanese to find a job .) The woman, like the colony (Japan's dependency on America) , is a mystery to be penetrated.

世論調査の反対 ; 反対デモ人数 = 五〇%ー六〇% ; 3万人から6万人。それにたいして、世論調査の賛成; 賛成デモ人数 = 70% ; 3万人以上、でなければいけない。ところが実際には、ゼロでした。実際に安倍内閣とかれの内閣決議を応援していた者の姿を街頭でみませんでしたよ。読売と産経の世論調査のかくも多い賛成者であれば、街頭に千人ぐらい存在していたとしてもよさそうなもの。これはなにを意味するのか?世論調査とデモとの間には比例的関係がないか、それとも単に、読売と産経が行っている世論調査に大きな操作があるということが考えられるのではないでしょうか?


自衛隊CMと植民地主義言説との共通点は三点。

1、夢中な語り手が原住民女性('AKB')を連れ伴って報告すること。

2、神秘化された女性が植民地('日本')の表象をなすこと。オリエンタリム。

3、仕事につけず帰ってきた息子('不況下の若者') が 母国の植民地化 ('米国による日本従属化') を推進する臣民として生き生きと描かれること

万世一系は国策ファンタジー。逆に、万世一系はこれを文字通り貫くと天皇家は自動的に消失します。だからかえって、万世一系でやらせておけばいいじゃないかともおもうのですがね。 「日本」のオリジナル・ブランドも、アメリカに対抗してつくってできあがったものばかり。例えば、近代の言説においていわれてくる、'真っ直ぐ'な精神も、アメリカの強い個人主義に対抗した国策ファンタジーでした。(古代とは切断があります。) そして究極の'真っ直ぐ'が特攻隊の精神(コワッ)。これとて「敵」に対抗して成り立つことができたエートスのファンタジー。あえていうと、百田や田母神の主張も存在も、はじめからアメリカ人の発明。対抗だから、簡単に同一化していく。ただし勝手にかれらが都合よく思い描く仕方でしか同一化でなきないということがポイント。穢れゼロと拝金主義、この両者は、百田や田母神において奇妙なバランスをとっていますが、最終的に彼らの住処は拝金主義のアクセント。これ以上要らない、迷惑なだけの反転した曲がりくねった電波うんち (笑)。

ちなみに劉暁波が言っていたことですが、中国の歴史というのは、国が滅びても中国そのものは無くなることはなかったと。だから仮に共産党の政府がなくなったとしても、それにかわるなにかの政府ができるのだから心配するなと。この国についても同じことがいえますね。自民党がなくなっても、なんの心配も必要ないでしょう。ノラねこの帝国がきますから!

逆に、万世一系はこれを文字通り貫くと天皇家は自動的に消失します。わたしはフェミニズム・グループに、万世一系でやらせておけばいいじゃないかといいたいぐらいなのです。大体、「日本沈没」の「日本」も、アメリカに対抗してつくったものでしょう。例えば、近代にいわれてくる'真っ直ぐ'な精神だって、アメリカの強い個人主義に対抗してつくられたもの。(古代とは切断があります。) 究極の真っ直ぐは、特攻隊の精神になるわけですが(笑)、結局は、アメリカ人のおかげでつくることができたエートスみたいなものです。特攻隊精神はアメリカ人の発明。そんなものは「沈没」したって全然かまいませんがね。

なぜこのコピーが32年前にできたかということをかんがえることが大事なんだね。1982年は、中曽根内閣が成立した年。実は自民党はこのときから、三十年かけて、遅くとも五十年以内に、解釈改憲によって、集団的自衛権と徴兵制、そして核武装の体制を推し進めていくと明言していた。今回のことは、安倍が意のままに思いつきというわけではないから、目をつぶっていれば、台風が過ぎていくような災難というものではない。非常に用意周到に計画されつくしたものなんだね。だから、この恐ろしい戦争体制に抵抗していくには、これから生まれてくる人々も含めた、世代を超えた協力が絶対に必要となってくるとおもうよ

なぜこのコピーが32年前にできたかということをかんがえることが大事なんだね。1982年は、中曽根内閣が成立した年。実は自民党はこのときから、三十年かけて、遅くとも五十年以内に、解釈改憲によって、集団的自衛権と徴兵制、そして核武装の体制を推し進めていくと明言していた。今回のことは、安倍が意のままに思いつきというわけではないから、目をつぶっていれば、台風が過ぎていくような災難というものではない。非常に用意周到に計画されつくしたものなんだね。だから、この恐ろしい戦争体制に抵抗していくには、これから生まれてくる人々も含めた、世代を超えた協力が絶対に必要となってくるとおもうよ

ドイツ・チーム GERMANY

<ストライカー STRIKERS>
マルクス MARX, ニーチェ NIETZSCHE, アーレント ARENDT.
ライプニッツ LEIBNIZ

<ミッドフィルダーMIDFIELDERS>
ハーバマスHABERMAS,フッサールHUSSERL, ベンヤミン BENJAMIN
ハイデッガー HEIDEGGER

<バック BACKS>
ヘーゲル HEGEL,アドルノ ADORNO,シェリング SCHELING,カント KANT

フランス・チーム FRANCE

<ストライカーSTRIKERS>
ヴォルテール VOLTAIRE、フーコー FOUCAULT、ボーボワール BEAUVOI、
ファノン FANON

<ミッドフィルダーMIDFIELDERS>
デカルトDESCARTES、ドゥルーズDELEUZE、ベルグソン BERGSON
メルローポンティMERLEAU-PONTY、

<バック BACKS>
パスカル PASCAL、サルトル SARTRE、バディウ BADIOU、モンテーニュMONTAIGNE

寸劇 フランス vs.ドイツ

アナウンサー「フランスのポスト構造主義は、ゴール前で守っているドイツのポストカント派を崩せるか....???」
解説者「二十年間かんがえないとわかりませんなあ」
アナウンサー「あ!ヘーゲルがインターセクトした。ボールをそのままカントへ。カントから、ローング・パス!」
解説者「ストライカーのマルクスに繋がるか、これは三十年間はかんがえてみる必要がありますよ!」
アナウンサー「あー、と、だめでした...」
解説者「トランスクリティークのようには行きませんね。サルトルがボーボワールを連れてカフェですか?お昼の休憩で4 時間は帰ってこないでしょうな。試合はまだ10分もたっていないのに」

中近東の米国のヘゲモニーは依然と。しかし、歴史の大局からみると、植民地主義の大国の前線が、ベトナム戦争とイラク戦争によって、確実に後退しはじめていることは確かだ。単純に一直線には進行してはいかない。が、イラク戦争は米国が初めて撤退を余儀なくされたのだ。この点についてチョムスキーは、当時の世界同時的な反戦運動が外交政策の占拠の様相を呈したという。この時代に、政府同士が決してやらない軍縮に、市民が主導権をもつチャンスが来たとはいえないだろうか。今回の集団的自衛権の政府の暴挙にたいしては、市民一人ひとりが初めて平和憲法を利用して国の外交政策に介入しデモによって占拠していくという可能性が生まれてきた。そのためには、自民党の<選ぶ>民主主義と、<祀る><戦う>国家を終わらせること。かわりに、困難を乗り超えて、アジアにおける市民の<話す>民主主義を始めること、<祀らない><戦わない>国家を始めることではないか

ニューヨークタイムズ紙によると、「為政者が憲法の全部または一部を停止もしくは猶予する行為」は「セルフ・クーデーター」。'解釈改憲'というのは、「憲法を個人の意のまま変えようとする」犯罪を構成するとみる。します。だから「安倍首相を最高裁で裁け」。最高裁がそれをしないなら安倍の共犯者

非常に運営予算が少ないのですが、8年間毎日通ったアイリッシュ・フィルム・センターというEU基金の映画館には、常連の車いすのひとが一人(ジョン)きていて、事実上彼の一人ぐらいしか利用しないのでしょうけれども、障害者のためのアクセスを確保するという理想をもって、三年間かけて工事していたのは凄いと思いました。日本から見学しにくる人々は、こういうところをきちんとみますよ。ただし30代以下ですね。


一般には、この顔だけを切り取った写真が流通しています。(お髭はロシア的神秘主義なんですが・笑、この髭を取り除くとアフリカ系か、インディアンのような亡命者マイノリティーの雰囲気)。が、驚くべきことに、全体の姿をみると、イギリス人にむけて、よき父、よき夫を演じた、いわゆるヴィクトリアン朝の典型的な肖像写真のポーズ。(こういうスタイルは、スペインのヴェラスケスが確立した王の肖像絵画の様式に負う。) 市民権取得のために、ヴィクトリア女王に儀礼的に忠誠を誓う手続きに反発していたマルクスではありますけど、当時のロイヤルファミリーの肖像写真と同じポーズを得意に取っていることは見過ごせませんー写真家の美意識で説明だけでつく事柄とは思えません。これは、フェミニスト・グループにおいて色々な意味でもっと批判的に論じられるべきポイント。この写真は、同化主義に屈辱を感じながらも、マルクスのもっていた強い中流意識の割れた鏡。写真というのは、憲法と同じで、それ自身のうちに矛盾をかかえています。こうした矛盾は、写真の内部のなかから内部に即してみるだけでは現れてきませんが、外部から写真をみると不気味に現れてくることがあります。スターリニズムにおいては人類の貢献者マルクスは偉大な祀られた死者ですが、わたしには、これが、祀られなかった死者の顔にみえます。


衛官募集案内と一緒にきた集団的自衛権のパーティー券はね、「自衛」のためと称する人殺しの招待状ではない。米国のために行う人殺しの招待状なのさ。え?平和のためならアメリカのために人殺しもあえてするだって?そりゃ大変ご立派、拍手!でもね、長期的には、かならずアメリカのある部分しか支持しなくなる戦争に巻き込まれていくあなたの人殺しは、時間がたつにつれてだんだんと、米国のためとすらいえなくなる人殺しとなるんだけどなあ...

今回の希望としては、新たに若い人達がデモに参加してきたこと、ファシズムの問題提起する人々が現れたこと、最後に、国際報道が味方していることですね。私は諦めていません。憲法は依然として大切。だけれどね、イギリス人の反体制的な知識人なんか'憲法をまもれ!'とは言わないのはなぜか?書かれた憲法すらないですから、いやまじめな話、近代憲法の500年の歴史をもつ彼らはそこに依ると、型にはまってしまうことをよく知っているからでしょう。決して有利にならないと。同じたたかい方をして同じ敗北は繰り返す必要はありません。残念ですが今回のことは、大江的9条の会的な抵抗では死守できなかったということではないでしょうか。解釈改憲で敗北し続けていくのに、憲法の言葉が守られているかと裁き続ける。事実上自衛隊がアメリカ軍の一部になっても、憲法の言葉のおかげで戦争にならないと安心する。絶対平和主義をいう安倍にたいして、平和をまもれといっても'たたかい'にならないこともわからず、日本語を破壊していると非難を浴びせる。しかし、運動の側は、安倍との差異をつくるためにも、安倍がどんな国家像をもっているのかさっぱり見えてこないというところを徹底的に批判できなかったのでしょうか?例えば、アベノミクスの破綻は明らかなのに、成長の夢が彼を支持していく。この成長の夢をもって、何がしたいのか、この人の軍事国家は?と問い、問い続けていくしかないではありませんか。それはしないで、モラル的に、'九条が自衛隊員の命をまもる'とかいう伝説に拘泥していては (自衛隊に殺される人には空しい言葉) 、一定の啓蒙効果はあるにせよ、全然足りなかったということです。


憲法を守れ、というのは妥当な主張ではあるけど、響くものがない。 戦争をやめろ、というのも漠然としすぎている。
結局のところ何に反対しているのか、反対しなければいけないのかよくわかっていないのではないかと。
そして、その掴みどころのなさ、というのもラディカルであること、社会の中に敵対・対立を認めることへの忌避から来たもののなのではないかと。



本多 敬 今回実感したのですが、憲法を守れ、という人々は、自分が模範を示そうとして、法律を守る。そうして、警官にぺこぺこと挨拶をしている。'お願いします、お願いします'といいながらゲットーつくりみたいな権力の行使にたいして、「お仕事をなさっている」などというのですね。わたしの抗議を遮ってくる。これはまったくバカげています!あなたたちは安倍の一部だ!というと、怒るから、自覚があるのでしょう(笑)。結局モラルと秩序だけがデモにしかなくなってきました。


学徒出陣が加害者としても問われてきたのは、60年代からではないでしょうか。被害者民衆史観は反動的なものです。(大島監督は嫌ったのですね、可哀想な日本人を描くに日本映画を)。またそれと関係があるかもしれませんが、残念ですが、今回のことは、大江的9条の会的な抵抗では死守できなかったということですね。解釈改憲で敗北し続けていくのに、憲法のことばだけが守られていけばよいとする。自衛隊がアメリカ軍の一部になっても、憲法の言葉のおかげで戦争にならないとおもいこむ。憲法をまもるといっている安倍にたいして、憲法をまもれということが'たたかい'にならないことがわからない。結局、安倍との差異をつくるには、かれが守ろうとしている!?憲法においてではなく、実はかれがどんな国家像をもっているのかさっぱり見えてこないというところを徹底的に批判していくのが大事。なにがしたいの、あの人の国家は?と問い問い続けていけばいいのに、憲法のことわざごっこでしょう?たとえば、'九条が自衛隊員の命をまもる'とかきかされました (殺されていく人がきいたらどうでしょうか?) 大江は大江のおぞましいラディカルさがありますけど、かれを称える護憲派のひとびとですね、問題は。ただ、国際オンチの上流階級の方向に歩み寄っていく、保守中道が身にまとう知的なモラルと秩序に近いという。ここで誤解がないようにと、憲法は依然と大切なことには違いはありませんと書いておきますが、だけれどね、イギリス人の反体制的な知識人なんか'憲法をまもれ!'とは一度もいいません。書かれた憲法もないですから(笑)。あと型にはまるのがいやなのでしょうね。とにかく、同じ敗北はくりかえす必要はありません。今回とくに、若い人たちがデモに参加してきましたしね。

われわれは本当にだれが'焼身自殺'したのか
知っているのだろうか?

焼身自殺というものについて、週刊誌的人生相談の語りで対象の内部の中から内部に即して語っていては、あまりに思考が欠如してはいないだろうか?そもそも誰が焼身自殺したのかを根本的に問うことも必要となってくるとおもう。そしてそもそも、現在この文脈で'焼身自殺'という言い方に欺瞞がないのか、と?たとえば、憲法が自ら行った自殺爆弾の類だったかもしれないし、その憲法は、自らの死を前に、街頭の無関心の人々ー将来徴兵にとられて他の国の人々を殺す宿命をもつ人々に怒りを覚えかれらを殺そうとしたかもしれない。けれども、'人を殺すかなれ'という自らの崇高な平和主義の理想を貫いた、と人間的に考えることも決して不可能ではないのだから。究極的に人間について考える人間においては外部の思考がもっと必要とされてくるにちがいない。

昨日は地下鉄出口で、警官でもないくせに同じ身振りで、「官邸前は満員ですからあちらへ行って下さい」と官邸とは反対の方向に誘導していた男に、「遠ざけては無意味だ。反対の方向に官邸があると思っている人すらいた」と告げたら、女性達に囲まれた。「邪魔をするな」「あなたとは口をきかぬ」という

経済学者のケインズによると、政治家は案外と, 子供時代に読んだ荒唐無稽の小説に影響されている。安倍と彼のうんち友達も子供時代にサンケイがテレビ放映したマンガ叙事史に巻き込まれたままとしたら?そのまま大きくなっちゃった、偶像のうんち達に触れるな!金箔で汚れるから、と警告したのはたしか君?フロベールでしたか


伊藤仁斎とマルクス

森嶋ノイマンモデルとは、マルクス経済学に近代経済学を適用したモデルのことである。その均衡成長率は、貯蓄性向(支出構造)と剰余価値率(分配構造)と資本の有機的構成(技術的構造)とによって規定されている事を示した。現在に役立つ視点がある。ラディカルにかんがえると、森嶋が再構成したマルクスの式は、理論理性が、地球持続可能性が無限小になるまで、資本の有機的構成と剰余価値率が共に無限大になり得ることを証明ているとも考えられる。ここで、カントから考えてみよう。実践理性は、他者を道具にせず人格として尊重せよ!と命じる。理論理性はマルクス・モデルのこと。理論理性は、前述したように、地球持続可能性が無限小になるまで、資本の有機的構成と剰余価値率が共に無限大になっていく現実の道具的世界のメカニズムを呈示した。一方、実践理性的には、資本主義も道具的世界を乗り越えて他者と共存しなければならないというのだ。
今日における他者とは、地球持続可能性のこと。問題は、道具的世界に属する資本主義が道具的世界を乗り越えることが可能かということ。カントの理論理性によれば、他者に人格として向き合え!は現実において成り立たない。だから実践理性は、この命題に対する「信」を確保しようとするのである。子安氏によると、このカントと同様なことは、伊藤仁斎が説いていた。子安氏によると(公治長第五 第12章の注釈学的解説)、カントと伊藤仁斎は同時代の思想家である。私の独断であるけれど、天道ち仁斎が呼ぶものは地球持続可能性と関係がある概念だとおもった。
この問題を考えるうえで、柄谷のようには、特権的にカントに依って考えなければ考えることができなくなるものでは決してない。仁斎からいかにマルクスを見渡していくか?これが21世紀に生きる儒者の探求課題である。再び森嶋のモデルをくりかえすまでもなく、理論理性(「資本論」)においては、資本主義社会においては、地球持続可能性は不可能。実践理性(初期マルクスのテクスト群)から、地球持続可能性である天道に委ねた「信」の構造を読むことができるか?仁斎とマルクスが共同体にたいして要求していた「信」を学ぶこと。その「信」がなければ「理」すら成り立たないわからないほどの、アベノミックスの成長の悪夢から、目覚めるために


この国の報道は、なにも隠蔽していない。集団的自衛権の男性の抗議を隠蔽しているわけではない。そうではなく、報道は、集団的自衛権にたいする抗議そのものを狂人の振る舞いだと報じるほど権力に絡みとられてしまったのが現実だ。と、そう疑わななくてはならない最悪のところまで来てしまったのでは?

ふくろうねこの「資本論」

(問題の所在)

マルクス経済学に近代経済学を適用した森嶋ノイマンモデル。均衡成長率は、貯蓄性向(支出構造)と剰余価値率(分配構造)と資本の有機的構成(技術的構造)とによって規定されている事を示した。ラディカルにかんがえると、これは理論理性が、地球持続可能性が無限小になるまで、資本の有機的構成と剰余価値率が共に無限大になり得ることを証明したと考えられる!

(考え方)

実践理性は、他者を道具にせず人格として尊重せよ!と命じる。実践理性的には、資本主義も道具的世界を乗り越えて他者と共存しなければならない。他者とは地球持続可能性のこと。問題は、道具的世界に属する資本主義が道具的世界を乗り越えることが可能かということ。カントに即していえば、理論理性に従えば、他者に人格として向き合え!は、不可能なこと。それにたいして、実践理性は、この命題に対する「信」を確保しなければ、なにも成り立たなくなると説く。このカントと同様なことは、伊藤仁斎が説いていた。子安氏によると、カントと伊藤仁斎は同時代の思想家なのである。さてこれとパラレルに、理論理性(「資本論」)においては、資本主義社会においては、地球持続可能性は不可能。だからこそ、実践理性(初期マルクスのテクスト群)は、地球持続可能性の「信」を共同体にたいして要求する必然性があったのではないか。その「信」がなければなにも成り立たず・・・

嗚呼、新植民地主義の復活。
集団的自衛権をきめた閣議決定のあとに、なにをすべきか?わたしは弱腰だけれども、人間の顔を抹殺してくるこの機械仕掛けの体系の暴力に、できるかぎり逆らってやりたいと!
TRADE FOLLOWS WAR ?日本の商売がアメリカの戦争を追ってきました。「アメリカがぶっ壊し日本が再建する」と海外で陰口をよく聞いたものです。アフガニスタンとイラクにたいする戦争は、アメリカと日本が行った戦争でした。両国に対する爆撃のときに、外見的には憲法はまもられていたとしても、外部の人々はいかに日本の戦争協力をみていたか?九十年代以降すでに平和主義の実質は崩壊していた事実をいかに隠蔽できるものか?改憲論者が襲う言葉を変えさせなければまもれるようにもおもえた無実の声たちのなかに、しかし、今後アメリカが爆撃する危険性のある国々の名前を示しその国々の平和をまもれ!と訴えるプラカードは、大切な警告にも関わらず、まだ現れてこないのは、実はもう遅れになっているのかもしれない。新植民地主義の復活。世界の不確実性。集団的自衛権をきめた閣議決定のあとに、再びこの軍国主義的全体主義にたいして、人々の抵抗がいかに成り立つかが決定的に試されて来ることだけはたしかね


ボルヘスがサッカーを憎んだ理由?

ロンドン時代にアムステルダムでグリーナーウエイPeter Greenawayの新作についての講演をきいた。6,7年前の講演か、完成したらしい。創作意欲が尽きない!ところでアメリカを拠点にしていた、ピーター・セールPeter Sellarsやロバート・ウイルソンR.Willsonが現在ヨーロッパの前衛 (脱前衛のポストモダニズムを含む)をけん引しているようだ。ニッポンはすっかりと、こうしたヨーロッパの前衛精神から取り残されてしまってはいないか?フォーサイスを呼んできたほどのかの旺盛な文化的食欲は過去のもの。しかし、前衛精神のブルジョア的デガダンスに責任をもつ事を辞めたのが、ポストコロニアリズム時代における芸術批評だったかもしれない。批評がサッカーの意義を再発見した。グローバリズムと、エスタブリッシュメントのナショナリズムとが、W杯の一点に集まった。ただしボルヘスがいう意味で、サッカーは、スポーツから、サッカーの表象を消費する記号へと移ってきた。つまりシュミラークルの領域simulacra reignsとなったのである。 サッカーがテレビの中にしか存在しなくなったのも、愛国主義政治家がテレビの中にしか現れなくなったのと同じである。(昔は政治家(ヒトラー)は俳優を真似た。次は俳優(レーガン)が政治家になった。いまやサッカー選手が政治家となったというわけである。公約違反の本田) しかし結局われわれは幸せになったか、だ。約束された土地(優勝)を夢見た至福の観念形態のなかで、あるいは開催国のグローバル資本の立ち退きに抗議した現地住民の姿を隠しながら

安倍が推進している軍拡の方向は、アベノミックスのネオリベの成長神話にたいする信頼によって支えられています。したがってアベノミックスを攻撃することなく、安倍の戦争体制に対する反対の声を広めることは不可能です。雇用の問題の解決は、短期と長期で分けること。短期的には、現在の雇用問題は失業対策として、これを効果のある財政政策において解決する。(ネオリベ的に市場の能力を過信せず。) 長期的には、雇用の問題は、現在のネオリベが推進する軍備化の方向ではなく、<収奪の近代システム>を乗り越えていく地球持続可能性の方向に沿って解決していく

BIG QUESTION 大きな疑問

Terrible is un unstable psychological condition of ' the right of collective self-defence'. Blindly, Abe establishes a wartime organization. But why ? This is my question. Still the majority has more reliance on 'Abenomics' and his fascist <State fighting and worshiping>. Rather we really need the-earth-sustainability and the neighbourhood to talk a reduction in armaments to the future.

takashi honda

'集団的自衛権'にまつわる心理はひどく不安定だと言わざるをえません。安倍は盲目的に、戦時体制に向かっています。でもなぜ?が、私の疑問。マジョリティは、依然と、アベノミックスと彼が推進するファシズムの<戦う国家、祀る国家>の方向に信頼をおいていますが、それよりも、われわれは大局的には地球持続可能性と軍縮をめぐる隣人との話し合いの方向に委ねるべきなのではないでしょうか。


欲望は、自分の重さによって、
<自分の外部にある>自分の中心に向かおうと努力する。そうして
重いものは天に向かって上昇し、軽きものは地に向かって下降する。
一国家の欲望は必ずしも自分の中心に向かわない。なぜならば必ず、
ある国の欲望の周りには、他の国の欲望があり、抵抗にあったり、
衝突するものだから。このような偶然的な運動を、
ヘーゲルは不自由な運動と呼んだ。集団的自衛権は
この不自由な運動を破壊することはゆるされないのである。
人間と人間との関係を支配する崇高な道徳法則の名において。
もしドラキュラが血を求めてこの不自由な運動を「地球の裏側」で
直進運動にかえたならば、どうするか?筏で東の海に逃げるか、
原子の逸脱する自分で決めた亡命の運動に委ねていくだけだ


欲望は、自分の重さによって、<自分の外部にある>自分の中心に向かおうと努力するが、一国家の欲望は必ずしも自分の中心に向かわない。なぜならば必ず、ある国の欲望の周りには、他の国の欲望があり、抵抗にあったり衝突するからである。憲法は、集団的防衛の諸国家がこの偶然性を克服することを禁じた。つまり、いかなる国家も、('血を流してもらうには自ら血を流せ'と叫んだ欲望が欲望しているにすぎないような) '自衛権'という'固有の力'を口実に、<自分の外部にある>自分の中心に向かうことは、人間と人間との関係を支配する道徳法則において倫理的に許されないと語る。なぜ憲法はこれを語ったのかと一人ひとりが考えるときが、<いま>なんじゃないだろうか?

参院選で白票300票増やした疑い 高松市幹部ら逮捕
(朝日新聞デジタル)

オイオイ、増やした?ここだけではないのだろうね、白票の製造は。ヤレヤレ、集計のときは、ボランティアの市民的第三者機関に監視してもらいたいです。
また、白票に意味をもたせることも大事でしょう。たとえば、投票者が自己の名前を記した白票総数が高い一定の割合に達したら、再選挙にするというぐらいのことがだんだん必要となってきたのではないでしょうか。選挙に直接民主制的(リコール的)な要素を取り入れる方向ですね

集団的自衛権はどこか他人事?

体系的に何が押しつけられてくるのか考えましょう。それは、(不)特定秘密保護法、徴兵、歴史修正主義、教科書問題、靖国神社、ヤジられる女性蔑視の問題の中に存在します。さらに、あなたの友達関係、猫の撫で方まで隙間なく影響してくるほどの容赦のない体系的な言説なのですから

Conatus (Medieval views)

I learn Wiki

Epicurus was first to assert human freedom as coming from a fundamental indeterminism in the motion of atoms. This has led some philosophers to think that for Epicurus free will was caused directly by chance. In his On the Nature of Things (De rerum natura), Lucretius appears to suggest this in the best-known passage on Epicurus' position.But in his Letter to Menoeceus, Epicurus follows Aristotle and clearly identifies three possible causes - "some things happen of necessity, others by chance, others through our own agency." Aristotle said some things "depend on us" (eph hemin). Epicurus agreed, and said it is to these last things that praise and blame naturally attach. For Epicurus, the chance "swerve" (or clinamen) of the atoms simply defeated determinism to leave room for autonomous agency.


I learn Wiki

There is a traditional connection between conatus and motion itself. Aquinas and Abravanel (1265–1321) both related the concept directly to that which Augustine (354–430 CE) saw to be the "natural movements upward and downward or with their being balanced in an intermediate position" described in his De Civitate Dei, (c. 520 CE). They called this force that causes objects to rise or fall, "amor naturalis", or "natural love"

In the 6th century, John Philoponus (c. 490–c. 570 CE) criticized Aristotle's view of motion, noting the inconsistency between Aristotle's discussion of projectiles, where the medium of aether keeps projectiles going, and his discussion of the void, where there is no such medium and hence a body's motion should be impossible. Philoponus proposed that motion was not maintained by the action of some surrounding medium but by some property, or conatus implanted in the object when it was set in motion. This was not the modern concept of inertia, for there was still the need for an inherent power to keep a body in motion.This view was strongly opposed by Averroës and many scholastic philosophers who supported Aristotle.The Aristotelian view was also challenged in the Islamic world. For example, Ibn al-Haytham (Alhazen) seems to have supported Philoponus' views,while he developed a concept similar to inertia.The concept of inertia was developed more clearly in the work of his contemporary Avicenna, who conceived a permanent force whose effect is dissipated only as a result of external agents such as air resistance, making him "the first to conceive such a permanent type of impressed virtue for non-natural motion."Avicenna's concept of mayl is almost the opposite of the Aristotelian conception of violent motion and is reminiscent of Newton's first law of motion.[16] Avicenna also developed an idea similar to momentum, when he attempted to provide a quantitive relation between the weight and velocity of a moving body.

集団的防衛権は、第一次世界大戦の引き金。憲法は、最悪、集団的防衛権だけはやめてくれと言っているのは明らかですから、ひどいものです。しかも集団安全保障までみとめていこうとする、はたして、集団的自衛権をもつこの国の形がさっぱりみえてきません。実は安倍自身もわからないでしょう。安倍自民党と支持者たちは自分たちがなんのためにかくも"地球防衛軍"になろうとしているか理解できませんから、集団的自衛権プラス集団安全保障のこの軍拡でも全然足りないのかもしれません。'自分たちのチープな体面や、おぞましい美学'、そこから帰結する終わりなき、靖国的<祀る国家、戦う国家>の、いわば武力に依る集団的依存症が顕現してきました。結局は、周囲環境にたいする不安感が、「地球の裏側」まで広がっていることを見定めていくことが大切とおもっています。つまり、日本の側は中国に対する不信感からアメリカの同盟軍として軍拡を推し進めなければならないという危機感をもち、他方で、中国の側は、アメリカと、プラス、その同盟軍を足し合わせた軍事力に圧倒的に包囲されていると危機感をもっている。そうして日本と中国はお互いに、お互いの不信感を利用しながら対抗的に自国の軍拡を極限にまで広げ、と同時に、民主主義のスペースを極限にまで小さくしていくという、両方の権威主義的体制にとって都合がいい悪循環。この悪循環を解決するためには、日本側ができる努力としては、安倍政権を打倒した上で、(両政府がやろうとしない軍縮をめぐる) 隣人との話し合いのスペースを構築していくこと。軍事費を放射能汚染の対策にあてていく必要が絶対的にあるのですから!

寸劇; 祀られない死者達

公明党「密接な関係にある他国、にした」
イラクの子供達「そうして爆撃で私達は皆飢えた」

公明党「明白な危険、に」
イラクの子供達「なぜ爆撃でママと弟妹は死んだの」

公明党「必要最小限度の実力行使、にした」
イラクの子供達「そうして爆撃で私達全員が死んだ」


ホ〜、みんなお久しぶり!スピリチュアルなサッカーファンだったら、「負け」は無いはずでしょうに。勝ち負けにこだわる貪欲な拝金主義者さんたちが多いのか、残念ニャリよ。新聞の見出しも「日本サッカー完敗!」ではなくて、南米チームと他を称えて「ワールドカップに乾杯!」にしてちょーだいニャッ

これから

集団的自衛権という言い方も曖昧、集団的自衛権をもつ国の形も曖昧です。
もし地域不限定集団戦争権だったら、かくも多くの人々が安倍内閣を支持して来たでしょうか?これからは、政府はアメリカ軍に対する責任を訴えて憲法を簡単に停止していく方向に進んでいくことになるでしょう。それにたいして、人々の方は、集団的自衛権という名のもとに、一体何のために自分たちの人権が例外化していくのか?理解することがないのです。理解することがそもそも許されなくなってくる可能性だって。つまり、現実に、秘密保護法による言論統制によって理解が禁止されてくるからです。最悪なのは、安倍自身すら集団的自衛権をもつ国の形を知らないままに、盲目的に、徴兵制を想定した地域不限定集団戦争体制へ邁進していくことです。


1926年の本。和辻が対等にハイデガーを乗り越えようとしたともいう。和辻も、(恐れ多くも)1980年代に読んだ自分も、ハイデガーにならって、存在をとらえるとは構造を呈示することの重要性から出発した。つまり徹底的に観念化しておかなければならないと。ライバルの三木清は死の観念化なくしては世界思想たりえないと考えたように。(同様に、存在論的な沈黙の場合も、ただ黙っているということを意味しない。) 「存在」に関わるつもりで星や山や川といった「存在」を詩的に語ることは、「存在」に拘泥しているだけDともいえる。構造の呈示が大切なのだ。結局、ブライアン・フリールの戯曲ぐらいだろう、ハイデガーにおける沈黙の存在論的構造を呈示できたのは!ダブリンでみた「トランスレーションズ」の冒頭は衝撃だったー語ることを拒否した沈黙 'Verschwiegenheit'


嗚呼、チェーホフ「桜の園 」・・・

ロシアの農民は自己の共同体の中だけで生き動き、残りの全世界が彼にとり存在するのはそれが彼の共同体に介入しての限りのことでしかない。ロシア語では、ミールという語が、一方では「世界」を意味し、他方ではまた「農民共同体」を意味するほどである(Engels 亡命者文献・ロシアの社会状態・1875)


Nur im echten Reden ist eigentliches Schweigen möglich. Um scweigen zu können, muß das Dasein etwas zu sagen haben, das heißt über eine eigentliche und reiche Erschlossenheit seiner selbst verfügen. Heidegger 'Sein und Zeit'

本当に語ることにおいてだけ、本来的の黙ることが可能なのです。黙ることができるためには、現存在は何か言うべきものをもっていなくてはならず、すなわちかれ自身の本来的で豊かな開示性を思うままにし得なければならないのです。

Authentic silence is possible only in genuine discourse. In order to be silent, Da-sein must have something to say, that is, must be in command of an authentic and rich disclosedness of itself.

In solchem >Vorkommen< aber ist die jeweilige Welt erst eigentlich zuhanden.

(そのように) 「現前すること」にあって、とはいえ、そのとぎどきの世界がはじめて本来的に手もとに存在することになるのだ。

Heidegger 'Sein und Zeit' (熊野訳)


ハイデガーはいかに、沈黙 'Verschwiegenheit' について語っているか?

語ることのもう一つの本質的な可能性すなわち黙ることSchweigenも、同じ実存論的な基本をもっています。互いに語りながら黙っている人は、ことばが尽きることない人よりも、もっと本来的に「暗示(ほのめか)す」(了解されねばならない状態で与える) ことができる。・・・長々としゃべることは了解されたものを見かけだけの明晰さ、すなわち退屈平凡という分からなさへと覆い隠してしまうのです。しかし黙っていることは、無言でいる(唖である)ということではありません。・・・本当に語ることにおいてだけ、本来的の黙ることが可能なのです。黙ることができるためには、現存在は何か言うべきものをもっていなくてはならず、すなわちかれ自身の本来的で豊かな開示性を思うままにし得なければならないのです。そうすると無口が(事柄)を明らかにする働きをなし、そして「おしゃべり」を押さえつけるのです。沈黙は語ることの様態として、現存在の物分かりを根源的に分割し、その結果、真正の聞きうることも、見通しの利く相互存在も、沈黙から生い立つのです。
Heidegger 'Sein und Zeit' (桑木務訳)


SSSSSSSSSSSSSSSubstanceSSSSSxSSSSSSSolitude !
A deep rift and stench of dead bodies hanging in the air.
The bright lights of the city studded with filth. No more this superficial !
Rather I give way to pleasure of darkness, dreaming paradise
Where I would appear from the hedge into the genuine light.

Tomoko Yamazaki (translation. takashihonda)


山崎智子作

孤独孤独孤独孤独ドラック孤独孤独セックス孤独孤独孤独…

溝から沸き立つ死臭
汚物塗れの華やかなネオン
人工的な光から逃げるように暗闇
いつか本当の光の下へ
楽園を夢見て


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ALSO SPRACH OWLCAT ふくろうねこ、かく語り き  2014年6月後半 2, +7月 言葉と表現と射影のブログ/BIGLOBEウェブリブログ
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