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zoom RSS 4月 2015 (2)

<<   作成日時 : 2015/04/08 08:47   >>

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フランシス・ベーコンFrancis Bacon
最高の孤独は、ひとりも親友がいないことだ。親友がいなければ世界は荒野に過ぎない。



破れ傘 (1)

大したことはなくても、外国語の本もそれなりに読めると、訳本の正確さはどうでもよくなるものです。そもそも外国語が母国語に翻訳できないと思って高をくくるからですが、興味深いことに、これと同様に、思想の内部に何かをおくひとは時々、外国人のつもりで外国語を読む人のようであります。思想の奥に、翻訳不可能な外国語としての概念が存在するのですね。哲学辞典をひらけば、近代は公の広場にたつ銅像のように立派ないろいろな概念に支えられていることがわかります。ところが私は、思考の対象に、動かないそんな特権的な場所を与えるのが頗る苦手。単純に、能力がないからですが、ひとつひとつの概念に穴があくようではそんなのは思想ではないといわれるにきまっています。しかし思想にとって一体なにが思想なのでしょうか?外国の本を日本語で読むことの意味を問うことは思想とはいえないのでしょうか。外国語と母国語、二点のあいだの距離を無限に豊かにすることは思想に値しないでしょうか。思考の対象に破れ傘を与えることは、思想を台無しにしてしまうことなのでしょうか?



「NHKといえどもに民主主義に反するような放送をする自由はない」といわなければならないでしょうに! 安倍自民党はどこの国の政治家たちよりもファシズム

自民党鬼木誠議員「NHKに国の見解に反するような放送をする自由はない」

だれが報道の自由を侵害するのか?

「NHKに国の見解に反するような放送をする自由はない」を言うこれらの安倍自民党の政治家たちは、だれが知る権利を侵害してきたのか、だれが表現の自由を侵害してきたのか、そしてこれらの侵害によっていかに民主主義を損なうことになるのかをよくかんがえてみるべきです。高校の教科書でも書いてある知識なのですから調べてください。国家の内部に民主主義をおいてしまえば、その民主主義は消滅していくだけです。そしてこれにかんしてNHKも知らなければならない事実があります。それは、NHKをはじめ日本のマスコミは、3・11以降市民の内外の蜂起の現実を恐れているあまり、ヨーロッパの新聞・テレビが報じるようには、これらをしっかりと報じようとはしないのですが、そのことによって一体どのようなことが自分たちに起きてくるのかということです。NHKのもはや中立ともみえないほどの事なかれ主義は、今回のようにかならずタカ派政治家たちに脅されゆすられまたつけこまれていくことになるだけなのです。そうさせないためには、NHKは、外国メディアが行っているように、民主主義のために非暴力の抵抗を行っている人々の活動をもっと大々的に報じるときではないでしょうか



愛川欽也を称えよう

人間はいかに、「この道」に閉じこまれた自己の袋小路から脱出するために、外部にある領域を、自己の世界の中心にしようとするか。かくも動物の領域が芸術の表現において政治的な意味をもつことすらあります。そうしてワグナーのジークフリートに語りかける「鳥」が公共芸術の空間に導入されました。しかし「鳥」はあまりに大地に根ざしていました。これと比べると、愛川欽也の「猫」のほうが、国体武道の大地ファシズムを相対化していたのではないでしょうか。大人に属さないし子供にも属さない声の力で、'いなかっぺ大将'の「この道しかない」でいわれる意味を見事に拡散したのです。そして、見逃せないことは、したたかに、軽やかに蝶のように舞う、ほかならないこの声で、夏目漱石の「猫」、大島弓子の「猫」よりもはるかに遠くへ行ったことでした。つまり憲法を積極的に利用してみせたのです。憲法がそれを朗読する自己に触発する多義的意味を伝えるためならば、資本の大衆的欲望の集中、テレビ・ラジオの番組の貨幣的流れをいくら切断してもかまわないのでした。ニャンとも服従しようとしないこの市民の名前を決して忘れまい!


アリストテレース「弁論術」

歯医者がこわいのです。どうも、子供のとき麻酔を使わないドイツ人の先生に治療を受けた記憶が、ダブリン時代の治療で蘇ったのでした。麻酔をうってもらったはずなのに (笑)。自慢するわけではありませんが、歯医者ならば、わたしの口の中のぼろぼろの歯を見て呆れます。開き直るわけではありませんが、その直した歯がすぐに一週間後にまた虫歯になってしまったというだらしないわたしの人格的態度に、ゆるせん!という歪んだ表情になります。しかしこれから4時に予約している近所の三十代半ばの先生は、最初は歯の状態に怒っていましたが、未来に希望をもっているのですね。なぜだろうか?単純に、かれの若さから説明できる事柄かも。思い出すのは、アリストテレースは「弁論術」のなかで、若い人は失敗したことがないから未来にたいして楽観的であると言っていたことです。ただしそれが弱点で若者は騙されやすい傾向があると。比べると、私のような年をとった者は、過去に失敗を繰り返しているから悲観的になっているがその分簡単には騙されないものだと(すごく騙されていますけど。) たしかに時々でも若い人のいる場所に隅っこでもいるだけで希望をもつことができます。コンビニに行ったりと。ただ青年があまりにもあつまっているファーストフード店へ行くと、大学時代に行ったときとはちがう雰囲気。永遠に続く不況の影響を考えざるをえません。ケインズは経済政策は歯医者でいいといいました。不況の原因が分からずとも対処療法で十分であると。それならばピケティーが言う意味で格差をもたらしている1%のなかに、自民党の看板もちになり下がった東京大学法学部があるのだったら、これを虫歯として取り除けばいいだけー彼らが寄生している腐敗二世三世議員と共に。台湾の抗議デモを行っている現在の二十代が将来成熟していけば、必ず格差の世の中が治ると思いました。占拠した立法院の中でリーダーが問うた言葉。「日本はわれわれについてなにを知っていますか?」


【社会統合/システム統合】ハーバーマスにおける生活世界とシステムにそれぞれ対応した行為連関の形態。前者が、了解と合意を志向するコミュニケーション的行為によって達成されるのに対して、後者は成果や目的を志向する戦略的行為によって達成される。

原発体制(原発、TPP、集団的安全保障) の「朕は国家なり」がいつからはじまったかというと、やはり直接その日付は秘密保護法の成立が関係しているとおもいます。戦後憲法の法の支配が存在しないかのように、戦前との連続性を復活させようとしていますね。陸軍ファシズムの役割を意識していますが、非常に重要なポイントは、戦前からやってきたその「朕」がいつ終わるかということですね。

寸劇 EPR

ふくろう光子「は?」<ーーーーーー ーーーーー> ねこ陽電子「え?」


だれが「吉田松陰」を作ったか
ー洗脳マシーン、 '国民的膨張'の昭和ファシズムの「松陰」像

私は五年間テレビがないから見たことがないが、観ている人たちの話をきくと、NHKの大河ドラマが依っているのは明らかに、昭和のファシズム的「松陰」像のようである。NHK会長に対する同じぐらいの怒りをもって、昭和ファシズムの言説をソフトに再び推し進めていくこの番組の制作者への批判があってもいいが、昭和ファシズムが拵えた「吉田松陰」の復活を問題にしている者がどれほどいるだろうか?ちなみに大杉栄は吉田松陰に言及するとき明治の革命的「松陰」像があった。これにたいして、徳富蘇峰の「吉田松陰」は、昭和ファシズム的「松陰」像の発明であった。('国運興隆'の兆候だと自負している「吉田松陰」改訂版はファシズム期の昭和9年に出ている。)
MEMO (wikiより)。ジャーナリスト・評論家としての徳富蘇峰は、大正デモクラシーの隆盛に対し、外に「帝国主義」、内に「平民主義」、両者を統合する「皇室中心主義」を唱え、また、国民皆兵主義の基盤として普通選挙制実現を肯定的にとらえている。1942年には日本文学報国会を設立してみずから会長に就任、同年12月には内閣情報局指導のもと大日本言論報国会が設立されて、会長に選ばれた。内閣情報局職員の立会いのもと、特に戦争に協力的な言論人が会員として選ばれた。蘇峰の考え方の変遷は、この言葉に要約されている。'維新以前に於いては尊皇攘夷たり、維新以降に於いては自由民権たり、而して今後に於いては国民的膨張たり'。


法哲学、経済学、思想史、音楽史、映画史、文学史、詩、演劇、美術、ビデオ

EPR

What the quantum really think

Conflict between relativity and the objectivity of state reduction?


ホ〜、亡命したシュレデインガ―はアイルランドに来ましたニャ。ところでアイルランド的に説明してみせますと、渋谷駅から出発した梟猫さんのどちらかがバナナのパンツを履いている可能性がありどちらかがその裏を履いている可能性があるのですが、これについては確率的なことしかいえません。が、五反田駅に来た梟さんが表に履いていることが観測されると、同時に、正反対の、高田馬場駅へ向かった猫さんが裏に履いていることが実在的に決まってしまいます。五反田駅の観測者はわざわざ山手線に乗って高田馬場駅に行き、このことを猫さんに伝えることは必要ありません(「梟さんがきちんとはいてるんだから、そうである以上、猫さん、あなたは逆さまに履いてちょうだいね」と伝えにいく時間をかんがえる必要がない。20分程度の時間かな)。局所系が近傍についていわれるのにたいして、非局所系はいわゆるテレポーションとして形容されるほどの同時性が互いに無限に離れている地点についていわれると私は理解しています。たとえ無限でなくとも、この五反田駅と高田馬場駅の間を、例えば、地球と木星の間とかんがえると、この同時性がいかに「幽霊」のように現れるのかということに驚かされます。(ちなみにアインシュタインが反発したのは、因果法則を前提とする相対性理論とは両立しないからでした。たとえば、表のパンツが観測されることが原因だとすると、裏のパンツは結果で、原因から結果が生じる、光速を超えない範囲での時間差があるはず。つまり光速を超えてしまう同時性などは不可能だと) ちなみに、朝はきちんと表に履いていたのに、夜帰ってきたときに逆さまに履いていると、世間では夫婦喧嘩の原因になります(爆)


2009年のアラン・チューリングを読む

四年間ロンドンにいましたからイギリスについてそれなりに色々な見方をもっていますけれど、しかしかえってコンパクトにまとまったイメージがなくて困っている次第です。が、実はイギリス人も何が英国かということについてかれらのまとまった考えがないのではないかとおもうのですね、フランス人が1789年から始まったフランスを考えるようには。ここで'イギリス人'と書きましたが、そもそもだれがイギリス人かという問題がありますしね。1907年は、大英帝国のもとで植民地代表を招いた会議は、白人植民地の自治領化に伴い、大英帝国会議と改称した年ですが、ここから、文学者ウルフや哲学者ラッセルや経済学者ケインズとかのブルームズベリー・グループ(1907年から30年)が活動を展開しました。私が経験した労働党のマルチカルチュアリズムの時代は、なんとか、このブルームズベリー・グループに、イギリス独自のリベラルな時代精神を読み取ろうとする言説があることはありましたが、イギリス・ロマン主義という危うい言説に対抗した以上のものではなかったようにもおもえました。2009年はイギリスを出た年ですが、一番最後にみたテレビ番組がチューリングについての特集でした。この年に、まだギリギリ労働党政権のときに、同性愛者だったことを理由に処罰したチューリングに謝罪したのですね。チューリングについてかれが人間の善を信じていて何日もひとりで街頭に立って訴えていたこともあったというまったく知らなかったエピソードを紹介していたことで、かれに関心を持ち始めました。正確に言うと、2009年のイギリスがいかにチューリングを語るのか、そうしていかにイギリスがイギリス自身を語るのかということに関心をもったというべきでしょうか。イギリスで戦争反対を言う立場は、中心はヒューマニズムを論拠に反対する道徳的な立場。つぎにマジョリティーに説得力をもつようにみえたのが、戦費は財政の無駄という経済効率と合理主義的規律に訴える論拠。それから、現在上映されているかれの自伝的映画のなかに引かれるチューリングの言葉によくあらわれていますが、「暴力はふるう時は気持ちがいいけれど、その後には空虚感に苛まれる。」(身体の知覚を伴う痛い空虚感だとおもいますが) という内容の、エピキュリアン的に、自分を保つというのでしょうか、そういう自身の感情を論拠にする立場ですね。これは推測ですが、もしかしたら、こういうことはチューリングから言いはじめたのかも。私はこれは唯物論的な主張に属するものではないかとおもいます。'物質はいかに思考できるか'という唯物論的なものは、エンゲルスがスコトスDuns Scotusの原点に見出したイギリスに顕著な(ちょっと言葉的に矛盾していますがスピリチュアルな)、唯物論的伝統ですね。2009年のアラン・チューリングの読みとはなにか?いかに、消滅しきった大英帝国を無理やり復活させようとしてきたサッチャーリズムの労働党(ブレアー)の魂を終わらせるかという唯物論的な覚醒を私は読みました。結局、やはりというか、イギリスについて語る努力は挫折してしまうことになりましたが、2015年の現在、<帝国>の言説にたいして批判している私の関心は、<イギリスとはなにか?>から、<唯物論とはなにか?>へと移ってきました。唯物論というのは、魂は消滅したのに、なぜ魂が永続するように語るのか?とか、消滅した魂はいかに、言葉を住処としていくのかを考える思想ですが、このような思想は、<帝国>の問題点をよくとらえることができるようにおもわれます。


プーチンは、旧ソ連のスターリン主義、つまり、ボルシェヴィキズムを目指す方向をとっている。歴史にかえると、フランス革命の評価について大議論が起きたとき、ボルシェヴィキは国家権力を掌握する立場に依った。国家権力とはツァーリズムのことだったから、ボルシェヴィキズムはツァーリズムの継承だったのである。ここからスターリニズムとその悲惨が生まれた。このことを90年前に大杉栄は、ーかれはスターリン主義を知らなかったのにー、ウクライナ情勢を調べた上で見事に見抜いていた。国家がいかに、民主主義を衰退させてしまうかである。(今日日本でいかに民主主義のスペースがないかということの理由である。)さて再び言うと、プーチンはここに戻ろうとしているのだ。いいかえれば、ロシア<帝国>をつくろうとしている。しかし朝日新聞(3月31日)のオピニオン欄にキエフ在住の作家アンドレイ・クルコフのインタビュー記事が載った。「ウクライナの一般の人々にとって、重要なのは、"EUに加盟するか否か'ではない。欧州とは、賄賂のいらない暮らし、汚職のない社会、例えばお年寄りが必要な薬を手に入れること、つまり'安定した生活'を意味しているのです。」「自由を知った我々は奴隷状態に戻れないのです」。


21世紀にみえてきたのは、グローバル資本主義と<帝国>と民主主義です。グローバル資本主義の分割は、<帝国>を中心に推進されています。具体的には、新自由主義・新保守主義のアメリカ<帝国>、(EUから) 第四帝国へ行くヨーロッパ<帝国>、スターリン主義=ボルシェヴィキズム=ツァーリズムに戻るロシア<帝国>、そして官僚資本主義の新儒教の中国<帝国>、であります。これに関して言うと、安倍自民党は日本をなんとかアメリカの側に位置づけようとして必死に、対抗・中国帝国としての危険な役割を引き受けているようにみえます。東アジアは、この安倍が原因をつくった、民族主義的憎悪を互酬的に交換するという危険な権力ゲームに囚われています。このゲームの内側で、民主主義の形骸化は、安倍をはじめとするこうした1%のネオリベの新貴族たちによって推し進められているではありませんか。一方、非暴力の抵抗であるオキュパイ運動からalternativeの民主主義が現れてきたことは、注目したい動きであります。民衆的自治・自由論・民衆的直接的行動論を「民主主義」の真の再生の力にしていく語る民主主義。そこで、市民の思想史は、東アジアのグローバル・デモクラシー=白紙の本になにを書くことができるのか?「帝国か民主か」が問うているのはまさに、このことなのです。(本多敬)


居酒屋トーク

安倍晋三は、この国を、次から次々へと、他からばかにされないような'普通の国'にしようとしていますね。たとえば彼が命じている国立大での入学式での国旗掲揚についてはアメリカの例をいうのです。しかし安倍が根本的に理解していない点は、たとえどんなに他からばかにされようが、または愚か者と呼ばれようが、この国の原点に、ファシズムの戦争を決定的に終わらせ将来再び同じような戦争を繰り返さないために敢えて'普通の国'であることをやめたという歴史的な出発があることです。安倍はこの原点を捨てるつもりならば、ではそのかわりとなるほどの普遍的に価値ある信頼できるものを与えることができるのでしょうか?答えは明らかじゃありませんか!


「国立大に国旗掲揚・国歌斉唱要請へ 首相答弁受け文科相」

劇団の憲法集会のとき、裁判をした都立高校の音楽の先生方からお話しをききました。歌わせたい文部省に電話しては、「君が代」の意味をたずねるのだが、毎回絶対に教えてくないのだそうです。もっと歌わせたいのなら意味を明らかにすればいいのに、これは大変奇妙な話だ、と語っていました。あえて、これを、思想的に、デリダ的に考えてみるのですが、国歌というのは、声を通してのみ自己触発として生み出される意味の秩序のことではないでしょうか。国家を自己から自己へと赴かせる歌というこの<意味するもの>の秩序は、(国家を触発する) <意味するもの>を、国家以外のものからは借り受けない。つまり歌う国家は「国家が=語るのを=聞く」のであると。しかし国家が自らを称える歌をうたう人間に、これほど自らを軽蔑させるような意味秩序のみじめな隷属がほかにあるでしょうか?スポーツの応援で歌うとかの話は問題の核心を曇らせるものです。そもそも学びの場というのは、近代国家よりまえに存在しました。学びの場を前提とするもの(=近代国家)によっては、学びの場を支配することはできないのだと考えることが大切になってきたとおもいます。今回の国立大学の問題の根底になにがあるのでしょうか?グローバル資本主義の大学のあり方が問われてきたと考えています。


白紙の本 (10)

ヨーロッパは、自ら自身のことを語るとき、どうしても、叙事詩「ユリシーズ」という故郷への帰還の言説に依らなければならなかった。この言説がそれを再び書くジョイスに触発した意味は、帰還とは正反対の意味であった。つまりジョイスは帰るためには、外部性、自発的に亡命する必要のことを書いたのである。たとえ帰るときでも必然として常に遅れが生じること。さて1990年は、89年のベルリンの壁の崩壊が起きた年。スターリ二ズムと昭和天皇がともに終わった年だったが、20世紀的戦争の方は終わらず、見えない戦争という形でより陰険で無感覚な恐怖が今日までずっとつづいている。89年を契機に、二か月ぐらいニューヨークを旅した。十数年間のヨーロッパ行きを考えることになったのは、旅のときに読んだソンターグの本からの影響かもしれない。はっきりしたことはわからないが、戻ってきたときは、フーコの読み方が変わった、というか、日本に閉じこもっていてはもうなにも読めなくなってきたとおもった。「「事件」としての徂徠学」との出会いは、この思いを決定的にしたのだった。ここから、ヨーロッパのテクスト、フーコを日本で読むことの意味はなにかという問いがあらわれてきたということ。ヨーロッパの日本は、外部のアジアから、たとえば台湾のような外部から相対化されること。そうして白紙の本は至る場所に偏在する徴となった。帰るためには絶えず迂回すること、白紙の本は現在進行形である


白紙の本 (9)

絵画について書いているときは、美術館にある絵画ではなく、寧ろ映画の絵画を思い浮かべております。それらの絵画は、部屋から部屋へではなく、ショットからショットへという過程のようなものです。個人コレクションは別ですが、世の中にある絵はかならず、どこかの国のどこかの美術館に見つけることができます。しかし映画の絵画というのは、奇妙なもので、どこの美術館にも存在しません。これと比較できるものといったら、ジョイスの本の単語です。どの本のどの単語も必ずどこかの国の言葉に翻訳され得るのですが、ところが (その世界中の言葉でつくられた)「フィネガンズ・ウェイク」のジョイスの造語は、厄介なことに、どこの国の言葉に翻訳できないのです。オリジナルなもの(起源) がない、白紙の本としか言いようがない

絵画について書いているときは、美術館にある絵画ではなく、寧ろ映画の絵画を思い浮かべております。白紙の本のなかであらわれてくる絵画は、部屋から部屋へではなく、ショットからショットへという過程にあらわれます。


心得ておくべきは、多くを語るのも短く語るのも、同じ目的をめざすものだということである。 エピクロス

個的な物体は、それ自らの永続的な実在性を、これら全ての属性から得ているにすぎない、と考えねばならない。

新しい手段としての映画は、当然、新しい芸術に役立つ筈だ。そしてまた、新しい約束のもとに置かれるべきだ。なぜかというに、芸術とは、それを楽しむ人たちが疲れて来るに従って、次第に、変化するルールを持つ遊戯だから。『白紙』 Cocteau

ベートーヴェンが展開するときは退屈だ。バッハは違う。ベートーヴェンは形式の展開をし、バッハは観念の展開をするからだ。たいがいの人は、その反対に考えている。『雄鳥とアルルカン』Jean Cocteau



Picasso et les maitres ー ピカソがえがいた他の巨匠の絵

東京で、ヨーロッパから絵をもってきたXX展に行くと、絵の少なさに呆然としてしまいます。展示されている絵が少ないからではなく、その画家の同時代の画家たちの絵を見ることができないからだと気が付きました。例えば、ヨーロッパでは、ある画家の絵というのは、本人の絵、弟子たちが描いた絵、他の画家が真似たもどきの絵、ただよく似た絵、その画家の影響下に描かれているはずなのに類似していない絵、同じ部屋におかれている理由か不明な匿名の絵などに囲まれて存在するのです。つぎの部屋に行くと、他の画家たちの、連続しているが、後戻りしないイメージに取り囲まれます。そのうち自分がどこの部屋から来たかを忘れ、わが眼を疑う。前の部屋に戻る。そうして、部屋と部屋に区切られてはいるが、どの絵もヴァリエーションの連続的な配置にあるといえます。が、さらに別の部屋に行くと、説明がつかない、過去の時代の繰り返しとはいえないような絵が突然現れたりします。一回限りのカラバッチョの絵から、ルネッサンスとは共通性のない、まったく新しいものが生まれる衝撃はなんと形容することができましょうか?ピカソが、他の画家たちの絵を、自分の内部から内部に即して配置していったようには・・・。東京の展示の場合は、どうも人々は絵を気楽に見ているのが少なく、描かれている社会の情報を人類学者のように、あるいは画家の生い立ちを調べる精神分析者のように、分析していますかね。あちらの人々が絵をみているときはもっと気楽で、ただしこの絵のなかの人物は親戚のだれだれに似ているとかそいうことをみつけて安心しているのが多いようにおもいます。どうもイギリス人だけは必死で教養をつけようと絵の解説文を読んでいますがね(笑)。 下は、Velazquezの肖像画とそれを描いたPicasoの絵

世の中に存在するイマージュで他の映像と関係をもたないような映像は一つとしてないし、同時に、存在するどの映像も他の映像と無関係である。どの絵にも起源の観念を適用できない。さてこの関係・無関係の全体の傍らに、ケージが音を入れる必要がないところで偶然の沈黙に委ねたような余白があり、そうしてヴェラスケスの絵の中にタブローがあらわれることになった。たしかにわれわれが見えないこの裏側に全体が示されているはずなのだが。1970年代のポストモダンとポスト構造主義は、この「侍女たち」から、それまで語られることがなかったことを初めて語ることができた。だが現在批評の言葉は、ピカソが見落とすことがなく省略することができなかったほどの、ベラスケスが侍女たちの手とまなざしからはじめたそのラディカルさを、十分に実現しているといえるだろうか?すでにベラスケスは帝国の崩壊を暗示していたのに。下の絵は、Picasoによる、Velazquezの絵「侍女たち」の再構成


子安宣邦氏の台湾講演について (1)

思想史はその対象に、思想をもつ学問です。重要な点は、思想史が外部の多様性から、思想の成立を批判的に問う方法性に依ること。思想史は、 「日本思想史」と「日本思想」、この両者が、20世紀の言説を構成する上で互いに切り離せない密接な関係にあったことを明らかにしますが、果たして(近代が作者のように物語った)この二つは、意味作用の中心へと絡み取られてしまい (近代にとって都合よく)、その結果日本列島とそこの住民の古代風の姿を実体的に思い描くような起源の物語に後退することが起きなかったのでしょうか?歴史的に、この点が問われるべき問題です。 (本多)

以下、子安宣邦氏の講演より (1 「日本思想史」の成立)
「 私がここで掲げる主題「日本思想史の成立」とは、「日本思想史」という学問的方法的概念の成立をいうのであって、日本思想史の起源的成立を問うことではありません。その意味ではこの主題を「日本思想の成立」と言い換えることもできます。なぜなら「日本思想」という概念が何らかの形で成立してはじめて、その歴史的な展開が「日本思想史」として問われることになるのですから。ですから「日本思想史の成立」の問題とは「日本思想の成立」の問題でもあるのです。「日本思想史の成立」という主題をこのように考える私の理解の前提には、「日本思想史」という概念も、その対象としての「日本思想」という概念も歴史的な言説上の構成物だという見解があります。その時期をはっきりいえば近代20世紀の日本に成立したものです。それらは決して日本列島とそこの住民とともに古代風(アルカイック)の姿をもって自ずから存立したものではありません。」


子安宣邦氏の台湾講演について (2)

固有性の言説は、痕跡としてある<複合的なもの>を隠蔽・消去することにほかならない。ここでの議論は、'宇宙に始めがあったか?なかったか?'の教説にたいするカントの批判(「純粋理性批判」)の仕方とパラレルである。過去の姿である「日本人の言葉も心も」が固有だと言うまえに、いつの時点のそれをとってくるのか?なぜその時点の「日本人の言葉も心も」が特権的な一点として在るのか?説明できないだろう。「日本人の言葉も心」は消滅しつくしたか、あるいは、消滅したときに漢字書記テクスト「古事記」を住処とするようになって再構成されたと考えられないか。書かれたテクストの痕跡を消して<日本的なもの>を無理に解釈するよりは、書かれたテクストの複合性から<外部的なもの>を読んでいけば十分ではないか。民族国家は自己自身に純粋?国家の教説を教えてきただけである。(本多)

以下、子安宣邦氏の講演より (1 「日本思想史」の成立)
「だが日本で近世(前近代、プレ・モダーン)と呼ばれる徳川時代の国学者本居宣長(1730-1801)は日本人の言葉も心も考え方も日本列島とその住民に固有のものだということを、日本最古の漢字書記テクスト「古事記」(712成立) の注釈を通じて言いだしました。<日本的なもの>の固有性が宣長によって最初に思想的体系性をもって主張されたのです。しかし漢字書記テキスト「古事記」による<日本的なもの>の主張には、複合的なものをあえて純粋化していく作為と飛躍と、そして隠蔽がともなわざるをえません。いずれにしろ民族国家(ネイション・ステイト)日本が要請していたのです。」


子安宣邦氏の台湾講演について (3)

明治以降、だれが<日本的なもの>を語り出していくのか?いかに、「日本思想史」「日本精神史」が成り立つのか?民族国家が<日本的なもの>を語り始めた。つまり戦争する国家が、ヨーロッパの知(文献学・解釈学的方法)によって、自己自身のために、純粋な?国家の教説を教えてきたのである。(本多)

以下、子安宣邦氏の講演より (1 「日本思想史」の成立)
「私は宣長たち国学者を<日本的なもの>の固有主義的な主張者だとみなします。アメリカの日本研究者宣長らの国学をnativismと訳しますが、それは正しい訳し方です。この宣長らによる<日本はもともと日本である>という固有主義は、明治(1868)以降の近代国家のなかで民族=国家主義(nationalism) として継承されていきます。そしてこの近代に継承された<日本的なもの>をめぐる思惟と志向は、昭和(1925)にいたってヨーロッパ文献学、解釈学的方法をもって「日本思想史」あるいは「日本精神史」を成立させることになります。日本人の思想的テキストだけではない。あらゆる言語表現から解釈的に抽出される「日本思想」「日本精神」そして「日本的民族性」が記述されていくことになります。昭和とは第一次世界大戦を通じて世界先進国の仲間入りをした日本が全体主義国家へと転身していく時期です。昭和の全体主義国家日本とは中国大陸における帝国主義的覇権を賭けた戦争へと向かう日本です。その昭和日本が「日本思想」を「日本思想史」とともに成立させたということができます。


子安宣邦氏の台湾講演について (4)

本居宣長は、荻生徂徠から大きな影響を受けている。帝国主義<日本>の天皇の問題は、ストレートに、<日本>を創出した宣長の問題にほかならない。宣長と日本思想史の内部にありながらいかに、宣長と日本思想史を解体することができるか?(本多)

以下、子安宣邦氏の講演より (2「日本思想史」とは何であったか)
私の日本思想史の始まりは、国学者宣長による<日本>創出作業の批判的解読にあります。宣長の「古事記伝」という古事記の注釈作業とは実は<日本>というものの創出作業であることを明らかにしたのが、私の宣長研究です。ですから私の日本思想史的作業は<日本>を創出する宣長国学の解体から始まったのです。私にとって「日本思想史」は両義的です。私は既成の日本思想史を解体しながら、なお日本思想史にかかわっていました。



子安宣邦氏の台湾講演について (5)

内部に絡みとられていく、「日本とは日本である」という自己同一性の言説。「日本とは日本である」が真実であるのはただ、それを言う主体が日本思想史のパラダイムによるだけなのであるが(本多)

以下、子安宣邦氏の講演より (2「日本思想史」とは何であったか)
私は1980年代の終わりの時期、大阪大学日本学講座の授業で唐突に「私は日本思想史を止める」といい出したことがあります。日本思想史というものが現実にある学問的な事態にほとほと嫌気がさしたからであります。宣長の「古事記」注釈が<日本>を創出していったように、日本思想史が<日本>を発見し、<日本思想>を記述していく。これは<日本>という自己同一性の記述、すなわち「日本とは日本である」といった同義反復的な記述に過ぎません。<理念史的>日本思想史は<近代>の肯定的形成過程の記述か、あるいは否定的思想系譜の批判的記述かといった近代主義以外の方法的視点をもとうとはしていなかったのです。


子安宣邦氏の台湾講演について (6)

<日本とは日本である>という言説がそれを言う日本思想史家に触発した意味は、60年代から通じなくなってくる。われわれが直面していたのがグローバルな<後期近代>と呼ばれる現代世界であるならば、日本思想史は日本の外から日本をみるパラダイムへの転換が必要になってきたということ (本多)

以下、子安宣邦氏の講演より (2「日本思想史」とは何であったか)
<日本>の自己同一性にかかわる日本思想史や<近代主義>的日本思想史が意味をもちえたのは、日本における<近代>の再構築が国家的目標とされた戦後日本の60年までの時期でしょう。60年というのは日本の安全保障体制をめぐる国論を二分するような<安保闘争>が展開された年です。この60年を境にして日本はグローバルな世界市場における経済大国への道をはっきりととっていきます。われわれが直面しているのは<後期近代>と呼ばれる現代世界であることを日本思想史家は気づこうともしません。日本思想史は転換されねばならなかったのです。


子安宣邦氏の台湾講演について (7)


1990年は、89年のベルリンの壁の崩壊が起きた年。スターリ二ズムと昭和天皇がともに終わった年だったが、20世紀的戦争の方は終わらず、見えない戦争という形でより陰険で無感覚な恐怖が今日までずっとつづいている。89年を契機に、二か月ぐらいニューヨークを旅した。十数年間のヨーロッパ行きを考えることになったのは、旅のときに読んだソンターグの本からの影響かもしれない。はっきりしたことはわからないが、戻ってきたときは、フーコの読み方が変わった、というか、日本に閉じこもっていてはもうなにも読めなくなってきたとおもった。「「事件」としての徂徠学」との出会いは、この思いを決定的にしたのだった。ここから、ヨーロッパのテクスト、フーコを日本で読むことの意味はなにかという問いがあらわれてきたということ。ヨーロッパの日本は、外部のアジアから、たとえば台湾のような外部から相対化されること。

以下、子安宣邦氏の講演より (3「日本思想史」の方法的転換)
1970年から80年代にかけて私は日本思想史の方法論的な模索を続けていました。私が方法的な転換をはっきり遂げたのは85年にいたってです。私の「「事件」としての徂徠学」(青土社、1990年)はこの転換を表現するものです。私はこの転換を哲学の「言語論的転換」に因んで「言説論的転換」と呼んでいます。簡単にいえば、ある言説の思想史的意味を、その時代の、あるいは来るべき時代の言説的空間に向けて何が新たに言い出されたのかという言説の<事件性>においてとらることです。意味を言説的テキストの内部に、あるいは作者の内部に求め、それをテキストから読み出すのではなく、テキストの外部に、同時代の、あるいはそれを隔てた読み手や受け手とのかかわりにおいて見出していくことです。要するにこれは日本の思想的テキストを<日本的>同一性の同義反復的な自己確認的言語回路から、あるいは<あるべき近代>の歴史遡行的な近代主義者の自己確認的言語回路から解放するための方法的転換をいうのです。


子安宣邦氏の台湾講演について (8)

18世紀の伊藤仁斎はカントと同時代であった。戦後民主主義の近代を批判的に相対化するために、あえて18世紀から読むことの重要性。(本多)

以下、子安宣邦氏の講演より (3「日本思想史」とは何であったか)
「方法としての江戸」とは、この方法的転換の一つの具現化です。<近代>から、<東京>から見るという思想史的視点を転換させ、<前近代の江戸>から見ることによって<日本近代>として実現されたものを批判的に相対化することを目指していたのです。私の方法的転換のもう一つの具現化とは、まさしく日本の思想的テキストを<日本的>同一性の同義反復的な自己確認的言語回路から解放することです。それは一国思想史の世界化、あるいは一国思想史の自己否定というべきかもしれません。端的にいえば日本の17世紀の儒学者伊藤仁斎(1627-1705)の思想の世界的意味をどうとらるかということです。ここからまさしく今日ここでの主題に真っ直ぐに入っていくことになります。


子安宣邦氏の台湾講演について (9)

山口 昌男「文化と両義性」に書いてあるような天皇の祭祀的な構造主義は、批判されることがなく無傷なままです。(本居宣長を喚起する) かれの祭祀的な構造主義は、周縁が中心を活性化させるという異化効果をいうですが、これは内部に絡みとられていくだけの差異化・秩序化でしかない。思想の自立とはなにか?これは、<中心と周縁の間の弁証法>的に問うことからはなにも生まれない。むしろ思想の自立をいう言説がそれを言う主体を触発する意味を問うこと。思想史は、グローバル資本主義の分割を現状的に肯定する帝国の現在に包み込まれてしうのではなく、市民が生きる未来の方へ行くこと。オキュパイ運動以降の運動に対応した精神のあり方として、破れ傘的に、新たな帝国の支配に穴をあけていくような知を構成していくこと。(本多)

以下、子安宣邦氏の講演より (4 東アジア儒学世界)
私は1990年ごろからしばしば台湾を訪れ、中国儒学(哲学)研究者と交流をもつようになりました。私は日本の近世儒学の展開を東アジアの儒学世界の中でとらえてみようと考えていました。だがこの時期、儒学の東アジア各地における多様的展開を内包した<東アジア儒学>という概念は成立していませんでした。東アジア世界には<中国儒学>が存在するのであって、<東亜儒学>があるわけではなかったのです。この認識は台湾や中国だけでもたれていたものではなく、日本の中国学者・儒学研究者も共有するものでした。当時私がここに来て知ったのは台湾の中哲研究者との強い結びつきでした。一国思想史の枠を出ようとして台湾に来た私は、旧帝国の中哲的学問世界にここで包み込まれてしまうように思いました。中国儒学・哲学の<帝国>的な持続的存立がまず問われなければならないと私は考えました。<帝国>とは民族的、国家的多様を<中心と周縁>という関係をもって差異化し、秩序化していく支配の秩序です。



子安宣邦氏の台湾講演について (10)

多様体は多様体である。多様体は一に包摂されえない。<一的多様体>の言説は結局、一の支配をいう言説でしかないことをしっかり見抜くこと。その上で「東亜」概念の再構築は、多元的再構成の主張であった。しかし現在、この多元主義の主張はすっかり帝国的な言説の内部に一元的に再包摂されてしまっている。(本多)

以下、子安宣邦氏の講演より (4 東アジア儒学世界)
私は台湾で開かれる学術シンポに数多く出席して、<方法としての東亜>を提唱しながら、<帝国>としてではなく、多様性が多様性として意味をもった<東アジア世界>の多元的再構成を主張してきました(子安「東亜儒学;批判と方法」台大出版中心、2004、参照)。それから十数年を経た今、<東亜儒学>が台湾で、そして中国で理念的にも、制度的にも成立しているように思われます。だがそれははたして多様性が多様性として意味をもつような多元的な東アジア儒教世界の成立を意味するものでしょうか。残念ながら私が見ているのは一元的<帝国>的儒学の中心ー周縁的関係性をもって差異化された東亜儒学体系として記述される東亜世界の成立です。日本儒学・朝鮮儒学・琉球儒学などなどはいま<帝国>的中国儒学に再包摂されているのです。



子安宣邦氏の台湾講演について (11)

一国の議会制的組織だけに頼れなくなった、非暴力の抵抗から一人一人の自発性が推し進めていく、白紙の本のごとくあらわれてくる市民たちの'でもくらてぃあ'と小田実が呼んだ多様性。(本多)

以下、子安宣邦氏の講演より (4 東アジア儒学世界)
考えてみれば私が日本の儒学思想の積極的意味づけを求めて東アジアの多元的世界としての再構成を主張していった時期は、大国中国が中華主義的<帝国>としての存立のあり方を強めていった時期と重なります。だから東アジアを多元的儒教世界として再構成することの私の主張が、東亜儒学世界としての<帝国>的再包摂を促したと人はいうかもしれません。だが私がいう多元的東アジアと<帝国>的一元的東亜世界とは決定的に違うといわなければなりません。そもとをいわなければならないのはまさしく今です。その今とは中国が<帝国>的存立のあり方を一層強め、香港の政治的多様性を否認しようとしている今であり、自立的多様体としての台湾がその自己主張を明確にしている今です。地域的な多様体が多様体として積極的な意味をもち、<帝国>的東亜世界を形成する道とは決定的に違うと、今はっきりといわねばなりません。



子安宣邦氏の台湾講演について (12)

なぜ人間性を否定するヘイトスピーチがはじまったのか? 今回現地でお世話になった台湾の学生たちに、日本の一部全国新聞や全国書店が助長するヘイトスピーチのことを告げると驚いていました。台湾では少なくとも新聞と書店が公に少数民族を差別する言説を展開することはあり得ないと。それにたいして、なぜこの国では新聞と書店によるヘイトスピーチの恥ずべき関与が公然と起きるのでしょうか?一体いつ、あのような人間性を根本から否定するヘイトスピーチははじまったのか?それは、90年代にはじまる最近のことだと思います。これについてはひとつの考えかたとして、柄谷がいう<帝国>の構造から説明してみると、安倍の「この道しかない」とばかり、<帝国>のアメリカの側に必死につきたいとする安倍自民党の日本が、米国が敵対する他者、すなわち別の<帝国>、中国を文化論的な言語で必死に罵倒しまくるという言説の構造がみえてくるのではないでしょうか。帝国の文化帝国主義の根底に経済がある以上、競争する他者を語る言説はどうしても敵対的になることが避けられません。わたしが帝国を正当化する言説に疑いをもちまた警戒しているのは、まさに、こういう理由からなのです。


以下、子安宣邦氏の講演より (4 東アジア儒学世界)
日本についていえば、今日本の安倍政権はアメリカとの軍事的同盟関係を自国のいっそうの軍事化によって固めながら、日本のナショナル・アイデンティティーを強めるという対抗<帝国>的路線を進んでいます。これは私がいう多元的な東アジア世界への道にまったく反する独善的な一国主義的な道です。それは日本の思想と言語とを不毛にしていく道です。それは決して日本の思想を豊かにしていく道ではありません。私は「日本思想史の成立」という形での私への問いかけにすでに答えています。

子安宣邦氏の台湾講演について (13)

台湾で学んだこと、考えたこと。グローバル資本主義が現れたとき、資本主義は同じではなくなりました。このとき、市民に起きたことかが何かはわからないが、ただこれから起きることだけははっきりとわかります。つまり、市民が分散を余儀なくされたとき、一国構造<民族と国家>が成立したとすれば、市民が集合しつつあるいま、一国構造は分散させられるのではないでしょうか。さて、柄谷行人は一国構造の問題を多様体に関する一般的考察のひとつの場合とみなしたのにたいして、子安氏は一国構造の問題を分離することによって、多様体の問題を、<一>に還元されない<多>の問題として呈示することができました。つまり、柄谷行人は東アジアの多様体のあり方を帝国的に再包摂することが問題だったところに、子安氏は東アジアの市民性の問題を出現させたのです。思想史については、それは一国構造のもとで所謂一国思想史の様相を帯びていましたが、この一国構造がぐらついている現在、思想史を再び一国構造に戻しても仕方ありません。白紙の本というべき非暴力型抵抗に委ねるしかなくなったときめた、アジア・デモクラシーの台湾・香港・沖縄の市民たちが一字一字、一行一行、自分たちの思想の自立を自発的に書きはじめたのではないでしょうか。



以下、子安宣邦氏の講演より (4 東アジア儒学世界)
最後に関東大震災(1923)の際、日本陸軍によって虐殺された無政府主義的社会主義者大杉栄(1885-1923)の言葉を引いておきたいと思います。「人生は決して定められた、すなわちちゃんと出来上がった一冊の本ではない。各人がそこへ一文字一文字書いてゆく、白紙の本だ。人間が生きてゆくそのことが問題なのだ。・・・労働問題は労働者にとっての人生問題だ。労働者は、労働運動というこの大きな白紙の本の中に、その運動によって、一字一字、一行一行、一枚一枚ずつ書き入れていくのだ。」(大杉「社会的理想論」) この大杉の言葉にしたがっていえば、アジア・デモクラシーといべきわれわれの運動が<東アジア>という大きな白紙の本の中に刻みつけていく一字一字、一行一行が「台湾思想」であり、「日本思想」ではないでしょうか。

野口晴哉

問題は、体ではなく心である。
人を責め、追求し、他人の過ちのために自分の労力を消費するが如きのことをなさず、自分を楽しくし他人を快くすることの空想を、いつも心の中に拡げて生きることが養生というものである。

白百合運動(普通選挙を行え)のとき李登輝をリーダにして、蒋介石像のまえに座り込みした当時の若者たちは現在50歳ぐらいでしょうか。現在大学生となっている彼らの子供たちが展開した太陽花運動が目覚ましく、それと比べると、李登輝のそれが民主化運動というほどのものだろうかという評価になってきたとききました。日本の極右翼は救いようがないバカで語るだけ時間の無駄ですが、ただ彼らのせいで、グローバル資本主義の時代に東アジアの民衆の連帯を作ろうという台湾の市民運動の方向が誤解されてしまいます。今回台湾に行って知ったのですが、非常に迷惑に思われていますね、台湾の独立を支持する日本の極右翼は。李登輝は台湾の独立をいいましたが、極右翼が台湾の独立をいうのはただかれらが台湾が日本のものだからだといまでも本気で思っていますからね、困ったものです。もし台湾の人々が日本時代を悪く言わないとすれば、それは人々が感謝などしているからなどではなく、ただ、日本の後に来た蒋介石の軍隊の方が日本軍よりもさらに酷かったことによります。またコリアの人々と比べて、台湾の人々が日本人を「恨まない」と繰り返し言って、それを証拠のように、自分たちの過去の植民地主義を自画自賛しています。が、それは、中国から割譲された台湾の場合と、国家として成り立っていたコリアを奪った場合をごちゃまぜにしていて、そりゃ、コリアの人々の怒りは当然大きいでしょう。21世紀になってもバカなままですね、戦争について認識しようとしない、私の周りの在郷軍人のようにかんがえている日本人たちは。






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4月 2015 (2) 言葉と表現と射影のブログ/BIGLOBEウェブリブログ
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