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<<   作成日時 : 2016/02/03 01:08   >>

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ポストモダンのモダン化という言説のはじまりはいつだったのか?
ー 磯崎新と柄谷行人を読む

ポストモダンのモダン化という奇妙な思想ブームは世界的傾向です。そこに、日本の言説も絡み取られておりますけれど、それがいつからはじまるのか?初めを定めるためには、順番として、ポストモダンの言説がいつ終わったのかという問題があります。残念ながらはっきりしたことはわかりませんが、ただ1989年の磯崎新の文をよむかぎり、まだこれはポストモダンの言説だということは明らかです。かれはこう言います。「むしろ今日のたとえばポスト・モダンといわれている状況のなかで、さまざまな建築やデザインのプロジェクトを見ていて共通していることは、そういう固定化された様式に対する反対、反発であり、またそれをむしろ意図的に分解して、解体していくことですね。そうすると、当然そのなかには反動的な姿勢のものもあるわけで、古いものを回復させようという、そういう動きも出てくる。しかし、その伝統さえもじつは廃墟の一部分であると見なければいけない、そういうふうな時代になっているのではないかと思うのです。」。ポストモダンの磯崎はもはや蘇らない死に切った偉大な過去についての認識を持っています。そういう不可能の痕跡が建築であると言っているように読めます。
これにたいして、注目したいのは、1992年と1994年に日本で開催され国際シンポジウムです。柄谷行人が1992年の'Anywhere'のときに 、communicatice spaceについて、またこれの二年後の1994年の' Anyway'でOn the 'thing-in-itself'について語っています。内容を読む限り、それは必ずしも磯崎新の方向に沿ったものではありません。19世紀のマルクスが呼び出されます。ここで、柄谷の主張をわかりやすく単純化していってしまうと、磯崎のようには過去を死に切った廃墟とはみなさないこと、そして過去が純粋な理念型として存続しえることを言うものです。これは公に、影響力をもった形で、ポストモダンのモダン化という言説のはじまりをなすものではなかったではないでしょうか。

磯崎新「建築の政治学」(1989)からの引用

「ふつう、この次にはこういう確実な未来がある、それをユートピアとして描き出す。ユートピアの方向に向かってまず前進する。そうするとつぎがあるというように、順々に未来が生まれて描かれ、かつ追跡され、かつ到達されるということだったと思うのですが、しかし、そういう順序で未来が生まれてくるというのが、どうもぼく個人というか、ぼくのジェネレーションにはもう見つからなくなっている。わたしの戦争体験、といっても、単純に少年期に戻るのですが、非常にテンションがかかって日本中が戦争に追われていたさなか、ある日突然敗戦になる。敗戦になった日、これはよく言われることですが、日本中がまっ青な青空で、雲一つないような状態だった。つまりわれわれは、ある瞬間、ありとあらゆる希望とか目標とか一切合切、それまで組み立ててきた一切のものが一瞬に消えた瞬間を体験したのです。その消えた瞬間、目の前にあったのが青空と廃墟でした。
そうすると、青空というのは、ある意味でまったく透明な、かつなにかがあるかもしれない希望的なメタファーとして使われるのですが、むしろわれわれのジェネレーションでは、少なくとも私自身感じたことは、そういうすべての希望が消えた瞬間、つまり手探りでしか先が見えない瞬間、まさに空虚そのものの象徴として青空があったということです。
それに目の前の廃墟、焼跡、瓦礫の山、いうなれば、ありとあらゆるシステム、ありとあらゆる組み立てられた、建築やデザインでいえば様式が、ある瞬間にバラバラに解体されて廃墟になってしまうということを悟らされたのです。これはもう悟りというぐらいにしか言えないのですが・・・そうすると、私自身が未来について、それを明確に定義して、一般の方々に説き明かすなどというのは、たいへん大それたことであり、とてもできないということになる。
じゃどうしたらいいのかというと、私自身もわからないことが多いのですが、少なくとも、そういう状態であるからには、決まった固定したものを確実にここで受け取って、組み立てて、それを堅固なものとして主張しようというようなことはあまりしたくないし、してもしょうがない。
むしろ今日のたとえばポスト・モダンといわれている状況のなかで、さまざまな建築やデザインのプロジェクトを見ていて共通していることは、そういう固定化された様式に対する反対、反発であり、またそれをむしろ意図的に分解して、解体していくことですね。
そうすると、当然そのなかには反動的な姿勢のものもあるわけで、古いものを回復させようという、そういう動きも出てくる。しかし、その伝統さえもじつは廃墟の一部分であると見なければいけない、そういうふうな時代になっているのではないかと思うのです。」


Godard’s decision to make a commercial for aftershave brand Schick at the very height of his Marxist period may seem like a curious one, but he did in fact direct several commercials during his career, including ones for jeans, cigarettes and electronics (as well as a trailer for Robert Bresson’s Mouchette, 1967). While the money was typically used to fund the production of new films, the commercials themselves – always innovative, often self-sabotaging – still form an integral part of his body of work, offering provocative critiques of the use of the moving image to sell products. Starring Juliet Berto, the Schick advert – involving a couple arguing while a news story about Palestine plays in the background – is a typically Godardian affair, with the unique context creating a discomfiting sense of the uncanny.(BFI)



宇野「経済学の方法」(1963)を読む

‘読む'といっても、高名な経済学者の深遠な思想ー経済学研究の原理論・段階論・現状分析の分化についてーをコメントできる知識が私にはありません。ただ、思想史的に、宇野の文を眺めるだけです。そうすると、ヨーロッパ (イギリスですか、ずいぶんと端っこですね・笑)に、理念型を構成してしまう結果、どこにも存在しない純粋資本主義を真面目に物語る宇野に、日本知識人の繰り返されてきた思考パターンをみるおもいです。さらに宇野とかれを解説する柄谷の文を読むとき、高所から文明論的に言うことを許していただきたいのですが、ここに、翻訳文を通じて他人の言葉で考えなくてはならない日本知識人たちの宿命的鎖というか、ヨーロッパ語の受容からまだ百数十年しかたっていないという限界のことをどうしてもかんがえてしまうのですね。私にはその成熟度について判断できませんが、17世紀の儒者たちの成熟した文章が成り立つのに、いいかえれば、自分たちの言葉で考えるのに、1000年を要したと指摘されます。漢字受容の古代のときも、まだ他人の言葉を受容して百年ぐらいしかたっていない知識人たちは、中国に理念型を構成していったのは、現代の知識人とおなじだったでしょう。理念型に構成されたどこにも存在しない律令国家のことは考えられるが民衆のことは考えられないように、ー理念型に構成されたどこにも存在しない資本主義のことは考えられるが(国家と民族のカテゴリに属さない)市民のことは考えることができないようにー、他人の言葉の中から内部に即して考えていたのではないかと想像されます。

▼「経済学の対象をなす資本家的商品経済がまさに「資本論」の書かれた時代にイギリスで原理論を形成するのに最も適していたということに基づいている」(宇野「経済学の方法」1963)
▼「「資本論」に様々な意義をとなえる僕らは、なにか「資本論」を軽視しているように思い込んでいるかもしれないが、現代資本主義を問題とする場合に「資本論」がどういう役割を有しているかを明らかにしない点では、こういう人々こそ「資本論」を軽んじているとしか思えない。「資本論」は、原理論として純化されてこそ、その歴史的意義を完うすることになる」(宇野「経済学の方法」1963)
▼「このような「資本論」と現実の政治経済とのズレは、マルクス主義者を悩ませた。その結果、「資本論」を歴史的な仕事として'発展'させる者、つまり事実上それを放棄する者が出てきた。その中で、私が注目するのは、「資本論」をい保持しつつ、このズレを解決しようとした宇野弘蔵である。宇野は、マルクスが「資本論」で「純粋資本主義」を想定したのだと考えた。むろん純粋資本主義がイギリスに実在したわけではなく、また、将来において実現されるものでもない。ただ、マルクスがいた時代のイギリスの資本主義は、自由主義的であり、相対的に国家を捨象して、そのメカニズムを考えることができたという意味で、純粋資本主義に近いものであったといえる。とはいえ、宇野がいう「純粋資本主義」は理論的なものである。彼は「資本論」が、他の要素をすべてカッコに入れ、商品交換が貫徹された場合に資本制経済がどのように働くかを理論的に考察したものだと考えたのである。したがって、「資本論」は、資本制経済が存在するかぎり、特に変更する必要のない理論である」(柄谷行人「世界史の構造」2010)


柄谷行人「世界史の構造」(2010)を読む

▼The rhinon(サイ) のエピソード。リアリズムのラッセルは机の引き出しの中になんのものがあるかと見ようとするが、他方で脱リアリズムのウィットゲンシュタインは事実の総体がいかにあるのかとその意味をみることを問題にしたとおもわれる。▼「本書は、交換様式から社会構成体の歴史を見直すことによって、現在の資本=ネーション=国家を超える展望を開こうとする企てである。」という序文からいきなりはじまる「世界史の構造」のどの頁にも、資本主義のことが書かれている。そのはずなのに、しかしわれわれがそこで生きている資本主義について一度も論じられることがないという奇妙な感想をもつ。それはなぜか?▼柄谷行人はウィットゲンシュタインについて書いてきたにもかかわらず、資本主義という机の引き出しのなかに、資本=ネーション=国家という三位一体があるかだけが理念的に問題になるとき、かれは限りなくラッセルに近い。方法論的に純化された資本主義の理念型として構成されたものが日本においてきちんとあるのかどうかを見ようとする。なんのために?資本主義を語るとき、従来の理論のように生産様式からみるのではなく、交換様式からみたほうがよく分析できるはずだという自身の言説の正しさを確認するためである。だが、ここから、いかに、ネーションと国家の外部から、資本主義にたいして民主的介入を行うのかという問題がでてくることはないし、またそこで市民の経験がいかなる意味をもつのかということも語られることもないのである。


▼Die Welt ist alles, was der Fall ist.
世界はそうなっていることのすべてだ。(木村訳)
▼Die Welt ist die Gesamtheit der Tatsachen, nicht der Dinge.
世界は、事実の総体で、もののではない。(木村訳)

▼映画「Wittgenstein」 (1993) は、監督Derek Jarmanによる作品で、脚本はTerry Eagletonが書いた。ちなみにこの戯曲本の序文はCollin MacCabe(ゴダール伝記を書いたジョイス研究者)が寄稿している。

▼The rhinon(サイ) のエピソード。リアリズムのラッセルは机の引き出しの中になんのものがあるかと見ようとするが、他方で脱リアリズムのウィットゲンシュタインは事実の総体がいかにあるのかとその意味をみることを問題にしたとおもわれる。

▼「世界史の構造」のどの頁にも資本主義のことが書かれているのに、資本主義について一度も論じられることがないという奇妙な感想をもつが、それは、柄谷行人はウィットゲンシュタインについて書いてきたにもかかわらず、資本主義という机の引き出しのなかに、交換様式と絶対反戦世界共和国があるかだけが理念的に問題になるとき、かれは限りなくラッセルに近い。方法論的に純化された資本主義の理念型として構成されたものがきちんとあるかどうかを見ようとし、見えなければ資本主義が日本に存在しない。存在するかどうかという探求で十分だ。だが、いかに、資本主義にたいして民主的介入を行うのかという問題の意味をみようとはしない。


柄谷行人「探求2」(1989)を読む

1989年という年は、世界史の教科書が証言しているように、「テレビや新聞などのマスメディアでは世界各地の政治・経済・社会・文化のニュースが毎日報道されています。ソ連・東欧の社会主義圏が消滅した後、市場経済が世界を席巻しましたが、21世紀初頭にはアメリカに端を発する世界金融恐慌が発生して、アメリカ一極主義は破たんをみせ」ました。▼この年はニューヨークに始めて旅した年。旅の途中、父が心臓の病で入院してしまったので東京に戻って病院に見舞いにいきました。だが個室にいた父からきくと話といえば、資本主義でもなければ社会主義でもない戦後日本のあり方をいう自慢話です。毎回これをきくと、親不孝者の私の頭の中ではその戦後の復興日本が国家総動員法の国家と重なり合います。和辻を愛する大正教養主義的「一高」出身の元大蔵官僚の、しかし青春時代に国家総動員法の国体イデオロギーに共感したとはいえないが、だが共感しなかったともいえないようなんだかよくわからん妄言の言葉とおもってしまうのが常ですが、とにかくそういう議論は死の重い空気に席巻された1930年代の中心的話題を占めたから記憶が語らせるのでしょう。▼資本主義の純粋理念型みたいな数えられる無限 countably infiniteと、社会主義の純粋理念型みたいな数えられない無限 uncountable infinite の間に、他の無限があるのか?他の無限が存在しないとはいえないしまた存在するともいえない。と、結局思考を偶然的に委ねることになるような思考のゲームでも、京都学派のイデオローグたちはこれを世界史の問題として真剣にかんがえたのです。生命のごとき他の無限としての無の場所として、帝国日本を理念的に構成しようとしました。▼西田幾多郎の「場所の論理」に対抗した「種の論理」で田辺元は、西田の「即非の論理」に対して「媒介の論理」を対置したといいます。西田の場合は、個物の相互限定がそのまま無の自己限定になってしまっていて、個と一般の媒介を欠くアナーキズムにみえたかもしれない。もうしそうならば、田辺の「媒介の論理」は国家の構造に対応するものとして理解できるでしょうね。わかりやすくいうと、'古代世界'との媒介によって復興していく国家というか、そういう構造をかんがえた。しかし京都学派の中には、「歎異抄」を読んだ三木清のような、末法の世において死に切った絶対の過去を愛することの意義(したがって'古代世界'との連続性を断ち切った)を書いた、反時代的精神もあったのです。古代世界でいわれるなにかは存在したことは否定しませんが、それは「日本書記」「古事記」の古代国家の成立するまえに消滅してしまった可能性もあるでしょう。そうなにもかも現代に都合よく連続してくるものではないと考えますが。
▼さて柄谷行人の「探求2」では、いわば他者の現象学から他者の論理学への転回をなしたといわれますが、その転回を行うのが単独性と国有名についての探求でした。恐らくそうではないだろうかと勝手に考えることなのだけれど、柄谷の課題は、単独性と国有名についての探求を通して、フランス革命後の世界史の展開を総括していくような概念をつくること、アナーキズム (西田の「場所の論理」)と国家 (「媒介の論理」を乗り越えていくような概念をつくることにあったのではないでしょうか。「探求2」の柄谷において、単独性でいわれるものは、一般性の中で見られた特殊性ではないし、類の中に見られた個でもない。それは一般性ー特殊性(類ー個)という回路の外にある。しかも、単独性は、パラドクシカルに普遍性あるいは社会性につながっている、と説明されました。▼ここで単独性はいかに固有名とかかわるのか?西田的なナイーブな口調でしかも文学擁護の印象を与えるような特権的な含みをともなって説明されます。「単独性の問題は、個体が「何であるか」ということは無関係なのだ。・・・あるテクストを構造やインターテクスチュアルな織物としてではなく、単独性においてみるとき「漱石のテクスト」と呼ぶだろう。その限りで、われわれは「歴史性」と出会う。それは「漱石」という個人や、漱石という「作家」とは関係がないし、その歴史とも関係がない。科学としての批評は、このような固有名を消そうと試みる。しかし、それは、固有名を記述によって翻訳してしまうことである。もちろん、そうしてはならないというということではない。むしろ、そうすることによってのみ、われわれは逆説的に出会うのだから。」。▼だが柄谷がこう語るとき彼は田辺に近づくようにみえるのですね。柄谷は田辺に代わって喋っているようにすら錯覚してしまうほどです。「すなわち、固有名が個体を指示するのではなく、固有名を媒介にしてわれわれが個体を指示するのである。」。このときすでに、国家の構造としての媒介の論理ではなく、帝国の構造としての媒介の論理が言及されていたとしたら、 柄谷の思考世界の原理主義性の凄さに圧倒されてしまうといわざるをえません。1989年の時点で、「一冊で世界史の全体像を把握できる書物」、すなわち「世界史の構造」の構想が出来上がっていたのだろうか?▼だが、1989年の「探求1」で柄谷の書くたびに事件性を放ったラジカリズムが最後だったとおもうのは、柄谷が、'古代世界'から始める日本世界史、始まりとして古代世界を置くだけでなくその始まりに起源を読み出していく19世紀的ヘーゲルの同一的反復の言説に絡み取られていくことになったからです。そういう'古代世界'は、近代国家の民族主義が自分たちの起源を正当化するために語ってみせた'古代世界'でしかありませんが、この置き換えは帝国という語彙によっては隠ぺいできそうにはありませんね。



キミの獲得した全歴史を総括せよ。

だがそのキミが「一冊で世界史の全体像を把握できる書物」に属しているとか、またはその逆に、「一冊で世界史の全体像を把握できる書物」がキミに属しているとは信じてはなりませんぞ。▼「もういちど読む世界史」(2009)は、もういちど読みたくないとおもうのはなぜなのか?序文ーふたたび世界史を学ぶ読者へーはこう書いてあります。「テレビや新聞などのマスメディアでは世界各地の政治・経済・社会・文化のニュースが毎日報道されrています。ソ連・東欧の社会主義圏が消滅した後、市場経済が世界を席巻しましたが、21世紀初頭にはアメリカに端を発する世界金融恐慌が発生して、アメリカ一極主義は破たんをみせ、民族や宗教にかかわる紛争もたえまなく続いています。大量生産・大量消費の生活が、環境に対する負荷を増大させています。発展途上国の人口は爆発的に増加し、飢餓の問題が進行している一方で、先進国では少子化対策が急務となっています。芸術や学問文野でも新しい才能がつぎつぎとあらわれ、新しい技術や学説が登場しています。世界は動いているのです。これからもまちがいなく動いていくでしょう。しかし、いったいどこに向かっているのかは不明瞭です」。▼序文の通りならば、現代世界の問題を考える知識を与えるという教科書なのですから、例えばアイルランドとイギリスの高校で学ぶThe World History、つまり近現代史が語られているはずなのです。そこで、1870年以降のフランス革命後、ベルサイユ体制崩壊後、そしてパリコミューンからどういうふうに「世界は動いていく」のかを考える課題があります。フランス革命後の議論ーアナーキズムか国家かーは、21世紀後期資本主義の現在、民主か帝国かという形で継承されていますが、しかしそういう市民の歴史が登場するのは、教科書のやっと半分くらいのところからです。▼教科書の第一章から読もうとすると、'文明の起源と'古代世界'から始まりますが、こういうふうに'古代世界'から始める日本世界史は世界に類がありません。始まりとして古代世界を置くことは自然に思えますが、しかし問題はその始まりに起源を読み出していくことです。そういう'古代世界'は、近代国家の民族主義が自分たちの起源を正当化するために語ってみせた'古代世界'でしかありません。諸君が現在立っている大地を堀りおこせば'古代世界'が現れると。これは偽の文化概念です。たとえば、近代国家の産物でしかない靖国神社が古代にあったと語るときそれを廃止することが事実上できなくなってしまうことの問題を考えてみればいいでしょう。また、近代国家の産物でしかない民族概念の"XX人"を古代の地理に投影した上でかれらがどこから来たのかを物語るのもやはり偽の文化概念です。
21世紀の世界の動乱でグローバル資本主義に抵抗する市民の問題と無関係なものはひとつもなく、それらは現象として市民の民族と宗教の形をとった争いとして現れるだけなのに、「民族や宗教にかかわる紛争もたえまなく続いています」という記述に、19世紀的な民族概念をふたたび国家の側からの視点から実体化しようとしているのではないでしょうか。最後に、古代世界のことは、もっと別のところで、すなわち古代史として学問的に独立したところで、適切な方法で扱われるべきだとおもいます。


「日本史」の教科書は、自己言及的に、家永教科書裁判のことを触れないといけませんね。家永三郎が、教科書検定に関して、政府を相手に起こした一連の裁判(1997年に第三次訴訟の最高裁判所判決をもって終結した)は、日本史の大切な一部を構成するのですから。(私の高校時代ときは日本史の教科書をいちども読むことはなかったのだけれど)、2009年に出版された「もういちど読む日本史」を開くと、338頁の最後の2頁の凝縮された記述に、「日本史」を読んでいる、この<私>が属しているおぞましい時代が語られています。中でも2003年が大きな転換点だったかもしれない ('なぜ自衛隊はイラクへ行かないのか'と訴えるナショナリズム)。2006年から2016年現在まで空白となっているテクストを書き込もうとすると、嗚呼溜息しか出ません。
「安定成長から平成不況へ。1980年代を通じて日本経済は安定成長を続け、・・・その間、中曽根康弘内閣のもとで、電電・専売・国鉄の民営化が実現した(<ーさせられた)。・・・21世紀に入ると、自民党は公明党との連立政権を維持し、小泉純一郎内閣のもとで・・・小泉内閣によってテロ対策特別措置法が国会で成立し(<ーさせられた)、それにもとづいて、インド洋に(<ーのどこかに)海上自衛隊の艦船が派遣され、2003年にアメリカの(<ーブッシュの)イラク攻撃が始まると、(20年前から決めていたー>)有事法制の整備をすすめ、翌年にはイラクに自衛隊を派遣した。また小泉内閣は2005年に郵政事業の民営化を決定した。靖国神社参拝問題では、中国・韓国の批判を浴びることになった。2006年に成立した安倍晋三内閣は、・・・」



明治の漱石をあえて大正から読む

夏目漱石といえば、いかにも明治の作家のイメージがある。だが、元々新聞小説であった『明暗』は、河上筆『貧乏物語』と同じ年(1916)に出版されたのであった。漱石の最後の作品は、西田幾多郎『善の研究』の5年後に、大正期にあらわれたのである。古井由吉の言うとおりに表面的なことをたどっていくとこんなものは読んでいられないと苛立ってしまう。この苛立ちはどこからくるかと考えてみる。と、それはリアリズムが描く没落した中流のどうでもいい運命を読まされるのかという苛立ちではないか。言い換えると、大正から漱石を読むことの苛立ちかもしれない。だが古井が明治の側から再びとらえた漱石は、則天去私の漢詩の世界に、解決を見出すことはなかったという。西田に即していいなおせば、このときの漱石は、「自己を映す鏡」(西田)のなかに、それほど「統一的或者」(西田)を見出すことはなかったということだろうか。だがそこから古井は読者に、「ところどころで漱石の意志、意欲」をみよという。だが、「意志」「意欲」のことを言えばなにかの説明しているつもりになっているのがなんともやりきれない。たしかに漱石に、「自分がなくなってしまうような気持ちにさえなりかける、何とか自分を取り戻さなければ、どこへ持っていかれるかしれない」という危機感はあったことはたしかだろう。(だが作家ならば特別なことではない)。しかし古井は漱石を日本語のなかにあまりに心情的に包摂してしまう。このノスタルジーにたいして、大逆事件(1910)という事件が夏目漱石に与えたであろう畏怖感のことをわたしはどうしてもかんがえてしまう。天と地の間を闊歩する自由な精神、則天去私の可能性の中心は、国家において、絶望的に消滅させられたのだ。そしてあらゆる可能性が消滅しきったところに、「ところどころで漱石の意志、意欲」と古井がいうようには・・・。ここまで書き方の中からその内部に即して漱石を語るのは、喪失感のなかでファシズム的に語られるイデオロギーの語り口を避けたいからだろうが、「日本語の再生のために」(古井)といわれるような再生はイデオロギーそのものである。一つの日本語の再生は意味がないから、漱石は自らの書く行為を近代語と漢文の間に置いたのではなかったのか?

「漱石の作品をとおして読み比べてみると、『明暗』は最も無理をしている小説だということが見える。『明暗』以前の小説は、主人公、あるいは他の登場人物にしても、漱石が選んだのは、自身がかなり自己投影をできる、そういう人物たちです。ところが、『明暗』は、主人公の津田由雄、その細君、妹、それからどこぞのマダム、これらの人びとに、漱石は違和感を覚えながら書いていると思います。時は大正の初めです。そのとき三十歳であった人間、あるいはそれを囲む人間たちは、漱石とは世代が隔たっている。いわば、大正の人です。大正期に人となった人です。永井荷風の『濹東綺譚』の「作後贅言」にも、大正の人間たいして、明治の人間の違和感が述べられている。『明暗』では、それほど隔たった人間を、あえて主人公にsぎた。・・・吉川幸次郎氏の注釈の中でも引用されていましたが、昼間は『明暗』を書き、大いに「俗了」される、と漱石は言っている。書いているうちに、自分がなくなってしまうような気持ちにさえなりかける、何とか自分を取り戻さなければ、どこへ持っていかれるかしれない、そんな気持ちが強かったのでゃないでしょうか。たしかに、他の作品を書いている時、これほど続けざまに漢詩を描いたことはありません。その意味でも、『明暗』と漢詩との関係は深いのだと思います。しかし、その関係を両方から説明しようとしても、これは無理でしょう。『明暗』は、漢詩と同じようにあまり深読みしないこと、いかめしく読まないこと、むしろ表面的なことをたどっていくと、かえって漱石の真意が伝わてくるのではないか。ただ、ところどころで漱石の意志、意欲がかすれるところがあります」(古井由吉)



語る民主主義と無関係の金まみれのイベントに当惑すらしていたアイルランドとイギリスのヨーロッパの新聞は...と書くと、いかにも新聞はかくあるべきだという理念型の話になるのだけれど、いやだいやだ(笑)、理念型についておせっかいにもここにすこしばかりか啓蒙的に書くことをお許しいただきたいのですが、大西洋の向こう側の国では新しく何が語られているのかという民主主義のあたらしい経験と、選挙後の外交政策の転換については熱心に解説しても、まさか米国大統領選指名候補争いの選挙の話が日本新聞みたいにそのまま一面に載ることは絶対にありませんでしたね。軽蔑すべきことに、嗚呼手遅れなのか、新聞が、かくも「選ぶ」民主主義のマネーゲームの側に崩れてしまってはもう情けなくて涙が出てきました

憲法は私の生き方、か・・・



柄谷行人「言葉と悲劇」(1989)を読む


荻生徂徠の(1666-1728)の登場は、徳川日本の思想史上のひとつの「事件」(子安宣邦「事件としての徂徠学」)とされます。それは、それまでの日本の儒教を内側から壊す役割を担ったからです。そしてこの徂徠が影響を受けた、伊藤仁斎(1627-1705)こそは、それまで天皇・貴族・寺社が独占していた学問を民衆に広め朱子学を脱構築し、東アジアの知識革命をもたらしました。▼さて丸山真男は根本的な戦後的価値の出発のために近世儒教の思想を読む必要をかんがえました。その着眼点は正しかったのですが、読み方に問題がありました。カール・シュミットのいう中性国家Ein neutraler Staatとは、 丸山真男の解説によると、「真理とか道徳とかの内容的価値に関しては中立的立場をとり、そうした価値の選択と判断はもっぱら他の社会的集団(たとえば教会)又は個人の良心に委ね、国家主権の基礎はかかる内容的価値から捨象された純粋に形式的な法機構の上に置いてある」といいますが、丸山はこのカール・シュミットの中性国家をそのまま、荻生徂徠 (近代国家を知らなかったし日本人という認識もなかった儒者)に適用してしまうのです。▼子安宣邦氏が指摘するように、徂徠が書いていないことを勝手に読み出し、そこに恐らく福沢諭吉の思想を書いていくことになりました。江戸思想における多様な学問の展開をみながら、しかし丸山にとっては、自己の言説の正しさを担保するためには、呼びだした荻生徂徠があたかも存在しなかった思想家として消去されました。そしてもっとも重要な位置を占めた伊藤仁斎は非常に存在感のない思想家とされてしまいます。東アジアの知識革命も民主主義のことも。
▼89年の「言葉と悲劇」で柄谷行人はこの丸山の認識を正したうえで、キルケゴールを仁斎に適用できるることを語っています。やや得意げにかれはいいます。「丸山真男は、仁斎をカント的、徂徠をヘーゲル的だと類推的に考えていますが、その意味では僕は、仁斎はキルケゴール的、徂徠はマルクス的、宣長はニーチェ的だと思います」。仁斎とキルケゴールとの対応がいかに導かれた結果かはわかりませんが、丸山の知に荻生徂徠という他者が存在しなかったように、柄谷の知に伊藤仁斎という他者が存在することがないのではないかと疑わせるものがありますね。▼冒頭で述べたように、伊藤仁斎と荻生徂徠の知的ラジカリズムは、テクストの解釈的内部化を拒否したことに存しました。かれらの思想は徳川日本という言説空間の存在を否応なく意識させるものです。丸山の問題点は、明治日本から徳川日本を包摂してしまう内部にからみとられた構築の仕方です。それは自己同一の言説にほかなりません。同様に、柄谷の問題点も、かれは自らを'脱構築的'といっていますが、後期近代の昭和日本から徳川日本を包摂してしまうような自己同一的内部化に存します。▼丸山と(丸山を批判する)柄谷には、<江戸>の発見も再発見もありません。かれらはただ<昭和>を語ることを反復しているだけだという印象をもちます。(これと同様に、柄谷の「世界宗教」についての語りも単一の普遍主義のことを反復しているだけのようにみえます。) 現在われわれは、昭和の戦後民主主義から大正を読むのではなく、逆の方向から、大正から昭和の戦後民主主義を読んでいますが、この作業のもつ意味とは、江戸から昭和の戦後民主主義をとらえなおしそれを相対化するという意味なのです。大正を読むこと・書くこと、江戸を読むこと・書くことを通して、近代を中心とした一つの「日本」に多数の穴を開けていく言説的な取り組みから、多様性としての普遍主義を発見・再発見することになるのではないだろうか、と、私はやっと気が付くことになりました。


昔の投稿(FB)
鞭で正すあり方を意味する「政」に対して「徳」の優位が説かれた。同様に鞭で正す「教」から独立した「学」の意義も倫理的に導かれるだろう。他方「教える」「学ぶ」の非対称性についてただ認識的に語ってしまう「探求」ならば、「政」を倫理的に批判できない。「世界史の構造」を「教」えるだけである


昔の投稿(FB)
ニ十世紀は映画の世紀という。古典的傑作は急速な勢いで忘却されると同時に、ゴダールは、次第に、映画を表す代名詞となったーデカルトが哲学を表すように。人々は、このスイスの隠遁者に、「リア王」の名を付与した。世界たる、この道化は、見えないもの(映画)を見えるようにしたいと、彷徨い続ける

昔の投稿(FB)
大島「小さな冒険旅行」;家の外へ迷い出た子供が東京中の名所を巡り無事家に辿り着くまでを描く。大島は、建築労働者にオペラを歌わせていて、原案者の石原慎太郎は不快だったかも。憎しみは憎し返しによって増大され、反対に、愛によって除去される、と、大島は、迷子の子供=石原に教え諭している!


複数性の視点、外部の視点で成り立つ方法としての日本史しかないわけで、ご指摘なさるように、「大和統一王朝以前の複数の王国の存在」とか、「平安朝の奥州征伐」とか。あと、言説をとらえる視点も大切だと気が付きます。それほどほうんとうに「統一」だったのかわからないのに、だれが、「大和統一王朝」というのかとか、ビデオでは提示されていませんが、なんのために「侵略」を「侵攻」というのかとかを考えさせる可能性があればいいですね。また、私が編集するとしたら、共時的にいって、分裂した複数の日本があったこと、通時的にいうと、多数の日本があったこと、そこで、一つの日本が成立したようにみえても、徳川日本、明治日本、大正日本、昭和日本というふうに差異化できることを示したいですね(例えばとくに天皇の生まれをもって大正が始まったと考える必要のないこと、大正の始まりと終わりは明治の終わりと昭和の初めと重なり合っていること)。複数性の視点、外部の視点、言説批判の視点で成り立つ、方法としての日本史は、編集としての日本史のことなのかな?。わかりませんが、教科書で書かれた日本史を批判するのはむつかしいですが、こういうふうに編集された日本史ならば、だれでも比較的に自由になにかを語ることができるような気がします。それは、語る人は気が付きませんけれど、編集にたいする批判を構成しているのではないだろうかとおもいます。長々と書いて恐縮ですが、わたくしの日本史で関心がある問題は、武士が天皇・貴族・寺社が嫌いだったこと、前者が後者をやっつけたので、後者が独占していた学問を徳川日本の時代に商人がはじめることになったこと、それは東アジアの知識革命をもたらしたほどの(単一ではなく)多様性として啓蒙主義だったかもしれないということ、その場合、天皇はどういうふうに自分たちを再定義していくことになったかという問題ですね。ここまで書いておもうことは、大島の「戦場のメリークリスマス」で描かれる皇道派はなんだったのかを考えるとき考える大前提としてこういうことも検討すべきではないかとおもってます。

現代数学で語っちゃった日本史みたいな


ウィキより引用した

鍵配送問題と公開鍵暗号

コンピュータの性能が向上するにつれ、暗号の安全性は、コンピュータをもってしても解読を防げる程度にまで達したが、暗号技術は別の壁にぶつかる。

共通鍵暗号で通信をするには予め鍵を相手に送っておかなければならないが、その鍵を暗号化せずにそのまま送信すれば第三者に盗まれてしまう。安全に鍵を配送するのは多額のコストがかかり、これが鍵配送問題と呼ばれる問題である。 鍵配送問題の例として、敵国に侵入したスパイに暗号鍵を送信していると推測される放送もある(ナンバーステーション、乱数放送)。

鍵配送問題を解決すべく、1976年にホイットフィールド・ディフィDiffieとマーチン・ヘルマンHellmanが公開鍵暗号系の概念を提案する(Diffie-Hellman鍵共有)。これは共通鍵暗号系と違い、暗号化と復号に別の鍵を使う、というアイデアである。暗号化の鍵は誰でも入手できるように公開してもよく、送信者はその公開鍵で暗号化して送信し、受信者は復号鍵で平文に戻す。公開された暗号化鍵では復号できず、復号鍵は受信者しか知らないので、通信の秘密は保たれる。

具体的な公開鍵暗号方式として有名なRSA暗号はその翌年に発表された。その後、ラルフ・マークルMerkleとヘルマンの二人が公開鍵暗号方式であるMerkle-Hellmanナップサック暗号を提案したが、この暗号方式は後に解読されてしまった。暗号ソフトウェアはフリーウェアとして公開されているPGPなどもあり、誰でも安心して通信できるようになった。

現在ではもっぱらソーシャルエンジニアリングによる鍵や情報の流出の危険性のほうが問題となっている。コンピュータのパスワードを複雑なものにする、パスワードのメモを机やゴミ箱に放置しないなどの対策が必要となる。

量子暗号への展望

典型的な暗号方式であるRSA暗号の信頼性は、大きな数の素因数分解が困難なことに依存している。もし量子コンピュータが実現したとしたら、素因数分解が短い時間で可能になるのでRSA暗号は破られることになる。

量子(現在のところ光量子)を利用した量子暗号も研究が行われている。


P と NP 問題 ( P≠NP 予想)

効率的に解ける問題の集合を「P」、解答の正しさを効率的に調べられる問題の集合を「NP」とする時、もし世の中には「どんな問題にも効率的な解法がある」のなら P=NP、「効率的な解法のない問題もある」のなら P≠NP と言えます。 どちらが正しいかは証明されておらず、現代数学の重要な未解決問題の一つになっています。

もし P=NP が証明されたとすると、素因数分解は、得られた答えが正しいか(=「 2 つの素数を掛けて元の値になるか?」)を簡単に調べられるので、素因数分解自体も効率的な解法が必ず存在すると言えることになります。 つまり「効率的な解法があるのに見つかっていない」だけで、まだ具体的な攻撃方法が見付かって無くても「必ずRSA暗号は破れる」という証明はされたことになってしまいます。 ただ、素因数分解のような「 P ではない」と推測される問題について、世界の研究者が長年取り組んでも効率的な解法は見つかっていないことから、P≠NP だろうと言われており「 P≠NP 予想」などと呼ばれています。



以下は、ブログ;赤羽橋日記より引用

ハッシュ・・・あるデータが与えられた場合にそのデータを代表する数値を得る操作

暗号化・・・第3者に内容を知られないように行う方法のうち、特別な知識なしでは読めないように変換する表記法

このハッシュ化するアルゴリズムの代表的なものとして「MD5」と「SHA1」がある。
「aaa」という文字列をMD5変換すると、「47bce5c74f589f4867dbd57e9ca9f808」となり、
SHA1変換すると「7e240de74fb1ed08fa08d38063f6a6a91462a815」となる。
そして、ポイントはハッシュは「不可逆」であるということ。
上記、「47bce5c74f589f4867dbd57e9ca9f808」から「aaa」を導くことは不可能なのだ。
暗号化は「第3者に内容を知られないようにする方法」である。
つまり、第3者以外、通信する本人と相手方は内容を知る必要がある(当然といえば当然だが)。
ハッシュは不可逆であるが故に、相手方すら内容がわからない。
「47bce5c74f589f4867dbd57e9ca9f808」を受け取っても、それから「aaa」を導くことが
不可能なため、秘匿通信という要件を満たさない。よって、これは暗号化とは呼べない。
よくMD5は脆弱だ。解読可能だ。という話が出ているが、
これも「47bce5c74f589f4867dbd57e9ca9f808」から直接なんらかの計算で「aaa」を
導くわけではなく、大量のサンプリングを得た結果から導くものだ。
通信するお互い(だけ)が内容を知る必要があるため、暗号は「可逆」だ。
それを可能にするのが「鍵」である。
平文を「鍵」を使用して特殊な計算をして暗号化する。
受け取った側はまた「鍵」を用いて暗号文を、これまた特殊な計算で平文にする。
この「鍵」は、送受信側で共通のものであったり、異なったものであったりする。
暗号化には必ず「鍵」が必要になる。
内容を秘匿するために「パスワードつきZIP」をかけて、メール送信することはよくある。
これも暗号化に他ならない。パスワードが「鍵」になるわけだ。
ハードディスクの暗号化もパスワード(鍵)を必ず必要とする。
古典的な暗号化の方法として、アルファベットを1文字ずらすなんていう方法もある。
あらかじめ、送信者と受信者でその約束を共有しておく。
「abc」という内容を相手方に知らせるために「bcd」と送る。
相手方は1文字ずらしているということを知っているので、「abc」という内容
だということがわかる。この場合、「一文字ずらず」という約束事が「鍵」になるわけだ。
当然、この程度のアルゴリズム(とまでは言えないが)であれば、
暗号文を見ただけで、あっという間に解読されてしまうだろうが、現在使われている暗号化も原則は変わらない。
当人しか知り得ないものがあって、初めて暗号化が成立する。
アルゴリズムがいくら強力であっても、その「当人しか知りえないもの」が漏洩してしまっては、基も子もない。




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一月2016年 (4) 言葉と表現と射影のブログ/BIGLOBEウェブリブログ
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