言葉と表現と射影のブログ

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<<   作成日時 : 2016/03/25 10:12   >>

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これでもかこれでもかと、アメリカのマスコミが繰り出す、共和党の大統領候補者トランプの強烈な映像をみるたびに、ミッキーマウスの世界からきたひとというよりは、ベーコンの世界からきたひとですよね。トランプみたいのがでてくると、対抗するためには、安倍ぐらいcrazyな首相じゃなくては駄目なんじゃないかという感じで、危険と感じていながらなんとなく支持してしまう人々がこの先増えるかとおもうと、本当に嫌になります。違憲的安保体制の日本の現実...さて、トランプは、日本に核を持たせるからおまえたちが好きなように戦争をやれ、アメリカ人を巻き込むな、グッドラック!などと言っていますが、この無茶苦茶なメッセージをあえて合理的に読み解くと、アメリカは全世界においている軍事力をキープすることが財政的に困難になってきたということなのでしょう。しかし他方で、ここ数年以内に、アメリカ軍による中近東への本格的な大空爆の可能性のことがいわれています。トランプは戦争反対を表明していますが、この男は中近東を米国の植民地化にすれば戦争を回避できるのだと言っていて、そのためには戦争を必要とするというわけでしょう?ロンドンのアルジェリアから亡命してきたアラブ人が単刀直入に問うてきた言葉が思い出されます。「なぜそんなに中近東を支配したいのか?資源なのか?」。そのとき、空爆を受けることになる住民たちは、アメリカ軍とそれに協力する自衛隊の行動を、「必要らしい」「任務だから」「仕方ないから」として爆撃する側のわたしたちに都合よく考えてくれるかどうかです。陰険にも、隠された戦争という形態になるのでしょうからそんな倫理的問題も考えにくくなるのでしょうが。1990年代から言われ始めた帝国と帝国主義の区別も怪しくなってきましたか。なにか、現在についてとらえた決定的な言葉が無いのですけれども、汝自身を知れ、汝自身を読め、という言葉をおもいます。アメリカのために同じアジア人を空爆する汝自身を知れ、汝自身を読め、ということ。


Conséquences pour la nature de l'inconscient l'inconscient sériel, différentiel et questionnant (Deleuze)
無意識の本姓に関する諸帰結ーセリー状の、差異的=微分的な、そして問いかけ的な無意識


【昭和思想史研究会に関するお問い合わせ】
http://www.freeml.com/koyasu_studygroup/contact



小林秀雄が言っていたのですが、「わからない」と言う人はあまりに短い時間でわかろうとするから難しくなってしまうのだと言っていましたが、成程、短い時間の効率性の規範性は産業革命の近代のブルジョアの発明物です。▼フランス革命以来、「世界の創造者」と自らのアイデンティティーに己惚れるブルジョアがつくる都市からかくもどうしてこんなに疎外されてしまうのか?危機感をもって、別のやり方で自分達にとって住みやすい環境をつくることが表現者の出発をなすものでした、彫刻であれ建築であれ。ダダの継承者である、ヌーヴェルバーグの映画の表現者もそうでした。▼「失われた時を求めて」からのセリフをひきますと、「仕事をせよ、有名になれ、です」<Travaillez, devenez illustre, me dit-il....>、と、作家(プルースト)に指差す輩は。ブルジョアの奴隷として皮肉に描かれている存在かもしれません。▼ただ、プルーストは敢えて音楽家にこの言葉を言わせているその理由はなぜかというと、モレルが体現するアナーキスト的ボヘミアン芸術家と、ここではプルーストが体現するブルジョアとの間の断絶を指示したかったのではないでしょうか。▼敏感な小林は気がついていましたが、一般読者において、心理的小説と思われているプルーストにこうした階級的テーマの読みが欠落してしまいます。が、私にそういう読みを教えてくれたのが、産業革命もなく失業の国だったアイルランドの知識人です。ポストコロニアリズムの読みですね。▼ブルジョアが「世界の創造者」といわれても、実際は「創造」もすっかりやめたネオリベの現在は、貴族の真似をして他人のものーとくに公的領域に属するものーを強奪しているという有様ですから。これが1990年代からの生活の現実であります。たとえネグリの本を読まなくとも、21世紀においてオキュパイ運動とそれに準じた抗議活動が世界の都市の各地で必然として起きてくることがわかります。





「伊勢神宮の意味を問うツアー」では、初日に本居宣長のどちらの墓が本音なのかわからない二つの墓を見学したのですが、翌日の帰りの電車のなかで、北京から東大にいらっしゃっている留学生さんから質問を受けました。「宣長はなぜ漢学を嫌ったのですか?」ときかれたとき、「宣長は漢学を嫌ったどころかそれを必要としたし、仁斎とくに徂徠の仕事から影響を受けた」と一応説明したつもりでしたが、これについては、あらためて自分のために自身でもっと考えてみる必要をかんじました。松阪城跡のなかに置かれた宣長邸の台所?を撮った写真ですけど、(写真の下の)円の図形を眺めながらかんがえています。この庭に降りた宣長が円の中の様子を覗こうとしている姿を私は想像しています。宣長というのはきっと、外部の思考なんですね。宣長は、外部から、絶対的に失われた世界を復活させることの限界を露呈させ、(フーコが言っていたような意味で)終わりを告げ、その拡散を煌めかせ、その克服しがたい不在に直面するそんな思考、そして同時にこの思考は漢学の実証性の入口に位置しても、決して失われたもの(大和王国?)を把握するのではなく、距たりを再び見出した思考ではなかったでしょうか。「天地初発之時」をアメツチハジメアリキと読んだ注釈は、ただしアメと読める「天」が一体なにを意味するのかわからないった注釈は、当時の儒者たちからみれば、いわば暗号によって記されたものだったと考えたかもしれないなどと色々と想像しています。そしてそこで、宣長は他の文明からの自立のことを語っても、本音をストレートに出してくるような近代的なロマン主義ではないでしょう、二―チェとかハイデガーを借用する加藤周一がいうようには...

参考


「あらゆる主体(シュプジェクティヴィテ)の外に身を保って、いわば外部からその諸限界を露呈させ、その終末を告げ、その拡散を煌めかせ、その克服しがたい不在のみをとっておく、そんな思考、そして同時にこの思考はあらゆる実証性の入口に位置するのだが、そのことはこの実証性の基盤ないし正当化を把握するためであるよりも、それが展開される空間を、その場となる空虚を、それが成立する距たり、視線が注がれるやいなやその直接的確実性の数々が身をかわしてしまう距たりをふたたび見出すためである、−この思考は、われわれの哲学的反省の内面性、およびわれわれの知の実証性との関係からみて、一言でいえば<外の思考>と呼び得るであろうものを形成しているのである。」(フーコ「外の思考」豊崎光一訳)

Cette pensée qui se tient hors du toute subjectivité pour en faire surgir comme de l'extérieur les limites, en énoncer la fin, en faire scintiller la dispersion et n'en recueillir que l'invincible absence, et qui en même temps se tient au seuil de toute positivité, non pas tant pour en saisir le fondement ou la justification, mais pour retrouver l'espace où se déploie, le vide qui lui sert de lieu, la distance dans laquelle elle se constitue et où s'esquivent dès qu'on y porte le regard ses certitudes immédiates, - cette pensée, par rapport à l'intériorité de notre réflexion philosophique et rapport à la positivité de notre savoir, constitute ce qu'on pourrait appeler d'un mot <la pensée de dehors>. (Foucault)


「カントとヘーゲルの時代、歴史と世界との法則(ロワ)の内面化が西欧の意識によってあれ以上に緊急に求められていたことはたぶんかつてなかった、あのころにおいて、サドが語らしめているものは、世界の法(ロワ)なき法(ロワ)としての、欲望の赤裸さただそれのみなのだ。ちょうど同じ時代に、ヘルダーリンの詩においては神々の煌めく不在が顕現し、「神の欠如」からくる謎めいた助力を、たぶんいつまでも待ち望むという務めが一個の新たな法として告げられていた。同じころに、一人は言説の終わることのない呟きにおける欲望の赤裸化によって、もう一人は行方を失う途上にある言語の間隙における神々の迂路の発見によって、サドとヘルダーリンはわれわれの思考の中に、来るべき世紀のために、だがいわば暗号によって記されたものとして、外の思考という体験を託したと言うのは、はたして言いすぎになるだろうか?」(フーコ「外の思考」豊崎光一訳)

A l'époque de Kant et de Hegel, au moment où jamais sans doute l'intériorisation de la loi de l'histoire et du monde ne fut plus impériesement requise par conscience occidental, Sade ne laisse parler, comme loi sans loi du monde, que la nudité du désir. C'est à la même époque dans la poésie de Hölderlin se manifestait l'absence scintillante des dieux et s'énonçait comme une loi nouvelle l'obligation d'attendre, sans doute à l'infini, l'aide énigmatique qui vient du < défaut de Dieu>. Pourrait-on dire sans abus qu'au même moment, l'un par la mise à nu du désir dans le murmur infini du discours, l'autre par la découverte du détour des dieux dans la faille d'un language en voie de se perde, Sade et Hölderlin ont dépose dans notre pensée, pour le siècle à venir, mais en quelque sorte chiffrée, l'expérience dehors? (Foucault)



朱子は12世紀の博物学の時代の思想家でした。彼の「脱然貫通」とはなにかについて解説している一文をぼんやり読んでいたら、どうしようもなく、18世紀の百科全書派の啓蒙時代に生きたサドについて思いめぐらしてしまいました。朱子においては理性を超えた一種の悟りに達することを究極のねらいとしているというとき、それは至善のような混濁のない境地といわれますが、だが混濁のないものは至善だけでしょうか?サドの場合は、理性を超えた、至悪の暴力的な純粋さ(ジュリエット)と至善の天真爛漫な純粋さ (ジュスティーヌ!)の両方を相補的にかんがえました。しかしこれは読み手の的外れの深読みにすぎないことなのだけれどね。サドがシュールレアリズムに大きなインスピレーションを与えたことはたしかです。フーコのサドの読みは、ポスト構造主義の目覚ましい成果の一つで、渋沢龍彦のサド論の迷宮からハッと目が覚めました。ここで日本知識人の問題について一言しておくと、私のような学のない者からみれば、彼らはフーコに劣らず柔軟にかつ緻密に考えるもの凄い知力で、フーコのサドの読みとかバタイユの読みを正確に読めるのに、正確に読み過ぎるからかもしれませんが、繰り返し、型にはまったヘーゲル的な国体論的な痛い読みに絡みとられていくようにみえるのはなぜかということ。豊穣なバタイユ読みの「チベットのモーツアルト」は色々教えられましたし、脱原発の自然エネルギーの話もそれなりに示唆に富むものであったこともほんとうでしたが


サミュエル・ベケットというと、前衛作家のチャンピオンのイメージがありますから、非常に抽象的な空間しか描かないとおもわれますが、具体的な風景について全然書き記していないかというとそういうわけではありません。「モロイ」前半のラストで春の不安定な天気について書いているところでは、一日に春夏秋冬があるというアイルランドの人々の悲鳴が思い出の中で蘇りますね。現地のことを知っていると、ベケットが書いているのは春の日の雨かもしれないし、そうでないかもしれません。他の季節の雨のことを語っているかも。最後まで何を指示しているのか曖昧なのですけど、これと比べることができるのは、デュラスのインドシナの記憶。ベケットの雨も、デュラスの洪水も、ここでプルーストの忘却のことも加えたいのですが、私にとって、単独性の、全体性を覆う抵抗を指さしているとして読めます。
▼There seemed to be rain, then sunshine, turn about. Real spring weather. I longed to go back into the forest. Oh not a real longing. Molloy could stay, where he happened to be. (Samuel Becket, Molloy)



問題提起;21世紀の思想の可能性を4つのテクストからかんがえてみる

▼ボッブス(1588-1679)の「小さな運動の兆し」ーエピクロス的に言って、横にそれることに自由の契機がある−はどこで起きるか?
▼朱子(1130-1200)の反近代主義的?の「脱然貫通」とはなにか?
▼サミュエル・ベケットBecket(1906−1989)のモロイMolloyとはなにか?
▼ペンローズPenroseの精神の投射 shadows of the mindsとは一体いかなるものなのか?


drawing and photo by takashihonda
an illustration by Penrose

▼ボッブス(1588-1679)の「小さな運動の兆し」ーエピクロス的に言って、横にそれることに自由の契機がある−はどこで起きるか?
「人間の諸思考について、私はそれらを、相互依存において、考察しようと思う。まず単独では、それらはひとつひとつ、われわれの外部にある物体の、ある性質あるいは他の偶有性の表象また現われであり、この物体はふつう、対象とよばれる。その対象が、目や耳やその他の人体の諸部分に作用し、そして作用の多様性によって、現象の多様性を生み出すのである。Singly, they are every one a Representation or Appearance, of some quality, or other Accident of a body without us; which is commonly called an Object. Which Object worketh on the Eyes, Ears, and other parts of many body; and by diversity of working, produceth diversity of Apperence」

▼朱子(1130-1200)の脱然貫通とはなにか?
「朱子の窮理は、人間の道徳関係の理を極めることが主であった。しかし「天地鬼神の変、鳥獣草木の宣」にいたるまでの知的探求を思考したものであって、その点で科学主義的だった。ただ朱子、脱然貫通という、理性を超えた一種の悟りに達することを究極のねらいとなしていることを注意せねばならない」(「哲学の中国」阿部吉雄編)

▼サミュエル・ベケットBecket(1906−1989)のモロイMolloyとはなにか?
Il me semblait qu'il pleuvait, faisait du soleil, à tour de rôle. Un vrais temps de printemps. J'avais envie de retourner dans forêt. oh pas une vraie envie. Molloy pouvait rester, là où il'était

▼ペンローズPenroseの精神の投射 shadows of the mindsとは一体いかなるものなのか?

Twitter theory provides an alternative physical picture to thayt of space-time, whereby entire light rays are represented as points, and events by entire Riemann spheres (1994)


ホッブスはなぜ、「リヴァイアサン」を書いたのか?

解釈改憲の限界もあり、やはり憲法を改正しないと安倍自民党は彼らが望むようには自由に戦争することができないでしょうが、事態は厳しいです。ある制約のもとで彼らの戦争をできる国になってしまいました。昨年と今年は全然違います。ただし、9条の改正によって安倍自民党に都合よく自由に戦争をできる国になったとしても、もしたたかう国民が恐怖に感じていたら戦争をはじめることができないしょう。が、問題は、もし戦争になっても「安心」だと思いこまされたら、最悪です、かれらの戦争できる国が勝手に戦争するでしょう。歴史を思い返すと、戦前の靖国神社はそうした「安心」を説いたという顕彰施設でした。戦う国家が祀る国民によって一体化する国家神道を禁じた憲法の政教分離の実質を、歴史修正主義者の安倍とかれの応援団(政・財・官・マ・文化人)は全力で崩してくるとき、そこから議会制民主主義の対話的理性に委ねた平和主義の実質がふたたび崩壊する可能性のあることを、人々が知ることになれば、安倍自民党はそう簡単にはかれらの戦争をできないとわたしは考えます。問題は新しい国体のイメージは何かということ。事柄の性質上、国会の大きな人間だけに任せていくおくことができないのは当然です。敗戦後に誓ったこと、誓わずしてはやっていけなかったこと、つまり、戦争をできる国からすれば「異常な国」だと嘲弄されても、「普通の国」としてやっていくのだという誓いの意味について小さな人間達が徹底的に考えるときではないでしょうか。第一次大戦後、「戦勝国」日本では、「改造」と「平和」を求める「大正デモクラシ―運動」が起こったが、わずか14,15年後余りで国家主義・ファシズム・軍国主義を標榜する軍閥・官僚などの反動勢力によって圧殺されてしまいました、あらためてこの歴史のことをかんがえます。ホッブズ研究者の田中浩は最近の本で、民主主義とは「永続的思想革命」への努力であることを指摘した上で、「人間」にとって最高の価値は、「生命の安全」にあることの意味を説いたホッブズの思想を学習する必要があると結んでいます。


安倍の支持者たちのなかには現地でまさか死ぬとは思っていないものが大勢いるらしいですね。これにかんしては、大江が強調していますが、ここ数年以内にアメリカ軍による中近東への大空爆の可能性のことがいわれています。トランプは戦争絶対反対なのですが、この男は中近東を米国の植民地化にすれば戦争を回避できるのだといっています!?そのためには戦争を必要とするのでしょうけれど(汗)、そのとき、空爆を受けることになる住民たちは、アメリカ軍とそれに協力する自衛隊の行動を、「必要らしい」「任務だから」「仕方ないから」として爆撃する側のわたしたちに都合よく考えてくれるかどうかということですね。陰険にも、隠された戦争という形態になるのでしょうからそんな倫理的な良心のことも考えにくくなるのでしょうが。「いきなり」だと反発もあるが、だんだんとつくられていくその新しい国体的イメージがどういうものかですね。気がついたときは、どこにも逃げられなくなっていたというのは戦争体験者から直にきいた全体主義の体験話です、歌う歌まで隅々まで監視の網で覆われるのだそうです。非国民と指差されたらもうおしまいだと。第一次大戦後、「戦勝国」日本では、「改造」と「平和」を求める「大正デモクラシ―運動」が起こったが、わずか14,15年後余りで国家主義・ファシズム・軍国主義を標榜する軍閥・官僚などの反動勢力によって圧殺されてしまいましたが、あらためてこの歴史のことをかんがえます。こんな許しがたい馬鹿げた時代からこそ、民主主義とは「永続的思想革命」への努力、そこで「人間」にとって最高の価値は、「生命の安全」にあることの意味をくりかえし考えることの大切さを気が付いてきました。声をあげていくことの大切さといっしょに



テクストと信と他者 ー Godard

ゴダールは映画が終わったときに映画をつくり始めたというが、そうでしょうか?本当は、逆に、ゴダールが映画をつくり始めたから映画が終わってしまったのではなかったでしょうか?音声化された文字(シナリオ)に、映像と音が従属させないこと。テクストと信の結合、ここから、読む人間が信と関わり合う可能性が開けました。宇宙の根源に、思考不可能な他者を思考する振動が存在しますが、それはヌーヴェルバーグ(新しい波)と呼ばれることになりました。

テクストと信と他者 ー Foucault

テクストと信仰の分離、それは、本居宣長の神を外在化させたその古事記解釈に起きた脱構築でした。脱構築の果てに、ナショナリズムの形という脱構築の無理が起きるとき、このブラックホーに絡みとられないようにと、再びテクストは読む人間において信との関係を回復できるかどうかです。あるフーコ研究者のシーモヌ・ベイユへの説明できないこだわりは、この事柄から説明できることなのでしょうか?

テクストと信と他者 ー Joyce

ジョイスはゲール文芸復興運動に背を向けてその演劇活動を公の僧侶と嘲弄しました。が、イェーツの信の精神は否定されませんでした。「フィネンガンズ・ウェイク」では、「ケルトの書」を忠実に再興しようとして、読めない経験というものを書きました。私は読めません、だからこそ、私は考えることができます。私は読めない、それ故に、他者に依拠するのです、と




廣松渉「相対性理論の哲学」(1986)を読む

▼学生時代の労働法ゼミにおける私の眼は、マルクス経済学という俗物の眼から隠され、眩暈が起きるような死語化した漢語に蔽われている祭壇のような神聖な本に向けられていました。嗚呼、廣松渉とはだれだったでしょうか?この人によって新しく言われたことは何だったのでしょうか?かれの前にはどんなことが言われていたのでしょうか?廣松といえば、ほかならない、「新しい認識論、新しい存在論!」でした。彼の本は、何ゆえに、戦後民主主義の言説が60年代・70年代の運動によって批判されなければならなかったのかが書いてあるはずでした。タブーであった「近代の超克」の意義も「文化大革命」の意義も、戦後民主主義のスローガン的な’トータルな認識’では読み解けない広がりと深さを感じた読者が廣松を読んだのです。
▼日本左翼思想家の中には、「資本論」の読みへのこだわりを示した者たちが大勢いますが、廣松もその一人でした。ドル本位制の終焉後の石油ショックのハイパー・インフレーションを経験したあとの80年代のときは、戦後民主主義の都留重人が言う通りにマルクス「資本論」と近代経済学と互いに補う形で読んだという学生たちがいた遠い記憶が伝説のようにありました。が、この時代はもはや近代経済学がもっぱら主で、(現象を説明できない)「資本論」を補完するようになっていたと思います。19世紀に書かれた「資本論」の有効性は20世紀後半に消滅したのは当然でした。が、日本知識人の「資本論」へのこだわりは消滅しなかったのです。「資本論」をいかに復興するか?それは哲学の領域においてならば可能ではないか?そういう意味で、廣松の「相対性理論の哲学」(1986)が登場したときは、それは、「資本論の哲学」でなければならなかったのです。このとき、「隠喩としての建築」(1979)のようなものが既にあったが、森嶋道夫が「資本論」を数学的体系に翻訳し尽くしたように、廣松はそれを物理学の言語に翻訳したのでした。中世では「日本書記」の暗号解読に朱子学を虎の巻にしたといわれますが、「相対性理論の哲学」は、死語化した漢語の行進を読み解く為にテンソル概念がアンチョコとなったというわけです。
▼70年代の知を体現した廣松渉の王座も、文学界から現れた柄谷行人氏の登場で、すっかりゲームの規則は変わってしまったようにみえました。常のこととして言葉では反駁できない権威を倒すようなやり方で、柄谷氏は対談の場で廣松にはむかったのでした。廣松渉の後に何が語られるようになるのでしょうか?80年代からは、反復しえない一回限りの出来事について考えられはじめたのではないかとおもうのです。この言説は、事件性の概念とよぶべきものを通じてはじめて現れましたが、そうして、廣松的な意味のトータルな哲学の地平に穴があけられていくことになったことは、天安門事件(1989)が起きたことと無関係ではないかもしれません。自発的にいかにアジアを語るのか、このことが倫理的な問題となってきたと思うのです。
▼子安宣邦氏は「「アジア」はどう語られてきたかー近代日本のオリエンタリズム」(2003)のあとがきで、こう警告していたはずでした。「戦後私たちは「アジア問題」について問題の重さから口を閉ざしがちであった。しかしその沈黙が日本の国家としての無責任な歴史問題の素通りを許しているのではないか。(・・・)だが自己検証をふまえない「アジア問題」への介入は、過ちの繰り返しとなろう。いま日本から「アジアの新時代」が立ち上げられているが、それはすでに1940年代に私たちが体験したことなのである。」。このなかで指摘されている「自己検証をふまえない「アジア問題」への介入」の例として、柄谷行人氏の発言があるとおもいます。柄谷氏は、廣松の「近代の超克」論」を擁護する形でこう述べることになります。「京都学派は「近代の超克」を唱えた。その「近代」の中には、資本主義や国民国家だけでなく、マルクス主義も入る。廣松も「近代の超克」を目指した。しかし、彼にとって、マルクス主義こそ「近代の超克」を実現するものであり、その点で、京都学派を批判した。だが、「近代の超克」という志向においては、同じである。実際、廣松の「マルクス主義」では、近代哲学・近代科学の「超克」に焦点があてられている。」(2007)。
▼しかしこれでは、グローバル資本主義の時代に、オキュパイ運動から始まる、小さな人間達が大きな人間にたいして自発的に抗議しはじめたとき、「マルクス主義」を<誰が>再び語るのかという問題を柄谷氏は見失ってはいないでしょうか?ここで、マルクス主義の全部がゼロになったと言おうとしているのではありません。私はアイルランドにいる間、搾取する国家と搾取される国家との関係に、マルクス主義の概念を適用する可能性について常に考えてきました。しかしその場合でも、いかに、民主主義の白紙の本を書く、というか、生きるかという人間の経験のことが根本にあります。「近代の超克」の場合でも同じことだとおもうのです。2000年代の柄谷氏は、1980年代に自分が打倒した廣松渉というひび割れた思弁哲学の仮面をかぶり、同一性の反復の儀式を舞うとき、しかし21世紀にだれがそれを祀るのだろうかということですね。舞うのは結構、だが舞うにしても、廣松渉が構築してみせた物象論において展開した批判精神が生かされているのかと問わざるを得ません。




私の『国家と祭祀』(2003年刊)を構成する「国家神道」をめぐる論文の連載を『現代思想』誌で始めたのは02年7月であった。その準備のために私はその年の春に伊勢に行っている。「伊勢の皇大神宮」という近代日本の最高の設営物を知ることのできた意義深い旅行であった。それから14年を経たこの3月の最後の日曜日である27日に東京の研究会の仲間たちと伊勢神宮を訪ねた。晴天に恵まれた3月最後の日曜であったせいかもしれない。引きも切らない参拝者たちが長い参道を埋めながら進んでいく。「これはすごい」、私は思わず呻かざるをえなかった。伊勢における私の眼は今までもっぱら人びとの眼から隠され、蔽われている神聖な設営物に向けられていた。だが今回私の眼はここを訪れる参拝者に向けられた。そして私は驚いた。戦後70年の今日、なおここには「伊勢参宮」を心得た国民が引きも切らずに参道を埋めている。それは大げさに過ぎる、彼らは物見遊山の観光客にすぎないというかもしれない。だがそんなことは百も承知だと神宮当局はいうだろう。彼らをちゃんと包摂してみせますよと彼らはさらにいうだろう。その通りだ。神宮に来て見るがいい。五十鈴川を渡るとともに彼らは粛々として参拝者になっていくことを。彼らはみな「参拝する国民」になっていくのである。私は思わずいった。「伊勢神宮とは近代日本の最も成功した制作物ではないか」と。戦後70年にこんなことをいうとは、思いもしなかった。21世紀の今がむしろそんなことをいわせるような時代なのか。私はいささか動揺したせいか伊勢でとった写真はいずれも失敗した。写真さえ撮らせぬ隠蔽された神聖をどう撮るか工夫が必要だ。(子安宣邦氏)



伊勢神宮の意味を問う旅ー沈黙する映像と盲目の言葉

▼沈黙する映像。飾り気のない素朴なイメージがあるのですけれど、しかし意外にもこの建築物の装飾性は歴史的に、室町時代の大きな影響をもつといわれています。だがそれを確かめようにも立ち入り禁止。この建築物の姿は真正面から見ることも撮影することも許可されません。今日の伊勢神宮は、中世のあり方との連続性が断ち切れた、近代の国家神道の沈黙する神々しい形として存在しています。テクストと信仰の分離、それは、本居宣長の神を外在化させたその古事記解釈に遡る事柄ーナショナリズムの形ーなのです。
▼盲目の言葉。伊勢神宮は、神器としての鏡を、支配者の古代天皇から預かったのだから、国家日本は、ほかならない、ここに帰属すべしという解釈を出すことをやめません。はたしてこれを言う今日の伊勢神宮は、敗戦後の憲法の政教分離に反しないかたちで、たんなる一神社法人としての枠組みに留まることができるのでしょうか?これほど多くの参拝客の熱心をみると、伊勢神宮は、靖国神社と共に、こうした祀る国民を作り出している事実の意味について考えざる得ません。いくら憲法が禁じても、国家神道をそう簡単にはやめられないようですね。これが、われわれの伊勢神宮の意味を問う旅が辿りついた結論でした。


▼朝日新聞(2016年三月二十二日)に、「改憲へ 安倍政権と蜜月」と題した、日本会議研究ー憲法篇(上)の記事がありました。▼憲法改正を契機としたファシズムの流れに逆らう市民として、こうした安倍応援団ー首相を支える存在ーの正体を是非知っておく必要があると思っています!いまこれは大切な記事。▼第2次安倍政権の発足後、首相が日本会議の公式行事に出席するのは初めてだそうです。▼更に記事によると、 「日本会議は1997年、新憲法の提唱や新しい日本史教科書づくりに取り組んだ「日本を守る国民会議」などが統合してできた。」▼「国旗国歌法の制定や教育基本法の改正を推進し、夫婦別姓や外国人参政権には反対してきた。」と。▼神社庁は憲法改正の推進宣言をホームページに掲げまていますが、その総長は日本会議の副会長で国民の会の代表発起です。その憲法改正集会では、今年2月からは作家の百田尚樹が総指揮を執った「憲法改正ドキュメンタリー」も上映しています。▼いくら憲法が禁じても、国家神道をそう簡単にはやめられないようですね。



浅田彰「構造と力」(1983)を読む

今日、本屋に立ち寄ったら、浅田彰「構造と力」をみつけた。54刷を数えるとは、読まれ続けているんだな、素直にすごいことだとおもった。「構造と力」は当時どのように読まれただろうか、殆ど同時代だったので、よく覚えているが、必ずしも称賛の声ばかりではなかった。旧左翼のマルクス主義者からは厳しい非難があつまった。表層の高度資本主義の消費の問題をみているだけで、根本にあるマルクスの貧困の問題を切り捨てたというのだ。しかし柄谷「トランスクリティーク」にみられたマルクスへのこだわりをこの「構造と力」に読み取ることができる。また、ポスト構造主義の仕事を紹介した「構造と力」は、‘記号論を超えて‘というその副題が示すように、山口「文化と両義性」の限界から現れたとみなされていたが、本当にそうだったのか?本を開いて中の図をみると、ラカンの精神分析とトポロジー概念で理論武装した、浅田の貨幣論の再構成に、文化人類学の神話的文化論的語りが不可欠なのである。2016年の現在から読むと、切り捨てられたのは、’遅れた‘アジアへの共感ではなかっただろうかなどとおもう。ところでアジアへの共感とはなにか?アジアへの共感は、ヨーロッパ民主主義と普遍主義の理念的構成の無理の認識と関係している。歴史的にいうと、ヨーロッパ民主主義・普遍主義は、ヨーロッパの非ヨーロッパを排除した成り立ちー植民地主義―に不可避的に規定されている。だから、アジアの植民地主義の問題を解決するために、再び、アジアを植民地化したヨーロッパ民主主義・普遍主義の理念的構成に依拠することが倫理的に不可能である。例えば竹内好は「方法としてのアジア」という開かれた概念から、植民地化されたアジアから、ヨーロッパ民主主義・普遍主義をより発展させる倫理的問題をみたのだった。説明する必要もないが、その可能性の一つがマルクス主義と考えられたてきた。だが、日本マルクス主義者もまた、この道しかないとばかりに教えてくる掟、利潤率低下の法則に絡みとられて、資本主義にあってはどんないかなる改革も挫折してしまうはずだと考える結果、(必ず破綻するにきまっている)どんないかなる議会主義的改革よりも、崩壊の果てに起きると予言されているプロレタリアート階級の蜂起に託すのである。日本でピケティが流行にしかならないのはそのためである。「日比谷公園焼き討ち事件」のような都市大衆の暴動のかわりに、理論的前衛が指導する組織的階級の革命のユートピアを新しく書き込んだのはスターリン主義であったが、このような暴力革命の時代はたしかに終わった。だがその暴力革命論は消滅しきったのか。今日それは、日本知識人の「帝国」への共感にとって代わられているのではないだろうか?ふたたび、浅田氏にもどるとその立場はどこか。ポスト浅田の論客たちは排他的な愛国主義者的言説に絡みとられているのをみると、いかに浅田の側からデビューした日本ポスト構造主義が浅い理解であったかがバレバレだ。浅田はこういうナショナリズムとは一線を画している。ただし正直、アジアへの共感のことは私にはわからない。2000年の「ニューレフトレビュー」誌の寄稿文(’日本左翼が定位する無の場所‘)で、日本では改革派は必ず挫折するというテーゼを大変残念がっていたこの発言から、教条主義的マルクス主義ではなく、民主主義の他の道があるという開かれた方向性をみているのだろうとわたしは読んだのだけれど


MEMO(メモ)
「国学」という言葉は、日本から伝わった。中国の伝統的な文化と学術の研究を主な内容とする中国の「国学」は、20世紀の初めに興り、1920年代から30年代にかなり急速に発展した。
その後、「国学」は低調になり、とりわけ1960年代から70年代にかけての「文化大革命」では、古い文化と孔孟の道が批判され、これによってさらに「国学」は低迷した。
改革・開放後の80年代から90年代には、社会・経済の発展に伴って、人々の間で自らの文化のルーツを探すブームが起こり、「国学」を再建し、「国学」の中から伝統文化の精髄を吸収したいと人々は望むようになった。しかし、現在の「国学」ブームに対しては、学界の中に違った見方もある。
「国学」の内容は広範囲にわたり、孔子、孟子を代表とする儒学や老子、荘子を代表とする道学、諸氏学を含み、さらに古代の辞賦、詩や詞、小説、歴史学、仏学などをも含んでいる。

Nine letters on art, written to friends from exile in France in the 1980s. Starting from earlier materialist approaches to art, Negri relates artistic production to the structures of social production characteristic of each historical era. This enables him to define the nature of both material and artistic production in the era of post-modernity and post-Fordism - the era Negri characterizes as that of immaterial labour.
Negri then seeks to define artistic beauty in this new era, and this he does in terms of concepts that have become fundamental to his thinking - singularity, multitude, abstraction, collective work, event, the biopolitical, the common. Art is living labour, and therefore invention of singularity, of singular figures and objects. But this expressive act only achieves beauty when the signs and language through which it expresses itself turn themselves into community, when they are contained within a common project. The beautiful is not the act of imagining, but an imagination that has become action. Art, in this sense, is multitude.


「悪徳こそわれわれ人間に固有のもの、つねに自然の第一法則なのであって、それにくらべればどんなりっぱな美徳だって利己主義的なものでしかなく、分析してみれば実は美徳 そのものが悪徳なのだということが。要するに、人間におけるいっさいは悪徳なのだ」サド


ネグリの本の紹介

芸術とアクティヴィズムを結ぶ、マルチチュードの可能性!
芸術は、構成する力〔構成的権力〕であり、革命の力である。それは多様なる特異性を解放し、万民のための豊かな共有財産を生み出す。美の生産者たちからなるマルチチュードの運動、それこそがコミュニズムである。友への9通の手紙に凝縮された、ネグリによる革命理論の核心。


諸君の大地を掘り起こせば現れる 「現在あるような方向性ではないもの」という起源の近代的観念は、国家神道を習俗とみなす危険な言説−>「新石器文化がもっていた可能性を考えた時に、現在あるような方向性ではないものがあり得たということが、手につかめる感触として日本列島のなかに残っている」


暴力の独占(ぼうりょくのどくせん、英語: monopoly on violence、ドイツ語: Gewaltmonopol des Staates)とは、マックス・ヴェーバーが自著・『職業としての政治』(1919年に行った講演をまとめたもの)において唱えた主権国家の定義であり、20世紀における法哲学(法学)や政治哲学(政治学)において優勢となった。

一定の領域において単独の主体(国家)が暴力に関する権威・権限を行使する状態を定義したものであり、領域もまたヴェーバーによって国家の特性として定義された。重要なのは、このような独占が正統(legitimation、正統性(legitimacy)を提供すること)のプロセスを介して生じなければならないことである。これは、国家が暴力を使用することを正当化(正統化)するものと批判されることもある。

レーニンにとって、国家は階級支配を維持する意義がある。このことを示すためにエンゲルスの研究を参照しながら、社会から発生しながらも社会の上位において自らを社会から疎外する権力を国家と考える。したがって国家とは階級支配の機関であり、階級の衝突を緩和しながら維持する政治秩序を創出するものであり、既存のブルジョア独裁国家は奪取するだけでなく、革命においてプロレタリアートによって強制力により廃絶してプロレタリア独裁国家をつくらねばならない。同時にレーニンは革命とは選挙に基づいた政権交代ではない暴力革命でなければならないと主張し、ブルジョア国家の一部であるブルジョア民主主義もまた廃絶されなければならない(暴力革命に拘らず選挙などの平和的な手段もありうるとしたエンゲルスやマルクスの側面[1][2]をレーニンは無視した)。この主張のために、レーニンは、マルクスが著書でわずかしか触れていない「プロレタリア独裁」という用語を「民主主義の最高形態」として「発見」し、以後の著作で大々的に用いた。




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2016 ,3月 (6) 言葉と表現と射影のブログ/BIGLOBEウェブリブログ
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