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zoom RSS 2016 sept (1)

<<   作成日時 : 2016/09/09 00:16   >>

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たいた そんざい 【対他存在】 〔フランス être-pour-autrui〕
〘哲〙 サルトルの著「存在と無」において,対自(=人間)がとるとされる存在論的次元。他者のまなざしによって,主体としての対自が他者にとっての客体として現れるような存在の仕方。

反道徳主義者が道徳を振りかざす偽善をみせたのは、モリエールの「タルチョフ」でした。1664年の芝居ですが、こういうのは、ヨーロッパ人の頭で考える翻訳に依存する日本の演劇はできないのです。しかしいまできるかもしれません、ヨーロッパ人の頭だけでなく日本人の頭もつかう機会です、そういう時代です。教育勅語と国民道徳の復活を目論んでいるようですがね。もちろん明治のときとそのまま同じことは繰り返されないとおもいますが、道徳を「上」から民に与えるという形をくりかえそうとするのでしょうね。言論の自由や権利を上から与えるという体制ならいいわけです。しかしそれでは西欧の自発性を重んじる市民道徳(エシックス ethics)と根本的にちがいますね。ま、わたしの意見ですけれど、そもそも道徳なんて映画館で学びました。私に子供がいたらやはりそうして欲しいです、ルノワールとトリフォー、ヴィスコンテイーとか、キューブリックでも溝口でもいい。ただまじめなモダニズムの嫌な感じがみえてしまう黒沢はヤバイとおもうけど...。最近は、映画のかわりに、アナーキズム「論語」に行く、ですが

移民政策についてメキシコ前大統領二人はトランプを人種差別主義のヒトラーとちがわないと厳しく非難しているが、BBCの分析によると、このトランプより安倍の方が右に位置づけされている。安倍の移民政策が人種差別と結びついるかは明らかではないが、安倍の移民に対する異常な排他性が国際報道から警戒されていることは確かだ。世論調査ではこの安倍を6割も支持しているのだが、外からどうみられているのかという点について国民の間でさほど危機感がないようにみえるゆえに大変心配である。



論語のトータルな世界 No.12
ー消えた八文字はどこへ行ったのか?

江戸時代は、学問文化の中心は京都、経済の中心は大阪、政治の中心は江戸にあるというネットワークを形成していました。だが問題となってくるのは、文化(京都)と政治(江戸)の間の「壁」をいかに通り抜けるのかという問題です。その意味で、 伊藤仁斎を再発見することは京都を再発見することでもある、と、そんな気分になってきました。「この幕藩制国家が成立して半世紀が経過しようとする十七世紀日本の京都の市井の儒者仁斎は、『論語』こそが第一であると主張し始めたのである。」(子安宣邦氏)。だが「思想革命」の志向をなすラジカリズムである「最上至極宇宙第一」という八文字は、テキスト表面から削り去られました。危険を避けて、仁斎の古義学的達成の徳川幕藩体制下における認知と普及に務めたからと考えられます。その代わり、道徳の領域から幕藩体制における政治の領域を徹底的に批判できるという可能性をもつことになりました。そうして京都は朱子学の江戸を脱構築していくともかんがえられますが、消えた八文字はどこへ行ったのでしょうか?今日のわれわれの突き動かされて道徳的批判を止めない憤りのなかにその痕跡があるような...?



問題提起;21世紀のアジアの現在アートは、漢字を必要とはしないが、不可避の他者としての漢字の理念性にたつことができるのではないか。漢字論を利用することはできる。それはなにか?




思考可能なものと思考不可能なものとはたがいに分割できないが、二つの間には百兆光年ぐらいの距離が横たわっている。思考可能なものは、この距離をこえることができないので、思考できないものの上を占拠することはできない。たとえば、宣長の研究とは「大和ことば」をどう読みだすのかという研究であった。「神」(シン)は、宣長の読みによると、’カミ’であった。「天」は’アメ’と読めるがその意味はわからないという。「天地は、阿米都知(アメツチ)の漢字にして、天は阿米(アメ)なり、かくて阿米(アメ)てふ名義(ナノココロ)は、未ダ思ㇶ得ず。」という(古事記伝三之巻)。「天地」は漢語であるが、そもそもこの漢語がなければ、漢語を前提にしなければ。神話的な記述ははじまらないのである!原初的テクストは存在する。それについて最初に言わなければならないことは、読むことができないということである。ここから、言説によって思考可能なもの(’天地’という漢語、書かれる言葉)と、思考不可能なもの(’アメ’という読み方)の間の距離が生じる。テクストにおける内部的なものを、言語的、思想的な統一性において読み出して、距離を消し去ってしまう必要がないのである。無限の距離のことを考える自由があるが、ここに思想革命が起き、ここからアートのあり方が問われてくるのではないか。それに対して、思考可能なものが思考不可能なものを覆うと、思考可能なものの内部に組織化された空白が生じる。近代においてこの空白は、くりかえし通過されていく真理の折り目。思想の内部から内部に即してその思想を読む理念性。(このあらかじめ理念性が「実体化」していた)経験的「多様性」の領域から、理念の領域を指示するこちら側に繰り返し戻ってくるという先験性の高慢というか。たとえば近代の音声優位主義のパラダイムは日本語を漢字から切り離すことから成り立つだろう。この音声優位主義の近代を脱構築する企てとして、言葉を漢字から切り離さずに、むしろ漢字を不可避の他者としてとらえよう。不可避の他者とは、仁斎がいう不可避の「日常卑近」であろうが、われわれが生きてきた漢字文化圏の東アジアの言語に時枝誠記がアプローチしたときはじめて現れることになったその思想は何であったか?改めて「漢字論」を読む必要を感じている。





論語のトータルな世界 No.11

知識革命と思想革命、この両者は相互に重なり合うが、おたがいに異なる内容をもっていることは当然である。イギリスにおいてよく言われることであるが、保守的な国だから、フランスのようにはラジカルな政治に直に結びつく思想革命は中々起きないが、その代わり教育で革命の成果を堅実に吸収していく確実さがあるという。その堅実さは知識革命の様相をとるのだろうか?わたしははっきりとした考えをもっていない。知識革命に関しては、貝原茂樹は「古学先生の時代」のなかでつぎのように記すとき彼は17世紀東アジアで起きた啓蒙としての恐らく知識革命を説明していたようにおもわれる。「仁斎は徳川幕府の朱子学復興の気運のもとで、細川侯の招きをことわって京都の一市民として終始し、朱子学を批判する古義堂の学風をうちたてた。それは意識的に幕府の支持するドグマとしての朱子学に抵抗する運動として起こされたものではないが、人間中心の立場をとり、広い意味での市民の立場からの啓蒙運動という意味をもっていたといえるだろう。」(貝塚)。だがこの中国研究者ははたして、啓蒙における多様性としての普遍主義へ踏み越えていくのだろうか?貝塚の文は気をつけて読まないとやっつけられてしまう。「中国と日本と洋をへだてて直接に交渉がないのに、同じ啓蒙主義的傾向の学問が起こりつつあったことは不思議な一致である。わたくしは仁斎を経験論者として見る立場をさらにおしすすめて、東洋における啓蒙主義思想の一つとして考えようとした。仁斎は日本儒教史における最初の独創的思想家だった。儒教は仁斎によってはじめて日本の思想となったのであるが、その独自性は経験論者としての仁斎にあると私は考えている。」(貝塚)。あくまでも、東洋における経験論者、東洋における啓蒙主義思想の一つとして整理し分類しようとしている。その「東洋」が意味するのは、ほかならない、中国である。つまり貝塚の語りとは、<多>なき<一>の言説の中からその言説に即して<一>の本質を再語りしているというような真理の語りである。真理の語りにとっては、仁斎というニセモノは真理のホンモノ性を強めるために必要とされるだけである。ここに近代主義の高慢さがある。けっして、仁斎という固有名の発見も多様性の発見も起きないのである。たしかに、比較が必要だと公平にいっている。だが比較が行われても、それはあくまでも中国の<一>を正当化するための比較だろう。彼は言う。「中国の啓蒙主義思想と運動とに比較して仁斎を祖とする日本の運動はどうであったか、これをいかにとらえるかは、これからの問題である」(貝塚)。だが貝塚は、いままさに問題を開くときにいきなりそれに終止符を与えて封じてしまうのである。比較ならば、今日のヨーロッパ中心主義者でもまだイギリスやフランスの正しさを確信するために、劣ったものを愛するようなこの種の比較をこれでもかこれでもかと展開する。たとえば日本という例外の例外性はヨーロッパの起源からの距離によってのみ測られる。くりかえし通過されていく真理の折り目。(あらかじめ先経性が「実体化」しておいた)経験的「多様性」の領域から、理念のヨーロッパの領域を指示するこちら側に繰り返し戻ってくる。シナ学の近代はこうしたヨーロッパ中心主義の近代と一体のものであることを見逃すわけにはいかない。いい加減にこのマンネリを終えるためには、思想革命という見方が検討されることは意味がある。「トータル」とは何か?それは、(アメリカのガソリン会社の名前ではなく)、人類を指示しようとする言葉である。「仁斎の思想革命とは天理に基づく道を、地上の万人の往く「人の道」に引きずり下ろす」ことにあった。(子安氏ー仁斎という問題・「最上至極宇宙第一論語」 )。問題となってくるのは、2016年の伊藤仁斎におけるトータルな思想革命とは何かと問う抵抗のあり方である


反抗期<寸劇>
女性1「中3になった娘は最近ウザイ...」
女性2「順調に行ってるわよ、反抗期はいまの中3じゃ遅いわね」
女性1「わたしはいま反抗期が始まったところだから母娘で反抗期ということになっちゃうわよね。パパに...ねー」
女性2「どちらの反抗期のこと...?」


ホホ〜たしかに「方法」の世紀と呼べるものだった。
そして二十一世紀...「巣穴」の世紀じゃないかニャ?
「十八世紀は、数学にとって、事実の世紀だったのである。ついでに、この種の標語づくりを、比較のために試みれば、十七世紀は原理の世紀であり、十九世紀は体系の世紀とでもいうことになろうか。後代の人たちは、二十世紀をなんとよぶだろう。現代人のなかにはそれを方法の世紀とよびたがる人もあろうが、まあ、それはこれからの問題である」森毅『数学の歴史』



絶対精神(ぜったいせいしん)とは哲学用語の一つ。これはゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルによって提唱された言葉である。

ヘーゲルによれば、精神の本質というのは自分の外部に根拠を持たぬものであり、主観的、客観的な過程を経た上で個々の精神が周囲の影響を受けることなく、発揮できるようになれ、またそれを自覚できる。そしてそのようになった状態のことを絶対精神という。ヘーゲルが目的としていたことは、哲学の体系を構築することであり、そこから過去と未来を哲学的に理解できるようになるということであった。それには現実の全てを理解できることに加えて、現実の全ての過程までも理解できる必要があり、それらを成せるのは絶対精神であるがゆえである。ゆえにヘーゲル哲学の課題というのは絶対精神の過程を示すという事なのでもある。



【世界精神】 〔ドイツ Weltgeist〕

ヘーゲルの歴史哲学で,世界史において,特殊的有限的なもの(民族精神)を媒介として自己を段階的に実現してゆく超越的な精神。


【時代精神】 〔ドイツ Zeitgeist〕


ある時代の社会・人心に広く行き渡ってその時代を支配し特徴づけている精神。ヘーゲルでは世界精神の個々の発展段階としての民族精神をさすが,ディルタイでは歴史的個人の参与をまって存立する,より具体的なものを意味する。



「時代精神」に似た言葉

Words too long dissimulate the emotion of a haiku poet ...

この国は「普通の国」ならば当たり前のことをやっているに過ぎないと繰り返している饒舌なプロパガンダのようにも読めます。プロパガンダというのは、国家は間違っていない、なぜなら国家は間違っていないからだという類のトートロジーを連ねるという、深読みの必要がない全体性の論理に依ります。全体主義のもとでの喝采とはこういう身ぐるみはがされたような孤立なのかもしれません。おっしゃるように、国のもとで民主主義が成り立たないことの問題があります。民主主義はそんな国を棄てるべきだと私などは思いますが、すくなくとも、敗戦後、「普通の国」を棄てた誓いとその理由を忘れることはできませんね。この国が「普通の国」に戻ったら必然として一体何が起きてくるのかは歴史を調べればはっきりとわかることですから。


渡辺一夫

我々が正気だとうぬぼれている生活でも、よく考えてみれば、大小の「狂気」の起伏の連続であり、「狂気」なくしては、生活は展開しないこともあるということは、奇妙なことです。―「狂気について」



、「孝弟也者、其為仁之本与」<孝弟は、それ仁の本為るか>(仁斎の読み方)は、父母兄弟への愛敬を(四端の心をもって)人類愛へ拡大充実させていくという実践の話ですが、(あちらの京都学派ではないのですが、吉川などの京都学派が影響を受け、そこから日本帝国主義を通じて、留学生などによって、その時代の台湾儒学・朝鮮儒学・中国儒学へと広がるという、)近代のフランス支那学を学んだフランス人の訳を調べたら、「孝弟とは仁道成立の根拠である」を、La piété filiale et le respect des aînés sont les rachines mêmes de l'humainité とあり、この'humainitéにフランス人たちから「いいね」をもらっちゃいそうな、べつにもらわないか


敗戦後の日本人の多くは死刑制度に反対したとき何を考えたのでしょうか。また何を考える必要があったのでしょうか。死刑制度の根底にあると私が疑う軍国主義的処刑への欲求のもとでは、判断が成り立つことが困難、極端な場合は判断そのものが成り立たないと考えた人もいたでしょう。現在の問題は、その軍国主義を称えて継承しようとする側から、その欲求が非常に人間的共感のある形をとって新たに作り出されてはいないかという点です。



映画は時代と国と対等なものになれなかった。No.13で述べたように、ゴダールにとって、「収容所」を撮った映画が存在しなかった映画の歴史は失敗の歴史だった。だがゴダールは、映像が存在しないならば、現存している映画の断片(必ずしもアウシュビッツを描いているものではない映像だけでなく全く無関係の映像を含めた)や絵画を選んで、それらのイメージを編集することによって「収容所」を呈示できるのだと考えたのである(その場合、救済も描かれなくてはならない)。これが”映画は私たちの眼差しを私たちの欲望にかなう世界に置きかえる”ということである。ゴダールはアウシュビッツを批判するためにアウシュビッツを発明していくのである。(ゴダール方法論の妥当性をめぐってワイズマンとの間で論争が起きた。イメージ過剰のカトリック’ゴダール’と偶像禁止のユダヤ教’ワイズマン’の対立と揶揄された。)ヒトラーこそは隠蔽するために映画を最大限に利用した。ナチズムの「政治の美学化」による支配の全体構造という映画が推進した置き換えの問題を解決するために、再び映画の置き換える編集の力に委ねることは倫理的に不可能ではないか?編集の力をいう「映画史」はだれもが果たせなかった大きな使命を担って、しかし最初から大きなパラドックスを抱えて進行していくのである。

、「孝弟也者、其為仁之本与」<孝弟は、それ仁の本為るか>(仁斎の読み方)は、父母兄弟への愛敬を(四端の心をもって)人類愛へ拡大充実させていくという実践の話ですが、(あちらの京都学派ではないのですが、吉川などの京都学派が影響を受け、そこから日本帝国主義を通じて、留学生などによって、その時代の台湾儒学・朝鮮儒学・中国儒学へと広がるという、)近代のフランス支那学を学んだフランス人の訳を調べたら、「孝弟とは仁道成立の根拠である」を、La piété filiale et le respect des aînés sont les rachines mêmes de l'humainité とあり、この'humainitéにフランス人たちから「いいね」をもらっちゃいそうな、べつにもらわないか

ミシェル・フーコー ‏

病気によって、空間的≒時間的環境は、その実存論的構造において障碍されるわけだが、障碍されるのはこれにとどまらず、共同世界、つまり社会的・文化的宇宙もそうである。患者にとって、他人は対話の相手ではなくなり、ある任務の協力者でもなくなる。−精神疾患と心理学−



ヨーロッパ中心主義者たちはヨーロッパが「ホンモノ」、日本がそれと違うことをするときは「間違い」と堂々と言えないせいか、姑息にも、「ホンモノ」文化アイデンティテイーと「ニセモノ」文化アイデンティテイーの間の線引きを始めた。「ホンモノ」文化アイデンティテイーの修正を、薄っぺらな「嘘つき」の多様性とラベル張りするという時代遅れときたら....再び、「ホンモノ」か「ニセモノ」かという起源が問われれているが、しかしそういうナショナルな前提から出てくる二項対立なんかどうでもいいではないか。もっと人類の立場から考えようよと言いたくなる。


The rising world of waters dark and deep.
- John Milton, Paradise Lost


ミシェル・フーコー
〈批判〉とは、人が認識しうるもの、なすべきこと、希望しうることを決定するために、理性の使用が正当でありうる諸条件を定義することを役割とするものだ。錯覚とともに、教条主義と他律性とを生み出すのは理性の非正当的な使用なのだ。−啓蒙とは何か−



「論語」の世界 No. 8

ー安倍自民党がアナクロ的に称える<教育勅語の国民>を批判する
小田実はこう言った。「民主主義というのは、しゃべることによって成立する。言っておくけど、これはローマにはありません。ローマとギリシャを混同しないでください。ローマに民主主義はありませんからね。ただ選挙していただけ。日本と同じです。」子安氏の解説によると、われわれは選挙を民主主義と思っているけど、小田はそれはローマと同じだというのである。小田は続けて言う。「日本は天皇制近代国家であって、民主国家じゃなかった。特異な国なんですよ。普通、近代国家には民主主義がついてるのだけれど、これを省いて天皇制近代国家をつくった。これを忘れてはいけないです。だからローマが好きなんだよ。いまだに大好きじゃない。」子安氏によると、近代天皇制国家の理念的な枠組みは漢学者が作った。小田的に言えば、「日本人は古代中国が好きなんだよ」。問題を整理しよう。ヨーロッパに古代ローマが残っているように、たしかに中国文明に負うアジアに古代中国が残ってしまったのである。一例として、皇帝から与えられるという(「大学」を中心とした)儒家の国家哲学的教説体系をもっとも純粋可したのが、明治の教育勅語なのである。(正確には「教育ニ関スル勅語」。国民道徳の基本を示し、教育の根底理念を明らかにするために、1890年10月30日に発布された。)この教育勅語は<なりすまし>「論語」だから注意しよう!と私は言いたい。そして警戒を要するのは、ここに、安倍自民党がアナクロ的に称える<教育勅語の国民>があるということだ。しかしここには、しゃべる市民も宇宙の人類愛も存在しない。なぜ仁斎が「論語」を絶対化していくことが儒家の国家哲学的教説体系(朱子)を逸脱していくことを意味したのかが理解できる。それは、明治の教育勅語のモデルである儒家の国家哲学的教説体系に、その他者である「論語」が存在しないからである。


百年後の人々は9/11をどのように語るのでしょうか?あれは最初の9/11だったとおもいだすのでしょうか。「イラク戦争ではない」という言い方で、イラク戦争の反復にストップがかからないと心配します。イラク戦争はいつ終わるのかという問題提起が必要となってくるとおもいますね。「アイリッシュ・タイムズ」紙(2004年8月26日付け)は、シャノン空港に1000人の抗議者があつまったと報じました。米軍のために食料を運搬する軍飛行機がこの空港を利用していたのです。新聞は過剰警備に抗議しています。そもそもお互いに仲良しという評判の平和志向のアイルランド人の間で、このような対立軸を作り出すことが自体が罪深いといえるかもしれません。また見出しに、一万人の抗議者が首都ダブリンに、とあります。9月11日までに10万人が集まることになりました。このときは、500万人の十万人、実に50人に一人が抗議したのです(一億の国の国会前に十万人を超えた抗議者を私は一度もみたことがありません。)オコノリー通りは本当に地面がみえないとおもうほどの人数でした。エスタブリッシュメントの伝説をなすイースター蜂起を超える人数で、(アイルランドはイラク爆撃に直接関わっているとはいえなかったのですが)、遥か遠い人々を自分達の立場に置いて、彼らの苦難を想像し、見るに見かねて思わず街頭に出てしまったというこの自発的な市民の抗議は、アイルランドの政治の根本を変えていくのではないかと論じられていました。


Simone Weil ‏

価値のないものはすべて、光をのがれる。この世においては、肉をまとって、自分を隠すことができる。死ぬときには、もうそんなことはできない。裸のままで、光に身をさらさねばならない。このことが、それぞれの場合に応じて地獄となり、煉獄となり、天国となる。



「論語」の世界 No. 7

朱子は「四書五経」とくに「大学」を第一とする儒家の国家哲学的教説体系をもった。徂徠古学は「書経」を選び、この流れを受けて宣長古学は「古事記」を選んだ。「古代先王の道」(徂徠)、「神の道」(宣長)とは、天皇制のファンダメンリズム、近代の国家哲学に真っ直ぐにつながるものである。これにたいして、「最上至極宇宙第一の書」という「論語」が伊藤仁斎によって絶対的に選択されたことの意味はなにか?「事件としての仁斎学」が書かれるとしたら、それは国家的なもの(ナショナルなもの)を超えた道の探求にほかならない。「われわれはいま21世紀の「論語問題」に直面しているのではないか」。子安先生の問題提起の言葉を考えながら、講座がおわったあと構内の庭を通り門を出て更に5分ほど歩く。広いところに出ると、昨日は道端に子供が担ぐ神輿を見た。横断歩道をわたる。と、秋祭りで居酒屋はいつもより騒がしい。場をかえてややリラックスした気分で議論再開。ヨーロッパに古代ローマが残ってしまったように、アジアも古代中国が残ってしまった、と、先生が喋っている。周りの声で聞き取れなかったところもあったが大体理解した。たしかに、(仁斎と同時代の)スピノザが生きた時代は、(古代ローマをモデルとした)ハプスブルク帝国に対して周辺諸国の独立が起きた時代だったことをかんがえた。寧ろ現在の中国に対しては独立よりも自立が鍵となるというのが先生の観察である。独立は再び19世紀的・20世紀的国家を作り出すことにしかならない。それで再び同じ問題が避けられない。周辺諸国は21世紀の「論語問題」をいかに解決するのか?日本みたいな国からは中国の対抗としての安倍しか出てきてしまった。これは21世紀の「人の道」、民主主義の道ではない。中国自身が<脱>帝国化し民主化してくれないと、という声が居酒屋の喧騒のなかできこえてきた。文革50周年のセレモニーは、(「論語」を棄てていく)中国という皇帝の国家的政治哲学の文脈においてとらえられるのかもしれない。ここで21世紀の「論語問題」が隠蔽されている。しかし国家的なもの(ナショナルなもの)が日常卑近な人の道の普遍性によって読み直される、仁斎の思想革命から問い始めるしかない。21世紀の「論語問題」の解決なくしては人類はやっていけなった。「最上至極宇宙第一の書」という「論語」が仁斎によって絶対的に選択されたことの意味はなにか

「論語」の世界 No. 6


原初のテクストを読むということは、二千年なり二千五百年後のわれわれが読むことは根本的にありえない。「論語」も注釈の痕跡を通してしか読めない。だが、合理的にみえる文献学の近代はなんというか、古ければ’古いほど読みの正しさが大きくなるとしているのは、なんだろうか?起源としての唯一究極的に正しいものが存在しこれに接近しているはずだと思い込むというある種の幻想、不合理性を前提にしていないだろうか。


« [...] durant les années où Mao Zedong exerçait sa dictature totale, même la fuite était impossible. Les temples perdus au fond des forêts, qui avaient protégé les lettrés de l’époque féodale, furent rasés, même écrire dans l’intimité faisait courir un danger mortel. Si un individu voulait conserver une pensée indépendante, il n’avait que lui-même à qui s’adresser et ne pouvait le faire que dans le plus profond secret. Je dois dire que ce fut précisément à ce moment, alors qu’on ne pouvait pas faire de la littérature, que j’ai pris conscience de sa nécessité : c’est la littérature qui permet à l’homme de conserver sa conscience d’homme. »

— Extrait du discours La Raison d'être de la littérature de Gao Xingjian


 路地の奥にある徐渭の「青藤書屋」は、小さな屋敷だった。数本の藤の古木が蔓を伸ばし、家屋は清潔で明るかった。かつての趣を残しているのだという。こんなに静かな場所にいても、徐渭は狂ってしまった。どうやら、この世は人間のために作られたものではないらしい。それでも、人間は生きていかなければならないのだ。生き長らえ、真の面目を保ち続け、殺されたり狂ったりしないためには、逃亡するしかない。この小都市にも長居は無用だ。私は急いで逃げ出すことにした。
 郊外の会稽山には禹の陵墓があった。歴史上最古の系譜をたどることができる王朝の初代皇帝である。紀元前二十一世紀ごろ、ここで天下を統一し、諸侯を集めて論功行賞をおこなった。
若耶渓の小さな石橋を渡ると、松に覆われた山のふもとに禹陵があった。手前の空地には籾が干してある。晩稲の収穫が終わったようだ。晩秋の陽光はなお暖かく、心地よい眠気を誘う。


- 高行健 『霊山』 -

最後に、彼はこう言いたかった。人を扼殺するのは勝手だ。しかし、どんなに弱い相手​でも、その人間の尊厳を扼殺することはできない。人が人であるのは、この消すことので​きない自尊心があるからだ。虫けらのように生きているとしても、虫けらには虫けらの尊​厳がある。虫けらの虫けらたる尊厳は、踏みつけられても死なないのだ。塵芥のように人​を殺すというが、塵芥が刀の下で許しを請うのを見たためしがない。人は塵芥にもおよば​ない。それでも彼は、人間はたとえ命を失ってでも尊厳を守ると言うことを証明したかっ​た。人間としての尊厳を守れなくなったら、殺されるか自殺するかだ。死ぬのが嫌なら、​逃亡するしかない。尊厳とは存在を意識することで、そこに弱いながらも人間のパワーが​生まれる。存在の意識が消えたら、それは死んでるのとおんなじだ。

 もうやめよう。すべてはたわごとだ。だが彼は、まさにこのたわごとのために頑張って​きた。今、彼はついに公然と毛沢東に物を言えるときを迎えた。あの老人が死んで30年​がたつ。彼のことも、毛沢東の霊、もしくは影に対してぶつけるしかない。

- 高行健 「ある男の聖書」


ふくろう「ホ〜、<世界>弦楽四重奏とは何ですか?」
猫「言葉と物のコンパクトな世界, ジャン=リュック・ゴダールの世界, ジェイムス・ジョイスの世界, 「論語」の世界、ニャン!」
ふくろう「世界の弦楽四重奏化ですか?」
猫「べートヴェンとショスタコーヴィッチを聴いて考えてニャ」


「かすかな声、おだやかな、か細い声で、大それた、重大な、驚くべきこと、深く、そして正しいことが語られる。」

・この世の中は大きな声でなければ重大な正しいことが伝わらないと教えられる。小さな声たちはゼロであり、ただ消滅するだけなのか?だけれど、かすかな声、おだやかな、か細い声でなければもう人間はやっていけなくなるという、理念としての小さい声のもつ意味が生まれることはないのか?生まれることがあったとしても、先験性の驕りにならないためには、だれが、かすかな声、おだやかな、か細い声で言わせてくれとはじめて言うのかということが更に問われよう。つまりこのひとの前には、大それた、重大な、驚くべきこと、深く、そして正しいことが語られたことが一度もなかったのである。かすかな声、おだやかな、か細い声は、事件性なのだ




What was it and when did it begin?
Whose idea was it and what was the aim?
How exactly did it start?
What happened next?
How many victims were there?
How were foreigners affected?
What was the Little Red Book?
When did it end?
How did the Cultural Revolution affect China?
How is the Cultural Revolution remembered today?

“A common verdict is: no Cultural Revolution, no economic reform,” Roderick MacFarquhar and Michael Schoenhals write in their book on the period, Mao’s Last Revolution. “The Cultural Revolution was so great a disaster that it provoked an even more profound cultural revolution, precisely the one that Mao intended to forestall.”


This is a selective commemoration of parts of Mao’s life, that aren’t the ones that we dwell on outside China.


Rather than focusing on the terrible calamities he inflicted on China during the 1950s and 1960s, many Chinese would this week remember the Mao of 1949, a revolutionary hero “who led to the creation of a country that they now take great pride in, that is able to throw its weight around in the world”.

“This is going to be a very selective commemoration of parts of Mao’s life, that aren’t the ones that we necessarily dwell upon outside of China,” Wasserstrom said of this week’s memorials.

Zhang, who is part of a small but vocal minority of neo-Maoists, said criticism of the Great Leader was a consequence of his unflinching support for the masses.


The economy was crippled and up to 45 million people are believed to have died in the Great Famine caused by Mao’s catastrophic Great Leap Forward push for breakneck industrialisation in the late 1950s.

Up to two million more lives are thought to have been lost in the tumultuous decade-long Cultural Revolution that began 50 years ago this year and officially ended with Mao’s death in 1976.

Even the Communist party itself has admitted that period of Mao’s rule inflicted “grave disorder, damage and retrogression” on the country.

Despite all this, Jeff Wasserstrom, a professor of Chinese history at the University of California, Irvine, said Mao remained a revered figure in some parts of China.

Many in the west felt disbelief at how people could have “anything other than revulsion at somebody who was responsible for the Great Leap famine and the Cultural Revolution”.




Victims of persecution were rehabilitated and in some cases compensated. Perpetrators were jailed. Party-run newspapers filled with semi-fictionalised accounts of the suffering and the Cultural Revolution was officially labelled a “grave blunder”.

But the party’s willingness to delve into past errors came to an abrupt halt in the 1980s as a surge in student dissent spooked its leaders.


“Once it appeared, as the 80s went on, that young people in particular were restive about the lack of democracy and reform in China, they decided pretty quickly that they had had enough of that and that they would move on,” says Walder, a sociologist at Stanford University.


“[China’s leaders] saw what happened in eastern Europe and they drew the obvious, somewhat self-serving conclusion that if we are going to hold on to power we’d better stop dwelling on the past and concentrate on improving the lives of people and move forward.”


Three decades on and discussion of the evils committed during that decade remains largely taboo.

Since president Xi Jinping came to power in 2012, there has been a push to further curtail criticism of Chairman Mao’s reign. “To lose the banner of Mao Zedong thought would mean a negation of the party’s glorious history,” Xi said at the 120th anniversary of Mao’s birth.


“If I’m right in thinking that the cruelty by Chinese against other Chinese was the most terrible aspect of [the Cultural Revolution] … then I think that if one doesn’t face up to that, it could happen again.”
- The Guardin ''What mistake did we make?' Victims of Cultural Revolution seek answers, 50 years on'


ジェイムス・ジョイスの世界 No. 11

近代文学というのは、国と時代の普遍的理念を具体的人間像を通して同一的に呈示する。ここで抽象的他者との出会いが表現される。この外では他者との一致はない。だが、ジョイス文学は、いつ何時にどこのパブで誰々と会ったという具体的人格との出会い話しか書いていないことに気がつく。植民都市ダブリンに「社会」がないからだとする見方もある。だが、ダブリン全体を見渡す宇宙の中心に、ブルームの家があるのは衝撃であるー「社会」があろうと無かろうと、「市民」であることを自分のものにしようとしたのが、ほかならない、このブルームである。ブルームは、"the character of a wandering Everyman"(彷徨うみんな)というか、(「フィネガンズウエイク」において迷宮的に構成されることになった"Here comes everybody" 「人類みんなここにおいで」というか)、帝国主義からもまたその対抗的裏側にある反帝国主義からも自立するために呼び出された、天と向き合う孤独の力としか言いようがない。おそらく三十年代のファショ的大衆の孤立と同一化することがない力


「論語」の世界 No. 5

長い時間を要する思想の問題をあまりに短い時間で便利に答えを見つけようとするから難しい、難しくなる。自分ひとりで考えるのが難しいとき、考えることを諦めてしまうよりも、なぜ友と共に考えないのか。その友は過去に書かれた言葉である。だがいくら言葉があっても、もしそこで方向性を失うとやはり難しいだろう。考える生きる人間を学ぶかわりに、考えない死んだ一つの国家というドグマしか教えてもらおうとしないとき、それは学ぶという方向性を失っている態度だと言わざるを得ない。読むことができない痕跡から、2500年前から、まるで沈黙から聞こえるような小さな声で、とてつもなく大事なことが告げられる。方向性の理念とは、方向性がなければいつまでも一つの国家に囚われたままで無限の宇宙の中心に到達することができないという理念性のことである。17世紀の仁斎論語が「君子」を「市井の人」としてとらたとき東アジアにおける知識革命がはじまったといわれる。つまり、「君子とは何か」という問いは、Was its der Mench...という18世紀において人間を問いはじめた市民の問いと等価であったのである。



Le Monde diplomatique

On ne compte plus les biographies de M. Vladimir Poutine, mais le système politique russe reste mal connu. Sait-on par exemple que le parti du président a organisé des primaires avant les législatives, prévues le 18 septembre ? En imitant ses homologues occidentaux, Russie unie cherche à convaincre de sa capacité à se renouveler, mais aussi — avec un succès mitigé — à éviter que le vote ne tourne à la foire d’empoigne.

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2016 sept (1) 言葉と表現と射影のブログ/BIGLOBEウェブリブログ
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