反戦運動とジョイス文学 1

1、アイルランドの人々は生存可能な未来について話し合うべきときに来ている。世界的な金融危機を迎える前、政治家達は、アメリカ型の市場原理を範に取った経済政策を立案し実行したが、結果として経済政策の破綻が決定的となるや否や病院や学校への予算を凍結してしまった

2、私の最後の滞在の年、この政策の方針に対して大きな幻滅と怒り、憎悪が生じた。公平の観点を土台に据えたナシャナル・プランというものに積極的に取り組む姿勢が政府には欠け、例えば、2003年度の国連調査ではアイルランドの貧困層の人口割合は15,3%に上り、

3、西欧諸国十七カ国中十六位という望ましからぬ実状が報告された。ちなみに最下位はアメリカだった。映画作りの方向も経済的・社会的現実の変化に規定される事は確実であり、例えば映画産業に対する税制優遇策が廃止されようとする中、産業に関わる約三千人が仕事を失う事になるであろうと危惧された

4、ところで湾岸戦争以降、ワシントンの右翼政権によって露骨な植民地主義が急速な勢いで復活しています。アイルランドではそれらに対する抗議活動が行われていたが、アイルランド国営放送はハリウッド映画の放送を通じて視聴率を稼ぐ事に熱心であっても、これらの抗議する人々の姿を殆ど伝えなかった

5、植民地主義の復活に反対し抗議する一般の人々の声を捉えること、これは映画メディアが果たさなければならない責任の一つと、考えられる。大事な話題ですのでもう少し説明すると、今年始め一日二百機以上の米軍機がシャノン空港を離着陸する中で、アイルランド政府は反対派の抗議行動を阻止する為に

6、軍隊の出動を要請し、国境線のような鉄条網を設置した。二月十五日に世界の主要都市で反戦デモが起き、アイルランドでも十万人以上の人達がダブリン市中に集まり、実に72年の「血の日曜日事件」以来といわれるほどの大規模な抗議行動となりました。当時Gardaiは八万人だと報じたのに対し、Irish Times, Irish Independentは最低十万人のプロテストだったと報道した。イラクの軍事武装に過剰に反応している米国は、

7、七十年代当時の北アイルランドにおける英国政府とまさに同じ過ちを犯そうとしている、という傾聴すべき数多くの声もあった。その中にはU2も。権力者たちから発せられる、正義とか服従といったもっともらしい言葉が、常に、暴力の手段、不正の武器として用いられることに憤りと驚きを禁じ得ない。

8、そして、米軍のシャノン空港の軍事利用を法律で認めてしまった政府の対応に人々は失望した。挫折感に見舞われた一人一人の蒼白な顔がいまもありありと瞼の内に蘇る。憲法に規定された大事な中立政策が侵害されることになるにも関わらず、争点となっている戦争が今回のように

12、国の経済に重要な投資国の利害に深く関わる場合には、どんな方法を取っても拒否の意思を政治の中枢に伝えることが出来ない、という無力感に襲われるのだ。フェアーに言って、このことは、日本国憲法においても全く同じことがあてはまるだろう。歴史は繰り返すのか?ここで歴史的な展望を与えると

13、独立当時の買弁中産階級と立憲主義民族独立運動家達は、ある作家によって、大英帝国の搾取者との結託者として中傷と非難の対象となった、という事実を今日の文脈の中に置いてみると、重要な示唆を含んでいるよいに思われる。というのは二十世紀に起きたこれらの事態は、「ケルトの虎」を自称する


14、今日の南アイルランドにおいて繰り返されているようにみえるからだ。独立当時の買弁中産階級と立憲主義民族独立運動家達を糾弾したその作家の名前は、ジェイムス・ジョイスである。私は、反戦運動とジョイス文学というテーマで書こうとしている。思い返せば、いままで参加した大事なデモの一つが

15、いま述べたダブリンの反戦運動のデモだった。アイルランドに行った理由の一つに、日本の平和憲法の方向を具現している国を見たいと思いがあった。が、前述したようにこのアイルランドはスイスの様な中立国にもかかわらず、あるまじき事に、空港に米軍の大型輸送機(食料)を使用させていたのだ。

16、直接関わりが無い遠い国の事とて、爆撃を受ける人々への強い同情から十万人が街頭に繰り出した。独立時もこれ程の人数は集まらなかったという。昨年から政党や労働組合から召集されず、自分達で情報を集め自発的に集まって来る反原発を訴える人々を見る度に、当時のダブリンの街頭を思い出すのだ

17、アイルランドの人々は生存可能な未来について話し合うべきときに来ているという意味は、沖縄講演でガタリが語ったように、われわれは「公的なもの、社会的なもの、環境的なもの、あるいは政治的なものの相互の間を、横断的にどのようにつなぎなおすのか、といったことが問われている」という意味だ

18、つまり、我々の生活に関わる重大な政治的意志なり方向に介入する権利と公共空間を我々が持つということだ。われわれは市民が政策決定過程に介入する権利をもつという<市民介入的>民主主義の意義を、公共空間の権利を、われわれのものとしなければない事態が眼前にあることを理解し始めている。


19、ジョイスの憤慨はアイルランドのエスタブリッシュメントに対して向けられたものであったが、そもそもなぜ一文学者が政治の問題に発言しようとするのかである。この問題からはじめてみたい。ここで、子安宣邦氏による中国の作家魯迅の分析を参考にしながら、文学者が発言する理由を考えてみると、

20、「文学者であることはどのような人間的状況にも介入できる特権性をもっていることである。戦争や革命といった国家的、民族的事件から、社会的、個人的な出来事に至るまで、文学者は介入し、何らか文学的証言を残して行く」のである。これは、サィードが知識人について言ったことが適用され得る。

21、つまり、文学者が、公衆に向けて又は公衆になりかわって、メッセージ・思想・姿勢・意見を表象=代弁したり、肉付けしたり、明晰に言語化できる能力にめぐまれた個人であるということだ。但しこの文学者が占める知識人の位置は、専門性を否定する彼らの外部的な位置と関係しているといえよう。

22、近代の「語り」は体系を語らなくてはならない。しかし専門の特権性からは、社会的に語る特権が出てこない。西田幾多郎は和辻哲郎ほどには<語りの特権性>を持っていなかった理由である。西欧と比べて日本における哲学者の不在が、文学者に、又は文学的批評家に<語りの特権性>を行使させている

23、知識人としての文学者は、顔なき専門家に還元できない。つまり、特定の職務をこなす有資格者階層に還元できないだろう。サィードが看破したように、知識人としての文学者は、「亡命者にして周辺的存在であり、またアマチュアであり、さらには権力に対して真実を語ろうとする言葉の使い手である」

24、「近代」のいつから、文学者はこの知識人の特権性をもったのだろうか?恐らく19世紀の近代市民社会と近代小説に由来するだろう。この「知識人」という言葉は、右翼のバレスが最初に言った言葉であった。政治に関心が無かった学者や文学者や芸術家を指差して、こうした専門家でない人々が、

25、ドレフェス事件を契機に発言し始めた事を軽蔑し揶揄したのであった。このドレフェス問題は、金に支配されたブルジョア社会に対する批判を覚醒させた。知識人は、解説者的傍観者ではありえない、と。だから、この知識人としての特権性は、どの文学者にもだまって与えられるというものではない。

26、「若い芸術家の肖像」の主人公、ジョイスの分身であるスティーブンは、意識の流れの中心点である前に、知識人としての文学者である。権威的政治を容赦なく批判する普遍主義的主体であり、たしかに、この主体性は、自分で決めた亡命self-imposed exileにおいて証明されていく。

27、ジョイスが最後の本に与えた「フィネガンズ・ウェイク」の題名は、アイルランド神話である(木から落下した者が
葬儀で酒をかけられ生き返った)。ここで、神か王の代わりに魔術的に語る僧侶的な詩人達の特権性を描いているが、なぜジョイスは上と下を引っくり返す程の反権威的落下を書いたのか?

28、恐らくこれはフローベルに対する嘲弄を意味するだろう。そのフローベルが次のように言った言葉に対してである。「芸術家というものは、その作品のなかでは、天地創造における神のように、目には見えずしかも全能でなければなりません」と。ここから、芸術家は社会と個人との対立を描けるのだ。

29、その前提として社会というものが存在していなければならない。しかしアイルランドの文学者は社会と個人の対立を描こうにも、そもそもそんな「社会」が存在しないのである。これは植民地化されたどの国にも言える。だから、むしろ統一と分裂というテーマがよりリアルな問題として意識されてくる

他者はフランス小説の様な抽象的人格として現れないのがアイルランド文学の特徴だ。ダブリンのパブネットワークには中心がない。だからジョイスのテクストは固有名詞のオブセッション、ブルームが何時何分にどこへ行くと誰に会えるか記述した地図。ドゥルーズが言う程にはその分裂は、カフカ的迷路かどうか?ホメロス「ユリシーズ」が描く外部に属した海の道は、ジョイス「ユリシーズ」において街頭に対応する。ジョイスのテクストの無意識に、ホメロスが謳った武力的奪回の叙事史、即ち外部を包摂してくる全体性を拒む抵抗が横たわっていることは注意深い読者なら見逃さないだろう。モダニズムに対する抵抗である。ジョイスはアイルランド女性が直面する二重の搾取を告発した。国外の資本主義から搾取される女性達は、近代的リアリズムの観察によって描くことは不可能だった。又、ナショナリズムに搾取される女性達を民族的神話的想像力によって称える書き方は偽善に思えた。
ジョイスをとらえて離さなかった呪縛とはなにか?呪縛とは、独立を果たそうとする国家への愛であった。ここから屈辱と憎しみが起きる。屈辱とは、搾取を解決する上で何の役にもたたないことを知りながらこの愛していない国家の誕生を愛しているふりを続けなければならない態度をいう。憎しみは、その自立せんとする国家が、動物の如く自分達の生存手段を維持せんと背本主義への迎合を深めていくにしかめない約束された歴史に抱く敵意のことだ。もし正義があるとすれば、それは何か?ジョイスの場合、自分で決めた亡命を代償に、それを定義する文学を要求したののかもしれない(he even ran away with hunself and became a farsoonerite, saying he would fa r sooner muddle through a hash of lentils in Europe thanmeddle with Ireland's split little pea. 野郎は、アイルランドのけちな割れ豆をグリグリするのは勘弁、それより熱いレンズ豆のポタージュスープをかき混ぜた方がましだと言い、ひとりで女と逃げ出してヨーロッパの糞ったれ物書きになりやがった。「フィネガンズ・ウエイク」より。)

30、ジョイスを語るときバベルの塔から書き始める理由がここにある。呪縛の内部から、ジョイスは統一と多様性の両極に揺れた市の肖像を書いた作家だったからだ。ジョイスを、1970年から始まるポストモダニズムの先駆とみなすことには十分の根拠がある。このポストモダニズムほど論争を生んだ芸術運動はなかった。

31、演劇性と理論性とが共に働く顕著な混合形態ゆえに、不安定なポストモダニズムに定義を与えることは不可能だろう。そのスタイルは、ジョイスのテクストのように統一がなく、或いはスタイル無きスタイルといえる。陽気なデガダンス、空ろな華麗さ。こうしたポストモダニズムに共通する特徴といえば

32、モダニズムの明晰且つ素朴なユートピア的なヴィジオンを遠のける批評性の貫徹にあった。モダニスト運動はあたかも開けた窓から新しい世界に辿り着こうと常に考えたが、それに対して、ポストモダニズムの批判は、その世界が割れた鏡の破片の如く散布した諸々の断片から成る表層でしかないとみなす

33、ジョイスは「召使根性の割れた眼鏡」と呼んだアイルランド文芸復興運動は、このモダニズムのヴァリエーションだろう。滑稽ゆえに反感を買う不合理性がポストモダニズムの身振りに定位したーこれなくしては、芸術のスタイルそのものを問うた新しい自己意識が生まれることはなかったからだが、

34、これは芸術に於けるジョイス文学の継承といえよう。ポストモダニズムの中心的コンセプトが複雑且つ曖昧な言明と観念と状況の配置に依拠したのは、ポストコロニアリズムの批評と同様に、反権威的な抵抗を意図したからだ。貨幣的権力を象徴するバベルの塔の内部のなかに取り込まれてしまうまでは。



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1 バベルの塔とマーテル塔

 バビロンは、ヨーロッパの文脈からみると、圧制と亡命を象徴する、現存したメソポタミア文明の一都市の名である。また、その名は、天の高みにまで築かれたバベルの塔について旧約聖書の神話に結びつき、人間の奢った野心に対する戒めの記憶を喚起する。この神話によると、天の神は、自らの偉大な建築技術の勝利に酔った傲慢な人間を罰するために、塔を破壊したのみならず、無数の言語を地上に撒き散らした結果、人々は互いに話す言葉が全く理解できなくなってしまった、という。こうして、バベルの塔は、善意ある人々が孤独に陥り、匿名性の不安の中でコミュニケーションが成立しない、大混乱を意味するようになる。それは、理解不能な言葉が氾濫するなかで、結局、皆がバラバラに分裂し散逸してしまうのではないか、と恐れて止まない人々の、「多様性」に対する根強い拒絶の感情を象徴する。この話は、異国に亡命した人々が覚えた言葉を理解できない孤独な疎外感を伝えた神話、と解釈される一方、同質的かつ均一的な共同体というような「統一」に対する人間の過大な評価と信頼を証言している、とも考えることができる。          
 古代ギリシャの歴史家達は、バビロンの都市国家と高度に発達した先進的な建築工学を憧憬をもって記述した。他方、旧約聖書の作家達は、ユダヤ教徒である自分達と争ったバビロン人が築いた都市を非常に否定的な口調で語り、ここから都市の多様性が本質的に危険である、というプロパガンダが捏造され、後世、ヨーロッパへ伝わっていったのである。
 さて、ロンドンは、いわゆる多文化かつ多言語を看板とする、移民を積極的に迎え入れるコスモポリタン都市として知られているが、近年、前述のバビロン神話の悲観的オブセッションがそこに住む人々の意識を捉え始めている。2005年7月11日に起こった、地下鉄とバス爆発のテロ事件を契機に、ロンドンは社会統合を欠いた暴力が渦巻く都市となってしまった、と嘆く人々は、自らが理解不能な言葉に包囲されている、という脅迫感を抱き、更に、公共の空間が存在しなくなった、と不平を訴える。多文化かつ多言語(マルチカルチャー)ではなく、正確には、マルチゲットー、すなわち多数の異なる民族の居住地域が蛸壺のように並存しているだけである、という。住民の中には、移民達に義務づけられている市民権取得の英語能力検定試験の意義を過大評価したり、少数民族出身の住民が利用する公共サービスに対する公的助成を非難する者も現れている。ところで、多言語社会である今日のアジア、アフリカ諸国の人々が、皆一つ以上の言葉を喋っている現在の趨勢に鑑みると、イギリスを例とする単一言語文化の社会は、いまや稀な少数派である、といえる。このような同質的な社会では、国による標準化を推進した文化政策の結果、方言や外来語といった本来存在した言葉の多様性が消滅した、あるいは、消滅の一途を辿っている、と考えられる。多言語社会への志向は、世界中の人々が互いについて深く理解するために文明が選択した戦略である、とみなすことはできないだろうか。つまり単一言語よりも多言語の環境の方が多くの文化を分かち合うことが可能となることは明らかではないだろうか。逆に、沢山の異なる言葉が話されている状況下で、戦争や紛争が起き易いという必然性はない。実際、市民戦争の例を観察してみると、戦争や紛争が異なる言語使用者の間に生じることは稀であることが理解され、同一の言語を使う人々の間で発生しているという例が圧倒的に多いのである。すなわち、社会的、経済的、もしくは文化的少数者に対する、単一言語使用の権力的強制が生じる場合に、戦争や紛争の暴力が生じる、換言すれば、「統一」が暴力を招く、と言うことができるのである。しかし、このような事実と経験にもかかわらず、バベルの塔の神話に対するオブセションに例がみられるように、多様性を肯定していく方向は常に悲惨な暴力にしか帰結しない、と決めつけるある種の偏見が根強く存在しているのである。
 こうして、バベルの塔の神話のオブセションを前提として、ジェイムス・ジョイスの「フィネガンス・ウェイク」のような、五十を超える言語が沸騰する文学テクストを前にした時、その読者はどのような反応を示すだろうか。この多言語的かつ多義的文学テクストの一頁をめくり、初めの一行のうちに、「宇宙の劇場」の如く豊穣な「夢の言語」が展開するという宣伝文句に心を躍らせても、やがて必ずバベルの塔の悪夢の方へ連れ戻されていく。そこで、読者はあたかも異国の地で亡命者となることが宿命の如く、言葉を満足に理解できないまま、戸惑い続け、孤独な疎外感への恐れと不快感を顕わにするようになるのではないだろうか。                               
 ジョイスは、二十世紀文学の傑作である代表作「ユリシーズ」において、十八世紀に防塞基地として築かれた、ダブリン湾に臨むマーテル塔を、二十世紀初めのアイルランドの若きボヘミアン達にとって、当時のパリのカフェに代わるような知的な社交場として描いている。興味深いことには、「ユリシーズ」の冒頭で描かれた、この象牙の塔は、尊大なボヘミアン芸術家がナショナル・アイデンティティーを築くプライドとして、バベルの塔と同様の運命を辿ることが暗示されるかのように悲劇的に描かれる。そして、岩の砦のようなマーテル塔は、神から神聖な火を盗み出した勇敢なプロテウス、つまりアイルランド文芸復興運動のエリート達から真のアイルランド精神を盗み出したジョイス自身の処刑場の象徴として描写されている。こうして、ジョイスは、アイルランド版バビロン神話とも形容できる、このマーテル塔の外へ歩み出した作家である、ということができる。アイルランドという国を体現するマーテル塔を去った後、イタリアの地方都市トリエステで、ゲール語の冠を被った文芸復興運動の神々が天罰とみなした多言語的かつ多義的「夢の言語」と積極的に関わろうと試みた。しかし、ジョイスにとって言語と関わりは決して容易ではなかったのである。自らの状況を語った、「自分で決めた亡命(self-imposed exile)」という表現には、ナショナリズムによる迫害を受けて大陸へ亡命した彼の苦々しい立場が読み取れる。                         
 ところで、植民地主義支配に対する抵抗の原理としてナショナリズムが高揚する際、往々として、そのもとでが支配された側にとっての暴力が正当化される。しかし、イギリス支配化のアイルランドの一国民として生きたジョイスにとって、同じナショナリズムが文化の主張と結びついた時、自身を追放した危険極まりない言説となった。この点は、「ユリシーズ」の後に書かれた遺作である「フィネガンズ・ウェイク」に表された、内戦によって分裂し、混乱の中で暴力が暴力を呼んで急拡大していった祖国に留まるよりも、文化の坩堝である平和な大陸を選んだ、という告白からも明らかである。昼の本「ユリシーズ」に対して、夜の本と呼ばれる「フィネガンズ・ウェイク」の全編を覆う暗闇は、暴力による解放の意義を予感しながら、それを正当化する、いわば「光」としての真理を見出せない、というジョイス自身のジレンマを意味している、と解釈される。バロック絵画のなかで「光」が真理の力を表すならば、「暗闇」は真理の不在を意味する。問題は、国家の独立を導いたナショナリズムと結びついた復古主義の象徴であるゲール語が、民衆によって愛される言語ではなく、反対に、憎まれる言語である点に存在する、とジョイスは指摘しているのではないか。つまり、どの言語の受容にも、それを使う人々の愛と憎悪という互いに対立した感情が共存しており、特に前者が後者に優る場合だけ言語の存続が可能である、と。例えば、「ユリシーズ」の「テレマコス」の章において、数世紀に渡るイギリスの言語政策のもと、言語表現上の要求が英語の使用によって充分に満たされ、ゲール語はもはや実際的な機能を果たし得ない、という現実に生きているにもかかわらず、アイルランド人はゲール語を愛し尊重し続けている、というナショナリズムの偽善を演じて来た、そのような芝居は何の役にも立たない事を承知しながら、と糾弾する。この欺瞞的な状況は、アイルランドの独立新政府の文化政策のせいで益々混迷の様相を帯びる事になる。化石のような生活慣習を称える偽りの文化概念がまかり通り、「大地を掘り起こして破片を採集していけば、諸君は国家の本質を再生させる事ができよう」、と宣伝された結果、人々の中には外部=他者に対する拒絶の感情が生じ、外部=他者との関わりを通して成長していく文化の豊かな発展が憎まれるようになった、とジョイスは考える。ゲール語による文化統合は実現せず、アイルランド人は非生産的な原理主義のみに囚われて、排他的な分割線(「我々」と「彼ら」)を引くことのみを覚えた。こうして、マーテル塔=バベルの塔が築かれる。そこには生きる喜びといったものが拒まれ、疎外の現実の中でしか真実が語られず、ただ動物の様に生存の手段にしがみついている惨めな姿しか目撃されない、と主人公の一人のスティーブンは訴える。
 ジョイスにとって、二十世紀のアイルランドのゲール語は、独りよがりの病的な権威による圧政と結びついた結果、それらによって排他的なナショナルアイデンティティーが捏造されたようにみえた。これは野蛮な反動政治であり、一体誰がこのような喜び無き国家の創設を歓迎しただろうか、と問いを発し、そんな国家はむしろ無かった方が良かったのではないか、と嘲弄の言葉を発している。
 一方、歴史上少数言語が死滅の危機の中にあって復活した事例は数多く見出されるが、そういう場合は、常に、自分達の言葉は失われてはならない、とする民衆の強い願望に支えられて言葉が再生するのである。つまり、これは権威による強要とは正反対の現象なのである。少数言語であったチェコ語とリトアニア語が復活した背景には、少数言語を抑圧する支配言語が非民主的な権力と結びついていた、という歴史が理解されなければならない。こうして、ジョイスの文学から、独立後一世紀に渡るアイルランドの最大の不幸とは非民主的な権力が死んだ言語であるゲール語と共謀して来た、という事実を読み解くことができるのである。本来ならばチェコ語やリトアニア語の復活の例にみられるように、対抗カルチャーは、人々の自由や圧制からの解放を導く大事な役割を果たすのである。アイルランドでは同様な事が起きなかったのは何故だろうか。解放を望む人々の要求が復古主義の政治によって無惨に裏切られたからではないか。                                      
 ところで、ジョイスの創作において、文学と肖像画は互いに切り離すことができない関係にあり、アイルランド時代に書かれた「若い芸術家の肖像」のなかでは、文字による肖像画家を志した、彼の決意を読み取ることができる。この場合、肖像画とは一体なんであろうか。肖像の対象である顔を描く画家は、もっぱら顔の外面だけを描くことになるが、それでもそこに予め意図しなかった別の何かが偶然に現れてくることもある。晩年に肖像画の傑作を産み出したべラスケスの作品から生まれ出てきたものが、このような肖像における「表象」である。ちなみに、「表象」とは、ラテン語 repraesentatio (最現前化)、代理や代行の意に由来する英語 representation、ドイツ語 Vorstellung などの訳であり、通常、再生心像による対象意識のことを意味する。つまり、心象の中で再構成されていく対象のことを示す。芸術家は対象を捉えたいと努力するが、その中でもべラスケスが捉えようとした対象は全く独創的であった、といえる。画家の描く行為そのものを描こうとしたからである。つまり、べラスケスは描いている自分自身を現在進行形で絵の中に表現したい、と考えた。そして、ジョイスは、「表象」という問題を文学のなかで取り扱うことに成功した、べラスケスのこの野心を最もよく理解した小説家、といえるのだ。更に、ジョイスは表象行為の中に、剰余価値すなわち盗みが存在しているのではないか、ということを嗅ぎつけていた。ジョイスは、現実が再生産される、あるいは再現される際に、剰余価値が生み出される、という本質について、フーコーやアルチュセールのように理解していたのであり、「表象」とは盗みではないか、と常に疑った。こうして、マルクス主義の剰余価値の概念は、ジョイスにとって、表象行為に関して生じたブルジョア的幻想と闘うための強力な武器になるはずであった。それでは、いったい誰が盗むのか。文芸復興運動のエリート達である。誰が盗まれるのか。民衆である。何が盗まれたと主張するのか。文学と民衆が愛する言語である。


2 アナーキストの喜ばしき旅 - ジョイスとバクーニン


 ジョイスの「ユリシーズ」に描かれた一日の日付である六月十六日は、現在は主要登場人物の一人であるブルームの名前にちなんでブルームズデイ(Bloomsday)と呼ばれている。そしてこの日は、「自分で決めた亡命」を実行しヨーロッパの異邦人となったジョイスの旅立ちを記念した日である、ともいえる。このブルームズデイ百周年の二00四年、アイリッシュ・タイムズは、「ジョイスを再読する日 (A day to rejoyce)」と題する社説を掲載したが、その内容は、外国人を排斥する危険なナショナリズムの台頭への警鐘で結ばれている。
 
 百年前に起こったものと設定された架空の出来事を祝うのは、なんと奇妙な事だろうか。ジェイムス・ジョイスの世界はあたかも現実に起きた出来事として読者の関心を強く惹きつけ続け、例えば、レオポルド・ブルームの生誕地が果たして、Clanbrassil street upper なのか、Clanbrassil street lower なのか、といった議論が白熱し尽きる事を知らない。これは驚くべきことである。ジョイスは、一九0四年六月十六日当時のダブリンの一日を再現した小説を書いたが、その中ではフィクションと現実との間の境界が見事に払拭されている。百年後の現在、ダブリンの物理的なインフラは劇的に変化したが、斬新かつ奇抜な手法で描き出された都市の姿は百年前のダブリンの姿そのものであることに異論はないだろう。興味深いのは、ジョイスの「ユリシーズ」には普遍的なデモクラシーの視点が織り込まれている、という事実である。
 「ユリシーズ」は現代性を持つ本である、と評価される。そして、主人公のレオポルド・ブルームは人種的にも文化的にも、アイルランドのアウトサイダーである。「ユリシーズ」には現代のアイルランド人が考えてみなければならないアイロニーがたっぷりと表現された場面が描かれている。それは険悪な雰囲気の中でブルームが国籍を尋ねられて答える場面である。「アイルランド、私はここで生まれたんだ (Ireland, I was born here)」。アイルランドで生まれた者は誰でもアイルランド人である、ということは、ブルームにとってあまりにも自明な事であった。しかし先週金曜日に実施された市民権取得条件に関する国民投票では、投票したアイルランド人の多数はそうは考えなかった。非常に残念なことである。
 アイルランド人は、「ユリシーズ」が提起した普遍的な視点、すなわち「Irishness(アイルランド人たること)」について真剣に考えなければならないだろう。「ユリシーズの出版の年である、一九二二年当時のメッセージには貴重な示唆が含まれている事に注意を喚起したい。
 作品全体の構想は、ヨーロッパ大陸各地における長期に渡る滞在のなかで練られた。二十二歳で「自分で決めた亡命」について、様々な話題が提供される。確かな事は大陸における創作上の豊かな体験が、「ユリシ-ズ」の溢れる多様性を実現させた、という点である。最終章に示されるモリー・ブルームの最後の言葉である「yes」の下には「トリエステ、チューリッヒ、パリ (Trieste-Zurich-Paris)」と書き印してある(ここに小説家の生涯に渡るオブセションであった「ダブリン (Dublin)」の名前が挙げられていないのは滑稽だ)。今日になって我々アイルランド人の祝祭の対象となる本には、ヨーロッパ大陸に生きた小説家の豊かな経験が反映されているのであり、この事は誰も否定できない。

 この文章は、今日益々世界中の読者を惹きつけて止まない「ユリシーズ」の魅力をうまく伝えている。「自分で決めた亡命」を実行したジョイスの伝説、それは次の作品で遺作となる「フィネガンズ・ウェイク」の中の告白文に近い、一人の登場人物の回想の言葉の中に凝縮されている。イギリスの植民都市であったダブリンは、ジョイスの想像力の中で、ジョイスが「ユリシーズ」の執筆を行い、当時オーストリア帝国の地方都市でありながら、オーストリアからもイタリアからも自由であるごとく、アドリア海を望む、多国籍都市のトリエステに重ね合わされた。たとえ、「トリエステ、チューリッヒ、パリ (Trieste-Zurich-Paris)」という小説最後のサインの中に見あたらなくとも、「ダブリン (Dublin)」は生涯ジョイスのオブセションであったに違いなく、彼は絶えず自分の生まれ育った原点に立ち帰っていたようにみえる。この意味で、トリエステはダブリンに等値された。更に、全ヨーロッパがダブリンに等値された、といえるのである。
 ジョイスを魅了した当時のトリエステは、中世ヨーロッパの交通世界を再現したかのような、大陸諸文化の坩堝であった。「フィネガンズ・ウェイク」には「that absendee tarry eastey (ザッツ アブサンデタリー エーステ)」という言葉が書き記されているが、トリエステの名前を含んだ洒落であり、異邦人であるジョイスはその地でゆっくりと過ごした、という意味にも解釈できる。オリエント、ユダヤ、ギリシャの雑多な香りが混在する場所で、多言語で記述された「ユリシーズ」のキルケの章が誕生した。例えば、アラビア語とスペイン語を混ぜ合わした造語、Nerakada!Femiininum!(ブルームに呼びかけた言葉、「祝福された女よ」の意か?)が見られる。ヒューマニズム的なモダニズムの批評家には、一般的に、ジョイスは政治嫌いのコスモポリタンと評価されるが、その信条は、イタリア独立運動と社会主義運動が同時に勃興する、危機を孕んだオーストリア帝国の地方都市であったトリエステにおいて、根本的に検証される事となった。事実、そこでジョイスはアイルランドのナショナリズムの問題について熱心に語った、といわれる。当時のトリエステは全ヨーロッパの難民達の避難所のような場所となっており、それらの人々との出会いは彼の宗教的感性を拡張した。ここでの体験が、「ユリシーズ」における、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教という、あらゆる宗教が対等に扱われるユートピアである「New Bloomusalem」の建立についての、ブルームによる宣言に繋がることは否定すべくもない。もし、今日、ジョイスが「ユリシーズ」を書いたとしたら、主人公はユダヤ人の移民であるブルームではなく、一番迫害を受け苦しんでいるアラブ人であったに違いない、とジョイス研究家のデヴィッド・ノリスは述べている。また、トリエステ在住の研究家であるジョン・マックコートは、当時のイタリアの独立を巡るウィーンとフィレンツェとの利害衝突やイタリア未来派の活躍、そして、現地の作家達の活動が一つ残らず、ジョイスの創作の源泉となったことを指摘している。イタリア名をジャコモ (Giacomo) と名乗ったジョイスは、トリエステの方言や街頭に溢れる外国語を具に拾い上げ、この多国籍都市に渦巻く言語のエネルギーの沸騰をこよなく愛した。女性観も、教育が高く、洗練され、性的に開放的であるアドリア海沿岸の都市の女性達によって発展を遂げ、アイルランド時代の小説に特徴的である、抑圧された否定的な女性像はその後の作品では完全に姿を消す。
 ユダヤ人であることによって彼をアイルランド人として認めようとしないナショナリストの「市民」に反論して、ブルームがスピノザとマルクスを含む「普遍的なデモクラシー」に貢献した偉大なユダヤ人達の名前を挙げる場面がある。特に、ブルームが無神論者であるスピノザの名前を挙げていることに注目したい。スピノザは、「人間の表象力を遙かに凌駕する無限に多くのものが存在し、表象力が微弱であるがゆえにそれを混乱させる極めて多くのものが存在する事」を知らなければならない、という世界観を示しているが、ジョイスが暮らした当時のトリエステ、またそこで執筆されたジョイスの本こそ、まさしく、この世界観を具現化している、といえよう。スピノザを愛読していたブルームは、まるで極めて多くのものが生起するその無限の世界に自分自身が生きている事を知っていたかのようであり、スピノザの合理的な批判精神を継承したい、とする自己の役割にも極めて意識的だったのである。
                                         
 ところで、アリストテレスは道徳人を、自己中心的な人間ではなく、良き人生そのものとして友情を楽しむ人、と説き、いわゆる知識人の瞑想生活に大きな意義を与えているが、アリストテレスの理解には道徳が本質的に互酬的な関係である、という認識が欠けている。アリストテレスは、それが政治生活の中で育まれることをよく分析したが、人と人との間で生じるもの、つまり、関係において生じるもの、という大事な点を見失っている。ここで警戒を要するのは、アリストテレスがいう、いわゆる「偉大な魂」を持った人、というのは、ヴィクトリア朝の節制を重んじた自己満足のみを意味している点である。ジョイスは、独立運動の指導者パーネルの失脚の後、このようなビクトリア朝の美徳を頂点とする節制がカトリックのモラルと相伴って、アイルランドにおいて大きな影響力を持ち始めたことを警鐘に鳴らそうとした。つまり、イギリスの植民都市ダブリンの中産階級は、現実的な自治を求めた政治的な運動が挫折してしまうと、「偉大な魂」を持った人の自己満足の内面化へ閉塞していったのである。
このような自己満足とは相反する考え方が、パリ時代の若いジョイスが読んだバクーニンを初めとするアナーキスト達が強調している相互関係、すなわち互酬的な依存であった。ちなみに、バクーニンの著書「神と国家」においては、スピノザの世界観の大きな影響が読み取れる。この「依存」という概念は、物質的な次元における関わりから、鳥がひなを抱くように、モラルを抱くイメージとして思い描くことができるだけでなく、平等な相互関係のあり方を喚起させる。ところで、十七世紀の共和主義者で「失楽園」の著者であるミルトンの偉大な着想は、当時マイノリティーであったプロテスタント教徒を暗闇のなかに打ち捨てられた孤児として描き出した点と、アダムとイブには育ての親が居たことを神話的な語り口を通して強調した点である。ミルトンは、蛇こそ人類の二人の祖先を育てた親である、と語り、これは、超越者たる神を罵って反抗する知恵を授けてくれた、というバクーニン的な主題に発展する。プロテスタント信者が、かつて自分達の主人として仕えていたカトリック信者を打ち倒し、戦災孤児となったそれらの子供達を引き取り育てていく、というダイナミックに展開する文化的な依存関係の歴史のことも描いている。ミルトンは、ヘーゲルの「主と奴隷の間の依存関係」をテーマとしたロマン主義的な視点を先取りしていたのである。
ところで、アイルランドのバクーニン主義者である劇作家のフランク・マックギネスは、十七世紀のミルトンが観察した文化的な依存関係に対して、越境する移民の風景を見据えるポストコロニアル的な視点から新しい息吹を与えることに成功している。十七世紀のアイルランド植民総督であるスペンサーについて語った戯曲「ミュータビリテ(有為転変の物語)」の中では、カトリック信者が、かつて主人として仕えていたプロテスタント信者、つまり、スペンサーが代表した地主達を追放した後、孤児となった彼らの子供たちを育てる、という主題が展開する。これを、ミルトンの視点をひっくり返しただけの、単なる着想の妙として評価してはならない。ここには、アイルランド人の作家達が得意とする、ヘーゲルが「知の狡猾」と呼ぶであろう、巧みな戦略が働いていることを理解する必要がある。つまり、マックギネスは、「敵」である他者の中から自己が誕生する、という互酬関係である依存の政治を表現したのである。「敵」との間の分割された文化の壁を越境するための戦略の有効性を演劇を通して検証しているのである。こうして、植民総督であったスペンサーを、アイリッシュの作家とみなそうというわけである。これは、独立後英語で創作を行うアフリカの作家達が、ヴィクトリア朝植民地主義のイデオロギーを体現した作家であるコンラッドを、あえてアフリカの作家として再定義したことと比較できるだろう。十七世紀のアムステルダムにおいてアナーキストとして生きたスピノザの構想のように、プロテスタント信者であれ、カトリック信者であれ、ユダヤ教徒であれ、どのアイデンティティーも、分割できない唯一の実体を構成する、と想定するのだ。つまり、どのアイデンティティーも、相互に変換可能な差異として還元してみるのである(ただし、マイノリティーの側に立った現実の闘争において、還元不可能な差異を常に留保するべきであるとするサイ-ドの主張には留意を要する)。ジョイスを初めとするアイルランドの作家達は、アイルランドとイギリスという、互いに「求め合う敵同士」の奇妙な関係の間を永久に彷徨っているのである。
 マックギネスが自身のことを、「ジョイスの真の友人」と表現する際、相互の文化を尊敬し合う社会関係を求める作家としてのアイデンティティーを表明することを意味している。このような相互の尊敬は、ヴィクトリア朝帝国における植民地支配の権力関係には存在しなかったし、また、今日における新植民地主義の状況下にも存在しない。各自が担う文化的な相互関係は本来、このような支配関係とは異なる政治生活との関わりの中で成長を遂げていくものなのである。人間の現実に即して考えてみると、誰もが生まれた状態において無力な存在であるから、物理的に生き延びるために他者に依存しなければならず、このような依存関係は、配慮や献身、覚醒、保護といった社会的なモラルと一体化して機能している。ここで、私達の世話をしてくれる能力は「愛」のことである。アリストテレスの人間像には「愛」についての記述がないが、ジョイスのテクストは、「愛」が社会のモデルである、と訴えていると解釈できる。例えば、どの言語の受容にも愛と憎悪という互いに対立した感情が共存していることが観察でき、特に、前者が後者に優る場合にだけ言語の存続が可能となる、という点は前述したが、ジョイスはこの事実をその文学のなかで強調した。ちなみに、アリストテレスの道徳人のモデルは、ミルなどの近代の功利主義論者達が理論づけた自由社会のモデルと結びつく。このモデルにおいては、ブルジョア的民主主義の市民は他人のためにこの者が繁栄できるような空間を創造したい、と望む。今度はその他人が同じことを私達に行う。こうして他人の幸福に仕える理性であることが、真の幸福として自覚されることになる、とされる。しかし、この常識に訴えかける、もっともらしく幸福を語る言葉は、ブルジョア的民主主義のイデオロギーを孕んでいる。この社会モデルの中では、個人は他人からの干渉を受けずに、自身の空間を繁栄させなければならないが、そのような政治的な空間は、ヴィクトリア朝に顕著な中立的な空間に過ぎない。ジョイスは、この種の中立的な空間の中で、孤立し離れ離れに生きなればならない人々について、ヴィクトリア朝の植民都市ダブリンを映し出した作品である、「ダブリナーズ(ダブリン市民)」と「ユリシーズ」を通して、証言したのではなかったか。ダブリンの人々は、自分一人の自己実現に向かうときのみは最低限の自由を享受できるが、このような一望監視方式のような社会では、個人の最大限の自己表現を導くための必須条件となる、社会的相互作用が存在しないのである。「ユリシーズ」におけるブルームとスティーブンの出会いは、ある意味で、ジョイスが目指した社会的相互作用を具現化したものなのである。一見プチブル的な作家の想像から生まれた陳腐な日常的遭遇のようにみえたとしても、その出会いにはアナーキストの芸術家の理想とユートピアが反映されているのである。中立的な空間には、他者から与えられた主体として自分達を受容するような互酬関係における人間は一人も現れてこないし、また、他者が語る言葉に対して敏感に向き合う主体の存在もない。こうして、優れた文学作品は、言葉が本来的に自身の外へ出て行くことによって、他者である映像と常に遭遇しなければならないことを示唆するが、これは、功利主義的な最大多数の最大幸福の自由社会、つまり中立空間ではけっして実現しないのである。不可視の少数者である他者の姿、言葉を奪われて抑圧されたしまった他者の姿、が決定的な映像として現れることは果たして可能なのだろうか。









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