3・11以降の思想の肖像(3a) われわれはどう映像を論じるのかーゴダール 





映画の世紀という、あるいは二十世紀という繰り返してはならない終え方



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ワークショップ;「この紙の上に、あなたの視野を簡単な絵で描けますか?」。とそこで、風船のように楕円状の形をした囲いの境界線上の任意の一点にある眼球を描くとしよう。しかしこの図に対して、ヴィットゲンシュタインは簡潔な説明を与えた。
Das Gesichtsfeld hat nämlich nicht etwa eine solche Form 
視野とはこのような形式ではない。5;6331, Tractatus Logico-Philosophicus
なぜなら、見る人の視野には見ている自分の眼球が含まれていることはありえないからだろう。これと同様な質問を拵える。つぎのようである。
ワークショップ;「あなたは映画をみています。これを、簡単な絵で示してくれますか」と。これは、先ほどの図を利用することができる。(視野の範囲を示したと思われる楕円形の風船のかわりに、眼球のかわりに、それぞれ四角いスクリーンとこのスクリーンをみている人物の姿を、描けばよいからだ。しかし結局この図も、最初の図と同様に、成り立たない図であることは説明を要しない。
ここでは、なぜ見えることがないはずの自己の眼球や自身の姿を図の中に描いたのかという問い、つまり、対象に関する記述の不完全性の原因を考えることはさほど重要性がない。端的に、他人の眼球とその姿を描いたと解すれば、図に含まれた「矛盾」も取り払われよう。むしろ、なぜ、われわれは視野や映画というものを示すときに他者を意識せざるを得ないのかという問いかけは、探求に値する哲学的テーマとなる。つまりゴダール的な問題提起である。言い換えれば、他人が見たり感じたりすることに対する、われわれの気懸かりの社会的意味を問うことの意義である。これは、テクストそれ自身よりも、他人がそのテクストをどうに読んだのかと気になる態度と深い関係があるのではないだろうか。この点にかんして、「本を絵であらわしてください」の場合、われわれは「本」のほかに、それを持つ/読む「人物」の姿を示さないものだ。このことから、映画のシステムほど他者の介入を意識するシステムはないといえるかもしれない。抽象的に言って、映画という投射の形式に関してこう言うことが許されるだろう。即ち、投射という思考の形式だけに他者が介入するのは必然である、と。
さて、このことは思想の営みにおいても然りだ。思想が自己の視野を示すとき思想自身の姿を必ず語るにちがいないから。そしてこの思想自身の姿が自己ではなく他者に属することを否定してしまうような特別の理由は一切無いのは、視覚的視野と映画の場合と全く同様である。このことから、端的に、思想は自身に属する固有の起源を持たない、といえる。ところで「あなたの心を思い浮かべて下さい」という場合、われわれは映画館の隠喩に依拠するものだ。鍵がかかった誰も入って来れないひとり掛けの椅子しかない部屋を思い浮かべるかもしれない。しかし「心」の存在を語る言葉にかくもそのような特権性が与えられる根拠は一何だろうか?
My mind is like a private locked one-seated cinema that no one else can enter心は領土ではないか。結局私的言語というものは、特権性、つまりナショナリッズムの語り以上のものでも以下のものでもないだろう。


13,「パッション」のゴダールは、崇高なものの表現に向かった。映像達から喚起された言葉達が囚人の如く、無意味な音達に、ノイズに、結びつけられた。そうして感性界の、無限にみえる多様な自然の世界が現出した。言葉達の憂鬱な喪失も語りの介入によって償われる。映画は、言葉の方向へ向かう

14、「パッションのためのシナリオ」;シューマン曰く;ベートーヴェンのポリフォニーは和声信仰消滅の表現で、彼のポリフォニーが示しているのは、疎外された世界の調性に他ならず、晩年の音楽には、身振りを交えながら一人小声で呟く男の様な趣があると。この言葉はゴダールを物語った言葉でもある


大江の「グルート島のレントゲン画法」は、無意識としての女性的な力を見つめ直した小作品である。ある意味で「個人的な体験」で都会の孤独を彷徨う「火見子」の存在が場所を変えて、生命と神話というテーマで捉え直された試みといえる。「個人的な体験」の中で主人公の「鳥(バード)」は、失踪したスラブ語研究会の講師である「デルチョフ氏」の行方を追うが、この設定によって、同化を強いられた外国人達の疎外感と、「火見子」という東京に生きる匿名の女性の疎外感とが重ねられ表現されていることはすでに述べた。大江はオーストラリアのグルート島で同化を強いられた先住民(アボリジニー)の中に、「ナオミさん」という日本女性の視点を置く。この設定のもとに、女性を客体として語る小説家である「僕」の限界と、男性原理であるナショナリズムの権力を批判的に描き出す。「個人的な体験」の隠れた主題としてつきまとった暴力の問題はこの作品では薄まり、むしろ平易な文体の中で他者認識に関する問題を呈示している。作者自身がこの作品について、「思いがけないのは、女性的なものの力の色濃さだった。知的な経験と、森の谷間の神話を、懐かしく媒介しているのも女性的な力だ」と語っているが、この作品はここで言われているように、「女性的な力」を具現した人々の物語の性格を持っている。
 アイルランドのボヘミアン達は自らのアイデンティティーを語るために独自の言葉が必要となり、その結果、アイルランド西部の「農民」を発見したのだが、イェイツを敬愛した大江にとって、まさしく「先住民(アボリジニー)」こそが近代社会やブルジョアジーに対するアンチテーゼとなる存在であった。「個人的な体験」の「鳥(バード)」はアフリカへ逃亡しようと計画するが、「グルート島のレントゲン画法」の語り手である小説家の「僕」は青年時代、東南アジアか、ラテンアメリカのどこかへ行って行方不明になろうと考えていた。これは異郷や過去にユートピアを求め、芸術における参加の意義を強調したボヘミアン達が、理想は私有を廃したアナーキな公共空間に存在する、と考えたことと同意義と解釈でき、ボヘミアンとして日本を脱出するという、大江が抱いていた強い願望が読み取れる。「個人的な体験」の「鳥(バード)」にとって、アフリカという記号は自由の観念と結びついていたが、このアフリカという記号はアラン島に置き換えて読むことが可能であり、「グルート島」の設定も同様といえる。以下の引用は、ハリウッド映画の鑑賞会の中で、若い日本人労働者、日本人女性、先住民たち(アボリジニー)、および語り手である小説家の「僕」との間に生じた滑稽な描写である。

 階段席奥の右寄りに、あいたところを見つけ進んで行ったものの、われわれは床に敷く新聞なりなんなりを持ってきていない。ためらっているわれわれの所へ、それもナオミさんのすぐ脇まで、剽悍な躰つき、顔つきの日本人青年が先住民たち(アボリジニー)の列を割って近づいてきた。僕はいま世界的に名を知られる指揮者のOさんの、二十代なかばの顔つきと、ふるまいの果断さを思い出したが、その間にも青年はナオミさんに席があることをささやきかけているのだ。一瞬のち、肩胛骨から背中への痛いたしさが豊かな尻にのっているタフタのドレス姿は、ぐっと筋肉を盛り上がらせて囲いの枠をつくる、青年の腕に守られて前ヘ進み、僕とグラノフスキー君は、なんとなく苦笑いしあって、先住民たち(アボリジニー)の間に腰をおろした。すぐさま始まった映画が、マリリン・モンローの『七年目の浮気』であったことを、タイトルが映し出された折の奇妙な動揺ごと覚えている。われわれの周りの先住民たち(アボリジニー)が、特に映画の進みゆきに熱中するようであったのとともに。
 僕はスクリーンを見あげていた。しかしビールの酔いに活発な心の動きは、そこになかった。僕はいま外国の旅先で日本人青年の一団と同室しながら、気軽に声をかけることも手をふって微笑しかけることもない。先方でもまた、現にすぐそばまで近づいて来たひとりが、オーストラリア人であるグラフノスキー君を無視したのはまあ当然として、日本人の僕をあっさりと無視してナオミさんを連れ去った。僕は若い日本人労働者であるかれらにとけこんで言葉をかわしえぬふうであり、かつはそうしたありようが許されもする生活環境にいる。つまり日本人の外洋船労務者と話ができぬ、話をせぬという人間でいながら、オーストラリア政府に招かれた作家だということで、先住民たち(アボリジニー)の生活と信仰、芸術について現地で見聞することを希望し、グルート島まで乗り込んできた。
先住民たち(アボリジニー)の生活と信仰、芸術に、自分としてまともな関心を寄せているのだし、それをなんとか総体にわたって学びはじめようとしているのであって、短い期間での観察をルポルタージュに書くという意図は持たない。そのような自己弁解をしながらも、僕はしだいに独特な体臭のたちこめてくる周りの暗がりに、スクリーンからの反映で憂しげなほどに真剣な、黒光りする顔を浮かび上がらせている 先住民たち(アボリジニー)に圧迫されるのを感じていた。なんともいいようのない鈍感な思いつきに立って旅をしてきている自分を、居たたまれぬほどにする圧迫を感じていたのだ。アドレイド芸術祭での失敗も恥ずかしいことだったが、それは時がたてば、英語力の不足の問題にうつしかえて、笑い話の種になしうるだろう。しかし先住民たち(アボリジニー)への軽薄な思いつきと無神経な接近の試みは、大きい恥の傷痕となり、これから永く思い出す度に焼かれるだろう・・・そして現に今に至るまで、僕はこの抹消しがたい恥の思いを失っていないのである。それに突き動かされして、先住民たち(アボリジニー)をめぐる書物を読み、写真、映画を見、かつて音楽を聞き、ということをつづけて、ついにはオーストラリア先住民神話の「永遠の夢の時」を生涯の主題の一つともしたようなのだが・・・

 先住民たち(アボロジニー)と主人公である小説家の「僕」との間には、国境線のような厳然とした、しかし目にみえない分割線のような障壁が敷かれている。「僕」は日頃から、「此方」と「彼方」、あるいは「我々」と「彼等」という分割によって成り立つ社会的な障壁と不平等に対して、不満と反発を感じていたはずである。「永遠の夢の時」なる文中の言葉には、語り手の小説家としての切なる願いである、先住民たち(アボリジニー)と自身の間に横たわる距離、つまり社会的な障壁と不平等が、あたかも映画館内における暗闇の中に溶けてしまうことを願う気持ちが込められている。ところが、友人である日本人女性の「ナオミさん」が、剛健な姿をした若い日本人青年によって声をかけられ、そのまま別席へと連れ去られてしまうと、「僕」はこの不測の出来事に対して動揺と躊躇を覚える。日本人女性、先住民たち(アボロジニー)、日本人労務者のことを語った「僕」の視点の内部において、彼等は語る主体としては認識されていなかった。単なる情報の客体であった。そして、「ナオミさん」が日本人の外洋船労務者によって声をかけられた時、ナレータである「僕」の安定した視線は大きく掻き乱されてしまう。「ナオミさん」がコミュニケーションの主体であったという事実が突如明らかとなるのである。スクリーン上のスター女優は「僕」のが作り出した幻覚を象徴するが、結局僕の中の幻覚は偶然ともいうべき他者の出現によって打ち破られ、真理の時を迎えたのである。「僕」の中に生じたこの日本人女性に対する認識の変化がきっかけとなって、英語力不足のせいでアドレイド芸術祭のスピーチで失敗したことや、先住民(アボロジニー)だけでなく日本人の外洋船労務者とすら一言も話のできない自己の立場が戸惑いと羞恥心のうちに自覚されることになる。後の箇所で、「僕」は、結局自分と「ナオミさん」の脱出願望は「骨格から腹腔まで見通すレントゲン画法の眼力の持ち主であるオーストラリア先住民の前でくじけてしまった」、と語る。これは「個人的な体験」での「鳥(バード)」と「火見子」の逃走の挫折を喚起する言葉でもある。
 ナショナリズムの幻想によって捉えられた女性達は、「此方」側として崇拝される対象でありながら、同時に、「彼方」側に置かれ常に蔑まされる対象にもなり、この引き裂かれた自己の内に深刻な疎外の原因が生じる。この状況を捉えて、アイロニーを込めた恐るべき記述を、ジョイスは残している。「女の性に属する幸せな者達は、戦争を終わらせるための戦争の後に、政府のお歴々がこれを最後にと(万霊節の日!)汚泥川の上に架けた七スパンの橋(神の彩綿デイ・コロリ)を、彼女たちのビッカースタッフとともに教養のある足で踏みならし、キイキイカタカタわたるのだった」。ここには、男性原理であるナショナリズムの幻想が押しつけるモラルに苦しみ、汚泥川の上に架けた七スパンの橋を渡らなければならない、神聖化されたアイルランド女性達の引き裂かれた姿が辛辣に描き出されている。「女性的なものの力」を主題として捉えた大江もまた、「ナオミさん」や「火見子」の姿の中に、ナショナリズムの幻想から逃れようとする、大江自身も含めた民衆の願望を表現しようとした。日本人はナショナリズムが性の違いすら階級としてしまう抑圧の体験を知っているが、このような体験からは他者との関わりをとおして成熟していく文化の真の発展は期待できず、人間的な意味の生成は阻まれる。しかし、人間的な意味が生まれないとしたら、我々の文学、我々の思考の自由には、一体どんな希望が存在するというのだろうか。


2


集会・デモに参加しないあなたは、正しい人たり得るのか?(CAN YOU BE A GOOD PERSON IF YOU DON'T PARTICIPATE IN POLITICS ? )。ひとり沈思黙考と議論に自己満足する者は、動物か、さもなければ、神様である。
しかし、なにが正しく、なにが正しくないかを明らかにする為に、人間は言語を使わなくてはならない。集会・デモは言語の使用だ。ところで絶滅の危機にあるのは少数言語だけではなく、無慈悲にも、この二十年間のあいだに急速に映画の傑作群が忘却の彼方に消滅せんとしている。映画の意義は、「可視化」に存した。ドキュメントをフィクション的に、フィクションをドキュメント的に表現してきたが、ところが今や映画自身が闇に消えようとしているのだ。
これと平行して、スイスの生まれ故郷であるロールに隠居したリア王と揶揄される、ゴダールの名は、映画を表す代名詞の位置をとり始めた。ゴダールGodardを、God Artと崇める自伝すら現れた。デカルトの名前が哲学をあらわすように。たしかに、もし本当にゴダールが映画の神様かアウグチウスーロッセリーニ的な説教師ならば、そのように隠居したかもしれないが、集会・デモとしての映画の可能性を捨てずに今日まで来た。だから、なにが正しく、なにが正しくないかを明らかにするゴダールは、映画という言語を使わなくてはならない。だから、80年代以降、言語を探求した哲学に一層接近していったのは必然であった。
なぜ、ゴダールは、八十年代から今日に至るまで左右両者から非難を受けはじめたのか?パレスチナ映画時代と比べると、芸術至上主義に傾いたと左翼は非難し、ヨーロッパという人類解放のユートピアのメッセージを右翼は怪訝に思う。。しかし、この両者は、言語の探求から思想的自立性を獲得したゴダールの意義を評価しているとはいえなかった。ゴダールは、過去に於ける文化遺産的なヴィジオンによって、未知のイメージの編集を発明する作家で、そのヴィジオンは「映画史」に見事に結実した。ゴダールの主張によれば、映画は人生でなければならないが、同時に、二十世紀は映画の世紀といわれるほど歴史は映画とともに存在したといえよう。
歴史研究者は、「そのとき」に自分がまだ存在していなくても歴史学の方法に即して「そのとき」を叙述する事ができる。同様にゴダールは、考古学的方法に準じて、映画の観客の「そのとき」を積分的に地層化すべきだと主張して、総体としての二十世紀史と等価物である、映画史の構想を発表したのである。
たとえば、第一次大戦後、世界の中心たる西欧崩壊の危機意識、未知世界の到来の不安と未開社会の関心が起きる。復興期前衛精神の編集と思想的自立性は第二次大戦後のゴダールに継承される。自国中心主義が齎した戦争の過ちを繰り返さない為に、映画というネーションに還元不可能な普遍言語が探求された
この点に関して、コリンマッケーブは大戦後のフランスの文化エリート達の危機感について語っている。二回の悲惨な大戦は自国中心主義の結果だったから、ネーションに還元されない普遍言語としてのサイレント映画の意義が意識された。ゴダールのサイレント映画の思い入れはこうした歴史的背景から説明できると。
便宜上、ここで簡単に、ゴダール映画の六十年を振りかえってみると、モノー家追放に​帰結した、混乱のパリ時代に遡ることができる。ゴダールの五十年代は、ブルジョア両親の厳格なモラルと、時代の進歩的息吹、社会民主主義に背​を向けて無為に過ごした。前衛芸術と大衆芸術のコミュ二ケーター、都会的コスモポリタン、耽美主義的アナーキストの方へ歩み出す。ゴダールの六十年代前半は、アンチ・社会民主主義、アンチ・ブルジョア的耽美主義者、アルジェリア戦争反対、である。映画に登場する逸脱者たちは、車泥棒、チンピラ、女好きの怠け者、ジゴロ、ダダ的発明家、娼婦、放浪的探偵、そして、物書き(職業とはいえない、自分で決めた半失業者)であった。政治映画において先行していた大島渚は、六十年代後半にはじまるゴダールの「中国女」への大転回に驚嘆した。毛沢東主義とフェミニズムの出発点、ジョイス文学からブレヒト演劇へ移行する映画モデルの変遷、芸術の自己定義からマスコミ的表象の批判への移動、ベトナム反戦、アンチ・ドゴール主義。
ゴダールの七十年代は、極左との集団制作、ジガ・ヴェルトフの時代。「プラウダ」、「東風」、「イタリアの闘争」、「パレスチナ映画」を制作して、ハリウッド映画を帝国主義として非難した。映画は、教条主義的に理解されたが、実際には、抽象的モンタージュを通して、内省的な思考の側面が現実化した。
黄金の八十年代は、ウィットゲンシュタインの哲学的転回を喚起する、映画世界への復帰といえる。この時代は、ミニマリズム的自主制作を発展させた時代で、思考と言葉の映画が確立する時代だ。ゴダールは、新左翼的アナーキズムが転向したネオリベ的ポストモダニズムと一線を画して、モダニズム的な批評精神を貫く時代だ。「ヌーヴェルバーグ」をはじめゴダール映画は、「方法としてのスイス」の様相を呈す。チューリッヒからローザンヌ、さらにロール(彼の故郷)へと通過する列車は国境を越えない。出発は独逸語を喋る乗客中心だがそのうち仏語を喋る乗客に置き換えられていく。レマン湖は境無し、八十年代のゴダール映画のように、此処とあそこだけ。
「映画史」を発表する九十年代は、二十世紀史と等価物の映画史を表現しようとした。未来を思い出すこと、ユートピアとしてのヨーロッパの再生の歴史を、自己のアイデンティティーの物語と重ね合わせた。ゴダール映画の国際的受容を考えると意外だが、ヨーロッパの外での撮影・映画制作はやっと90年代後半からはじめて実現した。
二千年からは実験精神の編集というよりは、ヒューマニズム的に思考を呟く詩的言語の使用が顕著。ポンピドゥセンターにて空間としての映画の展示、これはアドルノ的否定の展示ともいえるスキャンダルとなった。作品「ソースィアリスム」では国家語に還元する幻想を拒む多言語的次元が顕在していく。
ゴダールは、フランスという見える定義の集合のなかに、見えない自己定義の集合(ベトナム、スイス、パレスチナ)を可視化させた作家だ。そこから、さらに、ゴダールは、自己を再定義するために、レジスタント運動の歴史から、ソーシアリズムとしてのヨーロッパのあり方まで全部を編集したいと試みてきた。
そのゴダールの代表作は、「映画史」であると断言しても間違いではないだろう。この「映画史」こそは、いわば二十世紀精神史を編集した映画だからである。ここで精神史の「精神」とは知識人とほぼ同義語であったから、二十世紀は知識人の歴史だったといえる。どんな問題にも介入してくる<語りの特権>を持つ知識人は、ヨーロッパにおいては、哲学者に限られる。本来哲学的なゴダールも、映画の傑作群が忘却されていくと共に、次第に映画作家としてのゴダールから、知識人としてのゴダールへ移行していったのではないだろうか。少なくとも日本では、ゴダールは知識人としての評価を与えられていることは確かである。象徴的に言うと、ゴダールは知識人からの視点から、カメラを、スクリーンを見ている観客の方向に向けた。スクリーン見る人を撮影することによって、観客であったわれわれの存在を対象として批判的にとらえようとしてきた。ちなみに日本の哲学者は皆専門家だから知識人ではない。文学者が知識人の役割を担うのは、知識人としての哲学者の不在という日本的事情がある。
映画の世紀とも呼ばれる二十世紀は二つの世界大戦と二つの体制を経験した。二十世紀の誕生は、事実上、西欧の終焉が叫ばれた第一次世界大戦、1914年頃から始まった。そして第二次世界大戦とヒロシマと長崎の原爆投下、ナチスのアウシュビッツと、ソビエトに蝕んだ強制収容所を証言していく。ゴダールほどナィーブに、世界は再び人間精神と世界が和解できるか、と問うた映画作家はいなかった。たしかに悪夢としての二十世紀は1914年に始まったが、しかしいつその二十世紀は終わるのか、われわれは目覚めるのか、と。恐らく精神というのは、全体を少しづつしか知ることができないものなのだろう。高級文化であれ大衆文化であれ、精神は、無差別にどんな対象についても貪欲に語りたがることには驚きを禁じえないが、その中でも歴史は格別のものである。神話によって消費する、この欲求は、記録化の欲求とは別のものである。現在自分達がどんな時代に生きているか知りたいとする強い人間的な欲求を、精神は持つからだろう。
ニ十世紀に産声をあげた映画だが、この映画の人生についてゴダールが語るとき、彼は二十一世を仰ぎ見ることはない。彼の語りは映画生誕以前に向かって遠い過去の方に赴くことを好む。映画は自らを17世紀の普遍主義的全体の美に訴える古典主義の時代に位置づけることを要求しているかのように。このことから、映画の歴史は過去に向かって終わらない豊かさがあるということを示していると簡単に理解してはならない。二十世紀という繰り返してはならない終え方を告発するかの如く、映画の未来を糾弾しているのだ。アウシュビッツを撮らなかった映画はそれ自身失敗していたと彼は繰り返してきたからだ。ゴダール曰く、アウシュビッツを撮らなかった映画は、ユダヤ人を救えなかった。この歴史は、この芸術家にとって、決定的な崩壊として受け止められてきた。失われた世界を再生させること。映画の編集によって、可能世界である過去の世界に救いを送ることは可能だろうか?アウシュビッツを撮らなかった映画は、ユダヤ人を救えなかったことは確かで、このことは、この芸術家に、見ることの確実性に決定的な疑問を与え、見ること自体の倫理性をも問うことになった。これに関して、「シンドラのリスト」にユダヤ人が一斉に集められる場面がある。看守人が窓から部屋の中を覗う。煙が現れると、ガス?と観客は恐怖。が、シャワーの蒸気と分り安心。スピルバーグはこの映画術をリアリズムと自慢したのに対して、ゴダールは激しく非難した。1回の蒸気の映像と一緒に、他の99回のガスの映像をみせよとスピルバーグに要求した。ゴダールの作品「言葉の力」において強調されているように、ゴダールは常に映画を救済と結びつけて考える。例えば、グローバリゼーションのもとで、容赦なく加速化していく変換の諸体系に向かって、私達一人ひとりは、実存的に直面しているが、世界の創造者を自負するブルジョアジーが発明した携帯電話からは、救いとなる「水」が出ないと非難する。(東北震災のときは、「音」すら出なかった)。そこで、『ショア』のランズマンとゴダールとの論争が起きた。前者はユダヤ教的偶像禁止、後者はカトリック的映像マニアと揶揄されたりした。要するに、ガス室の記録フィルムが存在しない以上、証言に基づいて事件を再構成していく考え方、と、(利用可能な)映像で表現できるのだとする考え方の対立がランズマンとゴダールの間に起きたのであった。歴史の徴は至る所にあると主張した根拠は、ゴダールが編集に与える方法である。「スイス=イスラエル」と発言したゴダール。スイス(彼の母国)のアイデンティティー不足をつくために、敢えて行った問題提起だったが、こういう問題提起は、一つの解釈、一つの定義に依拠しない、ゴダールならではの映像の作り方と関係しているのだ。例えば、ゴダールの問題意識からは、方法としてのイスラエルは何処にも偏在するのだ。例えば、アメリカ映画は第一次大戦に乗じてフランス映画を、第二次大戦とテレビの誕生に乗じて全ヨーロッパの映画を破壊した、とゴダールは総括する。ここから、母国スイスの映画は、アイデンティティーを模索する「イスラエル」と辛辣に評したとき、このスイスにフランス映画と全ヨーロッパの映画を見ていたのだ。

特に、「映画は思考の形式」というゴダールの主張を凝縮した作品である「映画史」の中で、盲人との対話について書いたウィットゲンシュタインの言葉を引いたナレーションに出会い、及び彼の殆ど晩年の著作「不確実性について」を呈示したショットを観るとき、ゴダールが構築しようとする映画哲学の展望を理解するためには、ウィットゲンシュタインの言語哲学との関係を理解することの大事な意義は疑えいえないだろう。ある問題提起のもとに、一つの解釈、一つの定義に依拠しないやり方で、複数の映像で置き換えていく、ゴダールの編集は、ウィットゲンシュタインの言語ゲームから説明し得るものなのか、できないものなのか、できないとしたらなにが問題なのか検討していこう。
 さて言語の性質を分析する言語哲学が流行する五十年代になると、ウィットゲンシュタインが行った探求を芸術の領域に適用できるか、という論争が起きたが、この論争を簡単に整理することによって、ゴダールが示した言語に対する関心、つまり思考の形式としての映画が言葉の領域に限りなく接近していくという主張を理解できるであろう。
 「共通の名前は存在するか?」という哲学上の難問に対して、共通の名前を与えることを不可能としたウィトゲンシュタインの主張には、大変興味を引く有意義な証明を伴っている。この問いを考えることで、ウィトゲンシュタインは、この世に存在するありとあらゆるゲームを一つ残らず全部定義する試みは不可能なことだし、従って、それらに唯一つの共通の名を与えるということもできるはずがない、という結論を導く。「ゲーム」という言葉はそのような全部の定義でもないし、共通の名前でもないからである。
 だが、ここで次のような問いが提起される。さて定義でもなければ名前でもないとしたら、それでは皆が日常当たり前に使っている「ゲーム」という語には、果たしてどのような意味があるのか、またどのような機能を果たしていると考えるべきなのか。こうして、ウィットゲンシュタインは、「家族類似性」という大変有名な思考実験を導入することによって、この問題を見事に取り扱うことできると考えた。
 血縁関係にもとづく家族関係をみてみると、例えば、兄弟のうち一人の顔からは父親と同じ気質と同じ目の色と鼻の形の特徴を見つけることができる。また、別の一人は母親と同じ髪の毛をしているが目の色は違うかもしれない。そして三人目の顔の特徴からは、母親の笑みと祖父の目を確認することができる。こうして、ウィットゲンシュタインは、兄弟一人一人の顔の特徴から関連のある家族の全体像を示す唯一共通の特徴を見つけだすということはあり得ない、と考えた。つまり、家族のメンバーの間に互いに関連したものが存在する、ということしかいえない、と言う。
 この思考の結果、ウィットゲンシュタインは、このことが互いに重なり合いながら交差する類似性の網目の中で成立する認識だ、とする決定的な言明を引き出した。結局、問題となっていた「ゲーム」という語は、家族メンバーの特徴を比較した観察から類推できるように、すべてのゲームを定義する唯一共通の特徴を指示した言葉とはいえないし、またひとつの本質を指示した言葉だということもできないのである。
種々雑多のゲームをみるとき、そこには共通の本質が存在するということはなく、ただ比較の結果、重なり合って交差する類似性の網目が存在するだけである。ここに求めていた回答がある。つまり「ゲーム」という語が指し示すのは、重なり合って交差する類似性の網目のことなのだ。ウィットゲンシュタインは言う。

 たとえば、われわれが「ゲーム」と呼んでいる出来事を一度考察してみよ。盤上ゲーム、カード・ゲーム、球戯、競技、等々のことである。何がこれらすべてに共通なのか。-「なにかがそれらに共通でなくてはならない、さもなければそれらを『ゲーム』とは呼ばない」などといってはならない。-それらすべてになにかが共通であるかどうかを、見よ。-なぜなら、それらを注視すれば、すべてに共通なものなど見ないだろうが、それらの類似性、連関性を見、しかもひとつの系列全体を見るだろうからである。繰り返すが、考えるな、見よ!-たとえば、盤上ゲームをその多様な連関性ともども注視せよ。次いで、カード・ゲームヘ移れ。そこでは最初の一群との対応をたくさん見出すであろうが、共通の特徴がたくさん姿を消して、別の特徴が現れてくる。そこで球戯ヘ移っていけば、共通のものがたくさん残ってはいるが、しかしたくさんのものが失われていく。-これらすべてが「娯楽」なのか。チェスとミューレ(三目並べ)を比較せよ。また、そのどこにも、勝ち負けとか競技者間の競争とかがあるのか。ペイシェス(カルタの一人遊び)を考えてみよ。球戯には勝ち負けがあるが、子供がボールを壁に投げつけて受けとめるような場合には、この特徴が消え失せている。技量や運がどのような役割を果たしているかを見よ。すると、チェス競技における技量とテニス競技における技量とが、どれほど違っていることか。また(手をつないでおこなう)円陣ゲームを考えてみよ。そこには娯楽という要素があるが、しかしどれほど多くの特徴が消え失せていることか!このようにして、われわれはこの他にも実にたくさんのゲーム群を見てまわることができる。類似が姿を現すかと思えば、それが消え失せていくのを見るのである。すると、この考察の結果は、いまや次のようになる。われわれは、互いに重なったり、交差したりしている複雑な類似性の網目を見、大まかな類似やこまやかな類似を見ているのだ、と。       
(ウットゲンシュタイン「哲学探究」藤本隆志訳)

 ウィットゲンシュタインはすべてのゲームに共通した本質的な性質というものは発見できないと強調し、さらに別の箇所で、綱の強度は一本の繊維から説明するということは不可能だとしている。つまり、定義可能な唯一共通の特徴や本質は「一本の繊維」として喩えられ、そんな「一本の繊維」が存在するはずだと考えるのは、「普遍性」の幻想の中で生じた単なる思い込みなのだ、と主張する。このことがわからない人々に対しては、「見よ」とウィットゲンシュタインは呼びかけた。ただ、ここで誤解してはならない点は、定義が不可能だからといって、なにも「芸術」とか「視覚芸術」とかの言葉が、一切合切無意味になるということは起きず、そう呼ぶほかに方法が無いがゆえに便宜上必要となるという点である。この議論のメリットは、あたかもラベルを貼るように、芸術作品に定義を与えることに伴う危険性のことを考えてみれば明らかだろう。芸術を定義の枠組みの中に押し込める行為は、往々にして創造性の条件を閉め出してしまう。例えば、ジェイムス・ジョイス文学の様に不可測で実験性に富んだ拡張的な作品などは、特にこの対象となるといえる。芸術作品として共有すべき本質的な特徴を示そうとする厳密な定義には、かえってその全体としての開かれた創造性を損なう危険を伴うのである。
 こうして、「映画」という語を、ウィットゲンシュタインの思考実験に沿って「ゲーム」という語と置き換えてみることで、重なり合う交差する類似性のネットワークを指す言葉、として理解することが不可能ではないだろう。
たしかに、ゴダールは「映画」という語を「ゲーム」という語と同様、重なり合う交差する類似性のネットワークを指す言葉として理解できるとしても、ただし、存在論的なアプローチを欠いた、中立的な認識論だけでは、現在直面している実践的な問題を解決できないという危険性はないだろうか。すなわち、いかにして、ファシズムに対して主体的にたたかうことができるかという問題だ。具体的には、差別の問題がある。
英米哲学的な言語ゲームからは、差別を批判していく視点を有効に構成することができるかどうか頗る疑問だ。結局言語ゲームは、「ように」と考える二元論的拡張に過ぎないではないか。そうならば、言語ゲーム論の限界は、「外部」を暗黙に排除した前提を持っている。この点についてドゥルーズは言う。
「人種差別の観点には外部というものはなく、外部の人々は存在しない。自分たちのようでなければならぬ者たちだけが存在し、そうした者たちの罪はそもそも自分たちと違っていることなのだ。区別は内と外のあいだではなく、同時的な意味的連鎖と継起的な主体的選択の内側にある」。
ポストモダニズム的には、人種も性も階級も存在しない。70年代から90年代の時期、即ちポストモダニズムがまだモダニズム理論のオルターニィティヴとして機能していた時期、例えば「男性と女性という二項対立をズラす第三項」と求める考え方は、男性優位的権威主義に抵抗の理論的支柱を与えた。結局、現在のポストモダにストは、差異の戯れの彼方には、もはや「男性は女性と成り女性は男性と成る」ゲームしか存在しないと。しかし、ポストモダニズムがメインストリームの側に回収され始める九十年代からは、その抵抗としての第3項の考え方が、「左からも右からも等距離をとる」という体制迎合的なファシズム的言説に回収され始めていった。結局、差異の戯れというのは、差別の撤廃の後にしか現れないものなのではないだろうか。あえて再び同一性のアイデンティティーから出発する必要があるー現存する差別と取り組む為に。ここで、同一性を自己目的化せよと言っているわけではなく、むしろ同一的実体が権力的秩序になる前にそれを創造的に破壊しなければならないことは明らかだ。開かれた問いかけthe opened question、多種多様な小さな人間の声たち、相異なるアイデンティティーが交差する場所、即ち自然成長的に発展していくデモだけが、この私達を<他>に発展させてくれる力ではないだろうか。私達はリゾーム的普遍主義か?楽観的に八十年代にこれを「ネット社会」と思い込んだ者がいた。ソフトな繋がりに過剰に期待したのだ。彼等はハードな繋がり(例、ウォール街占拠運動)を伴わせる事の意義を見落とした。又孤立化、周縁化、特異点化において生じる排除に対する闘いを欠いては、「草」が出口に変容しないことも気がつかない。ドゥルーズは語る。

人目を引かずにいるというのは容易ならざることだ。アパートの管理人や隣人からも気づかれずにいる。みんなの「ように」するのがそれほどまでに困難だとしたら、それは生成変化の問題が絡んでいるからに他ならない。誰もがみんなのようになれるわけではないし、みんなを生成変化に変えることができるわけでもない。多くの苦行と節度と創造的逆行が必要だからである。たとえていうならイギリス風の優雅、イギリス風の織物。つまり壁の模様と混ざり合うこと、過剰に知覚されるものと過剰に知覚され得るものを除去すること。「廃物、死、余剰となるようなものは一つ残らず除去し」、不平不満、満たされない欲望、弁護や擁護など、個々人を(つまりみんなを)自分自身に、そのモル状態に深く繋ぎとめるものを、一つ残らず取り去ること。なぜなら、<みんな>がモル状の集合であるとしたら、みんなと同じになるということは、コスモスとその分子状成分を巻き込む全く異質な問題だからである。みんなと同じに<なる>ということは、世界の様相を呈し、一個の世界をつくることに他ならないのだ。除去を重ねたあげく、われわれは抽象的な一本の線、それ自体も抽象的なパズルの一片に過ぎなくなる。そして他の複数の線やパズルの断片と結び合い、そこにつらなっていくなら、やがて一個の世界をつくることができるばかりか、この世界がもとからあった世界を覆いつくしながら透明性を保つようにすることもできるのだ。動物の優雅さ、偽装する魚、智香潜行者、彼らの身体には、実に独創的で、みずからの有機的分割にさえしたがうことのない抽象的な線が縦横に走っている。だが、このように非有機化し、非文節化したとき、彼らは岩や砂や植物の線とともに世界の様相を呈し、知覚しえぬものと化す。(・・・)ありふれたものなり、<みんな>を生成変化に変えるなら、世界の様相を呈し、一個の世界、複数の世界をつくることになるというのは、こうした意味においてである。つまり近傍域を見出し、識別不可能性のゾーンを見出そうというのだ。抽象機械としてのコスモス、そしてこれを実現する具体的なアレンジメントとしての個々の世界。他あるいは複数の抽象線へと自分を切り詰めていき、ついには無媒介に、直接的に一つの世界を産み出すこと。そこでは世界そのものが生成変化を起こし、私たちは<みんな>になる。(・・・)ヴァージニア・ウルフは言う。「あらゆる原子を飽和させ」なければならない、そのためには除去しなければならない。あらゆる相似や類似を除去しながらも、「すべて注ぎ込む」必要がある。(・・・)そのときわれわれは、いわばひともとの草だ。つまり世界一般を、<みんな>を、一つの生成変化に作り変えることができたのは、必ずどこまに通じる世界をつくったからだし、事物の間に滑り込み、事物の只中にまで達することを防げるようなものを、われわれ自身から一つ残らずそぎおとしたからだ。不定冠詞、生成変化としての不定法、さらにわれわれを切り詰めたところにあらわれる固有名など、「すべて」を一つに組み合わせたからだ。飽和させ、除去し、すべてを注ぎ込むこと。
(ドゥルーズ=ガタリ、"千のプラトー"より、宇野+小沢+田中+豊崎+宮林+守中)


ここで言われているのは、多文化主義である。ゴダールの編集に通じる、この多文化主義は、他を尊重するラディカルズムのことであるが、単に、これを<他>を取り込むということとして理解してはならないだろう。自己の文化、更に同化した<他>の文化も次々に排除するためならば、法の強制を辞さないだろう。そうでなければ、寄せ集め的マルチゲットーの中で、結局特定のある文化だけが特権化してしまうからだ。こうして、あらゆるものは、他のあらゆるものと関連し、無限の仕方で産出される。映像と音と言葉がこのあらゆるもの。二人以上で共有されたあらゆるものは、作用と反作用、相互影響によって、共通なものをつくる。但しこれは永遠に共通で「ある」ということを意味しない。われわれは、絶えず共通なものを「つくる」のである。つまり、「共通のもの」は、普遍性であり交通である。小田は、デモには質的飛躍はなく、「すべて」を一つに組み合わせた徹底した単純な量の運動であるとした所以である。
「宇宙はわれわれひとりひとりのなかにある。」(オグララ・ラコタ族)。なぜなら、もし「宇宙」というものがシステムの内部のなかにしか存在しないものならば、つまり言い換えれば、「宇宙」が共同幻想でしかないとすれば、結局そこには普遍性も交通もなく、われわれひとりひとりは生存できなくなるからである。「共同幻想論」は陳腐で、さして独創的な理論ではない。それは既にエンゲルスによって考えられていたものだ。「ドイツ・イデオロギー」において、マルクスは普遍性と交通とみなしたものをエンゲルスは幻想領域と考えていた。国家の内部から国家に即して考えてきた言説だけが、安全神話という幻想領域へ向かって行くのである。ゴダールは映画を列車の車窓に喩えるのは交通に言及したいからだ。真に価値ある批評的なものは、絶えず共通なものをつくる普遍な交通だと発言してきた。ただし直面する問題は、まだ、映画が、この批評的なものであり得るのかという問題だ。けっして楽観的になれない。幻想領域に隠蔽され尽くす前に映画を避難させること、詩の領域へ?「映画史」の冒頭でゴダールは、ブレッソンの言葉を引く。「すべての視線を機能させよ。ただし全部を語ろうとはするな。未定義の余白を残しておけ」。つまり、「未定義の余白」とは、詩の領域を言っているかもしれない。もはや二次元の表現には限界があり、絶望的にわれわれは底に沈んでいくばかりだが、しかし言葉だけは信じられるということだろうか。詩の言葉。











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