3・11以降の思想の肖像(3b) われわれはどう映像を論じるのかーゴダール 






<フレーム>とゴダールが呼んだ建築術こそは、<物で書かれたもの>(フーコ)の編集に対応するだろう、<フレーム>と編集である。、ここから、方法としての映画が可能となる。ゴダール曰く、
"フレーミングはどれもみな生まれながらにして平等で自由である。映画はどれも、フレーミングの抑圧の物語にほかならない。君は、例えば、ベルイマンのフレームの除去においてであれ、フォードとロッセリーニにおけるフレームの不在においてであれ、エイゼンシュタインと共にフレームの現前において、フレームに関して常になにかを、その愛人達を、神々を、あるいはその飢えをなだめることが問題だということをみるだろう"(奥村訳)。
バベルの災厄と比肩できるほどの災害といっても過言ではない、トーキー映画が出現させた<語りの力>。これは、闇の領域にあった<物で書かれたもの>をクローズアップの光によって照らし出し迫害し、亡命に追いやっしまった。もはや、<物で書かれたもの>を、ハリウッド映画のショットに求めても、またマフィアの発明とゴダールが嘲弄する「シナリオ」の語に求めても無駄なことであろう。
もともとヌーヴェルバーグは、小さな声と瞬間の映像の力に事件性をみた。事件性からの映画は大歓迎、シナリオからの映画はもう不要と。ハリウッド映画のシナリオが齎した問題の解決を再びシナリオに依拠する事によっては不可能と見抜いた。レヴィナス的な意味での他者の顔だけがシナリオの全体主義を終わらせると考えた。
パレスチナ映画の帰還後、ゴダールは、ヨーロッパにて、思想的自立性を集約した方法としての映画、再び新しいヌーヴェルバーグに至る。<物で書かれたもの>は、言語の空間と宇宙の様々な場所や形象との交錯のうちにさがすことー詩とともに。なぜrなら、作家は人間が自由になる道​を探すべきだからではないのか。たとえ苦しくとも、たとえ傷つ​くとしても。ゴダールのナレーションといえば、腹話術師的である。文学的ナレーションに通じるが、ゴダールの場合は、その全知万能の視点も近傍域で旋回する神(God-Art) の視点だ。ソクラテスの様にべらべらと勝手に喋るのではなく、地球を調べに来たカウボーイ的探偵が小さな声でひそひそと内気に喋る。
ゴダールの場合、ソクラテスとプラトンの対話の如き映画の中での対話が途切れる事なく続くのは、親しいテニス仲間同士のラリーを喚起する。maïeutique(ギリシャ語、meɪˈjuːtɪks/と発音する)がキーワードで、質疑応答を通して人間の隠された心を明らかにする知的な方法だ。
市民社会的民主主義を、公共空間の権利を、われわれのものとしなければない事態が眼前にある。この公共空間は、<選ぶ>民主主義のではなく、一人ひとりが喋る民主主義である。公共空間としての映画の意義を、批評家時代のゴダールは常に意識した。その例として、ゴダールは、初期の観客がもっと自由に喋っていたと繰り返し言う。しかし、現在をみると、「立ち上がれない椅子と行き止まりの壁に沈黙と爆音、隷従装置」と化した映画館には感想を喋るカフェすらない。真っ暗の間は階級や人種の違いを忘れさせてくれるだけである。なにかこれは東京の閉塞した現実を反映していないだろうか。
さて、ポンピドゥーセンターでのゴダール展は、「失われた定理を探し求めて」と謳った。ピカソと共に二十世紀を代表する芸術家と称えられたゴダールというのは、シュールレアリズムの<後>に登場した。同時に十九世紀の<前>に位置したルソー主義とモラリストのアイデンティティーのもとに彷徨う定理なのか。ここでモラリストというのは、思想家で物を書く人、文学的な哲学者のこと。その人間探求の特色は、単に抽象的、概念的に羅列するのではなく、必ず其を一つの可及的に生きた具体的な像に再構成する事である。「雄弁は、思想の絵である。だから、描き終わった後で、なお加筆する人は、肖像画の代わりに、装飾画を作ることになる」(パスカル)。ゴダールは、思想の絵を描かなかった訳ではない。スイス訛りの「どもる」ナレーションが雄弁を拒んだとドゥルーズが言うほどには

映画とは唯一且つ多数の部屋の探求である。ゴダールは、映画を「開けるべきドア、開けるべき部屋がたくさん並んでいる廊下」と喩えている。そして、「それらのドアをまだ開け始めてはおらず、なんと多くのものを発見しなければならないことか」と、いう。鍵がかかっており決して誰も入って来れない自分だけの席が設けられた部屋の中で、捜していた唯一の映画を観ること。この様な部屋は心を表したメタファーであるが、果たして自分の部屋の中に存在する唯一の映画を一体なんと名づけたらいいのだろうか。名前を与えることができても、本当にその映画を指す名となっているか、またそのような名の映画は部屋の中に確かにあるのですか、と訊ねられたときには一体なにが起きるだろうか。果たして、本当に唯一の映画は部屋の中に存在するのだろうか。さらに、名前があるからといって、その映画は部屋の中に必ず存在しているとはいえないのでは、と考えたとき、元の場所へ戻らなければならない。再びドアを開け、部屋の中を覗くという始まりの場所へ。
ゴダールは自分の映画人生をひとつの廊下として喩えている。そして開けたどのドアの向こう側にも、どの部屋の中にも、捜し求めていたはずの他者の顔を確かに「見た」と言明することができない。ここで、他者の顔を、前述した「すべての映画を定義する唯一の映画」と置き換えてみると、厖大な数の映画の名前を書き記している作品「映画史」を創ることによって、そのような唯一の映画の徴をさがす映画人生の彷徨における自失茫然の孤独についてのゴダールの証言が明らかになってくる。
 実際、解決を見出せずに人生の旅を続ける人々は、ヌーベルバーグの作家達の関心を占めた中心的主題であった。2006年のポンピドーセンターにおける「ユートピアヘの(複数の)旅、JLG 1946-2006 失われた公理を求めて」と題された特別展示の観賞者達は、「説明不在の光に浸された記号の飽和」というような覚え書きのほかは決定的な手掛かりがない中、戸惑いのうちに部屋から部屋へと移動することによって、絶対の「公理」たる唯一の映画をさがそうとするゴダールの孤独と憑かれたオブセッションを追体験することになった、であろう。
 ゴダールは、逃げ去る女の痕跡の追求に誘われるプルーストのように、ひとつの廊下を行ったり来たりするとき、次から次へとドアを開けてはそこに自分の他者が本当に存在するかどうかを調べている。

「ユートピアヘの(複数の)旅、JLG 1946-2006 失われた公理を求めて」において注目すべきコンセプトは、それぞれの展示スペースに付けられた名前、当初の展示案のスペースのミニチュアの模型に釘で打ち付けられた本と、それらの壁に表示されたテクストの作者の呈示にあるのかもしれない。バタイユ、マルロー、アレント、レヴィナスらの名前のなかで、ユダヤ思想と非ユダヤ思想の双方からの影響を受けた「全体性と無限」等の著者であるレヴィナスの言葉は重要である。これらは、「モーツアルト・フォーエヴァー」や「われらの音楽」といった作品のナレーションに木霊していく倫理的な反響、を理解する為に手がかりを与える言葉だからである。
 ゴダールは「此方と彼方」や、「われらの音楽」といったパレスチナ問題をテーマとした映画を複数制作しているが、制作に関するインタビューでの発言や、作品のナレーションで強調していることは、一見互いに関連性のないと思われるものを近づけるという、モンタージュの美学的機能に伴う倫理的な側面に対する発見である。これはユートピアの発見と解釈される。第一章で述べた、俳優の顔を擁護したゴダールの五十年代の古典的デクパージュは、まさにレヴィナスが他者の「顔」に与えた意義によって強力な理論的な支柱を獲得したということができるのだ。レヴィナスの「無限と顔」という現象学的な考察には、全体性の論理に還元不可能な顔のもつ倫理性のことが見事に分析されている。

顔は拒否の現前、すなわち含まれたりすることを拒むというひとつの現前である。その意味において顔というのは、把握したり、包囲したりすることが不可能なものなのだ。顔は決して見られたり、触れられたりはしない・・・視覚上であれ触覚上であれ、私というアイデンティティーは対象としての他者を覆い隠してしまうからである。
(エマヌエル・レヴィナス「倫理と顔」中の「無限と顔」)


対話という平凡な事実は、ある経路を抜けて暴力の秩序からのがれる。このことが脅威中の脅威なのである。語るとは、他者を知ると同時に自らと他者を知らしめることである。・・・他者が知られるよりさきに対話者として座を占めているこの顔と顔とを向き合わせた関係を介してしか、対話の内容が語られることも伝達されることも不可能なのだ」(エマニュエル・レヴィナス「困難な自由」)


他者の顔から他者性(無限性)を消去してはならない、これがレヴィナスの定言命法である。この他者の顔 は他の文化を表すメタファーとなっているため、このレヴィナスの主張には、自分が帰属している文化の内部で他者の文化を一方的に消去すべきではない、という倫理的なメッセージを含んでいる。結局、ゴダールは古典的デクパージュの擁護と掲揚という批評家時代に掲げた問題意識から出発し、「映画の歴史」に至る半世紀にわたる創作の結果、全体性の論理の中で消すことのできない無限としての意義を持つ、他者の「顔」というレヴィナスの言葉に逢着した、といえる。
 ところで、ウィットゲンシュタインは壺の中に迷い込んでいる昆虫を逃がすために出口をもうけてやるのが哲学者である自分の真摯な使命である、と書いたが、同様にゴダールも、他者が部屋のドアを通過できるように小さな隙間をこしらえることを忘れない。これは、「唯一且つ多数の部屋の探求」と形容できる、終わりなき映画についての探求である。それにしても、ひとりでこのような滑稽な役割を演じながら、同時に言い表せない喪失の感情を告白するとしたら、これは茶番か、あるいは愚鈍な悲劇といえるだろう。しかし、ゴダールはこのような分裂した自分の役割について常に意識的であった。すなわち、この終わりなき探求に、映画に顕著な豊饒さ、つまり見る者を包容していく、比類なき豊饒さの源が存在するといえるのではないか。要するに、探求しようとするその対象に近づきながら、同時に還元できない距離を保つという、不可解かつ無愛想な分裂こそが、ゴダールによる哲学の映画なのである。
 
 
 「一昨日」、「昨日」、「今日」と名づけられた三つの部屋。それぞれの部屋は映像と記号と言葉と本から構成されており、映像も、記号も、言葉も、本の配置も、それ自身堅固な秩序を構成しているにもかかわらず、これらが全体として形づくる観念というものが夢のなかのように曖昧で、内側からひび割れた心臓のように裂かれて歪んでしまっているという印象を持つ。まるで自分の映画を構成する際の様に、時間を内側から砕き、境界の定かでない複数の流れを構成しているようだ。ゴダールの好む言い方を用いるならば、「時間を書いている」と表現したほうが展示の性格をよく説明しているのかもしれない。
 「一昨日」の部屋からも、「今日」の部屋からも入場することが可能だが、部屋から部屋へと移動していくと、やがて一体この展示はどこから始まっているのかという疑問が生じる。あたかも暗闇の中を、曲面に沿って移動するかのように、時々立ち止まっては歩き続けているかのような錯覚に陥る。眠っている夢のなかで、自分の位置と高さを認識しないまま、昇ったり降りたりするといった頼りない按配で、結局行ったり来たりするこの探求には、約束された収穫が得られるとは到底期待できない。それどころかいつまでも徴と徴の間を迂回しているようであり、喩えていうならば、ハムレットのように絶えず遅れてしまっているという苦々しいプレッシャーさえ感じてしまう。さらにいうと、リア王の様に夢の中の荒野を彷徨いながら、現在進もうとしている自分の視野の他にあてになる確固たるものはなく、なんとか早く目覚めてはっきりとした最短距離の直線を見つけだしたいという強い欲望に駆られるのである。
 そして、この展示はいったい完成した作品なのか、と不在の作者に向かって問いを発するとき、不確定な非帰属性たる探求のプロセスを表現した、映画の部屋の探求という形容がまさしくふさわしい、迷宮の展示であるということに気づくのである。
 ところで、「説明不在」とは意味の不在のことではないだろう。展示の手法の混乱に直面して、始めは当惑を覚える鑑賞者は、徐々にそれらの記号を解き明かそうと試みる。比較したり、各々の詩心を自由にしたり、手厳しいアイロニーを込めたゴダールのユーモアに触れたりしながら、偶然にも作品の意味を発見するかもしれない。案内のパンフレットの言葉が語るように、それもすべて鑑賞者自身に委ねられた課題なのだろう。
 例えば、展示の入り口にある二本のオリーヴの木は、ギリシャを象徴する記号、つまり「軽蔑(1963)」の中で語られる悲劇と「オデッセイア」の母親的象徴でもあれば、また、「こちらとあちら(1974)」の製作の源泉となったパレスチナの土地を表した記号と読むことも可能である。こうして、その解読は鑑賞者自身の手に委ねられる。
 この展示に訪れた鑑賞者の中には、いわば「旅」へ出発する前から、その意図的に未完成な状態に投げ出されたかの有様に面食らってしまう者も沢山いるだろう。それはまるで制作時間が不足していたか、あるいは、展示開始の前日に完成を断念してしまった会場であるかのように、いまだ制作の真っ直中にみえる。壁に記されたテクストの周辺に残る鉛筆の下書きはそのままで、乱雑なマーカーの跡などもみえる。修正する時間がなかったかのように仮のメモが残されたままだ。ふさがれないままの穴も、塗りかけ途中のペンキも、そしてなにも映されてずに放り出されたスクリーンもそのままにされているのは、一体どうしたことだろうか。簡易ベッドの下にはざっと掃かれたゴミが集められ、まるでさっさと立ち去るために作業途中の物や作業机やほうきを置き去りにしたかのようである。
 ゴダールは、当初「JLGによる、映画の考古学としてのフランスのコラージュ」と題した展示の構想をもっていたが、×印で消された展示の入り口の壁に貼られた案内が説明するように、技術上、芸術上、かつ予算上の困難により、2006年の6月に断念してしまう。こうして、「一昨日」と題するこの展示の最初の部屋は、日の目をみることのなかった展示に捧げられることになり、作者が意図していた九つの展示スペースのうちの幾つかがミニチュアの模型として、この部屋の中央に置かれることになった。ミニチュアの展示スペースの模型に釘で打ちつけられた本、とそれらの壁に表示された本からのテクストの引用(バタイユ、アンドレ・マルロー、ハンナ・アレント、エマニュエル・レヴィナス)。そして、その中に置かれた絵画の複製、とオブジェの集合体にも注意を払わなくてはならない。ひとつのスペースでは、ペルシャ絨毯の上に置かれた映写機がチャーリー・チャップリンの処女作を映し出し、その外壁にはマルローの短いテクストが示されている。これらもすべて鑑賞者の解釈に委ねらた記号なのであり(ミニチュアのスペースの床に散らばっているために、鑑賞者が自ら拾い上げなくてはならない、ベルグソンの言葉のように)、とてつもないパズルと比較できよう。建設現場とおぼしきスペースの壁には、「市民ケーン」の有名な「侵入禁止」のサインが見える。
 案内の解説によれば、これらのミニチュアには、当初の企画であった「フランスのコラージュ」の展示を構成した要素を取り除くことなく保存しているという。実際の展示の入り口付近に置かれた、国立近代美術館所蔵の三つのオリジナル絵画のミニチュアが(「バビロン」Baby Loneと題された)堆積物の上に配置されている。そして、置きっぱなしのベッドの上に置かれた小型のスクリーンが引用する絵画は、ゴダールが繰り返し映画の中で扱ったゴヤの作品である。ここでは、1987年作品「キング・リア」からの抜粋も確認できる。さらに、「私はいまだ学んでいる」と題された作品では、二本の杖をついてアプレンド大尉といっしょに歩く老人の姿が描かれている。そこからは、スペイン人のパコ・イバネスによる「ひっくり返った世界」の歌声などが聞こえてくる。
 「フランスのコラージュ」の構成要素が提示された壁の反対側には、七つのスクリーンが設置されている。案内によるとゴダールが今回の展示に際して特別に選んだ作品が途切れなく上映されているという。その中で最も長いのが「真偽の旅券」であり、これは機関車のミニチュアの背後の最大スクリーンで上映される。そばに置かれた肘掛け椅子はおおいな安堵なのだろうか。おそらくこの機関車は、1985年12月にカプシネ通りにあるカフェで映画が最初に上映された際に、驚いた観客が飛んで避けたといわれる、伝説となったラシオタ駅に到着した、あの機関車を暗示しているのだろう。これは映画そのものを表した象徴である。素晴らしい「電気仕掛けのミニチュア機関車」である。それは、事物と事物の間を通過していくという、ゴダールが定義するところの現れとしての映画の本質を表しており、「一昨日」と「昨日」という二つの部屋を結びつけるものである。
「フランスのコラージュ」へと誘う記憶の散策は「昨日」と題したこの部屋においてもまだ続いている。「一昨日」と「昨日」の二つの部屋を隔てる壁には九つの小型スクリーンが並べられて、ゴダールとアンナ・ミエヴィユとによる作品から抜粋されたイメージが映し出され、その下に示された表題には「フランスのコラージュ」として企画された部屋からそのまま取り込まれたサブタイトルが繰り返される。それらのイメージと、「寓話」、「モンタージュ」、「夢想」といったサブタイトルの概念との関連は、一見明白のようにみえるが、把握しようとするとなかなか厄介な代物である。この部屋の他のスクリーンを見ると、ゴダール達に最も人気があった映画作品からなるシネマテークが構成されているのが分かる。ヌーヴェル・ヴァーグの精神的な父である監督達、フリッツ・ラング、ロッセリーニ、ジャン・ルノアール、サッシャ・ギトリ、ロベルト・ブレッソン、そして兄貴であり仲間であったジャック・ベッケルとジャン・ピエール・メルヴィルらの作品。さらに、「ジョニー・ギター」といった自らの作品において際限なく引用された映画作品の数々が映し出されている。「昨日」と題したこの部屋は、途方もなく豊かな映画の世界が存在している、という印象を与える。
 しかし、「今日」と題した部屋に足を踏み入れたとたんに、この部屋と「昨日」の部屋との間をつなぐトンネルを掘り出すことは不可能なのだ、とを理解してしまう。部屋の中央はテレビの画面が占めている。「新・法の錠剤」とTFIとユーロ・スポーツを流し続ける二つのモニター。「希望なきセレナード」を唄っているリナ・ケティ。この最後の部屋は、ベッドルーム、キッチン、書斎とリヴィングルームとから成るアパートの分解図である。不必要なまでにサイズが肥大化したスクリーンが至る所に配置され、ポルノの映像がキッチンテーブルまでに侵入し、椅子は欲望のはけ口となる。そして、セクシユアリティーは格闘技のリングの光景と化し、私達が戦争の暴力の上に休み続けていることを示唆すると同時に、小型スクリ-ンはおぞましくも夢を紡ぐ枕とさえ化す。フロイドのソファがすぐ横に置かれているのは酔狂だ。そして世紀の宣言、例えば、「二度と許さない」、「ストックホルム抗議」、「明るい未来を」等のスローガンは計量器にのせられた上軽くあしらわれる。
 「テレビがレオン・ゴーモンの夢を実現したのだとしたら、それらはいったい何だったんだろう。世界中の見世物を最も惨めな寝室に押し込めたあげく、羊飼いが見渡した大空を親指の大きさに縮小してしまうこと」と、ゴダールは「映画史」の中で述べている。「今日」の部屋の中央に放置された不完全な建築現場の足場は、これ以上のものを創り出すことはもはや不可能である、という意識を伝えているのだろうか。
 最後に、巨大なパズルや十字を並べたパネルが謎を残す。訪れた多くの鑑賞者には、辛い尋問を強いるかのような、挑発的ともいえる無用な電気プラグの展示は、未完の状態を告げているかのようである。まるでゴーダルが最後の仕上げを施すことを拒んだかのごとく。
 「今日」の部屋のマティスの複製と、「現実の継ぎなき外套」と映画を形容したバザンの言葉の引用は、屋外からも窓を覗いて見て事ができる。どんな障壁も克服不可能ということはない、とする再生への希望を作品展示に託した、ゴダールの意思を読み取るべきなのか。さらなる探求が始まる。我考える、ゆえに我存在する。我見る、ゆえに我存在する・・・。

展示に至るポンピドゥセンターとゴダールの間には、ぎくしゃくした対立した関係があったといわれている。結局非常に例外的なことではあったが、ポンピドゥセンターはゴダールの展示の買い取りを拒んだ。おそらく国家による文化統制を、ゴダールの側から反発したという証言がある。ゴダールの中では、ドゴール主義時代に遡るシネマテックでのたたかいは続いていたのだろうか?厄介払いされたとはいえ、そのことこそが、ゴダールがアドルノ的抵抗を貫いたことを証明するのかもしれない。
「ユートピアの旅」と銘打たれていても、「明日」に続く「今日」の部屋からは、救済の未来などは一切見えてこない。なにか、屈辱をもたらすバラィティー番組での右翼政治家たちの楽観的なお喋りのなかに、われわれは取り囲まれたという思いなのである。こうして、ゴダールは、ポンピドゥセンターを、国家とネオリベのグローバリズムの結託から成る直線的領域を体現した、現代のバベルの塔として表した、と私は考える。それに対して、ゴダールの展示は、空間を占拠しに来たエクリチュール的デモの様相を呈していた。映画としてのアルファベットは一体何か?それは何をしたいのか? 何を望むのか?確かにヘーゲルは最良の文字、精神の文字と言っている。その理由は?
映画としてのアルファベットはいったい、なにができるのか? まだわからない。まだ、なにもだ。映画としてのアルファベットは、なにを望んでいるのか?わからない。すべてかもしれない。それなら、ヘーゲルは最良の文字、精神の文字と言っている理由はなにか?「グラマトロジ」のデリダは言う。「声の前でもそのアルファベット文字の消失、その中において音声的な<意味するもの>の理念的内面性を尊重しているところのもの、それに空間と視力とを昇華させてしまうすべてのもの、こういったものすべてが、それを歴史の文字となすのであって、つまり、自身の言説と文化の中で、自己自身にかかわっている無限の精神の文字となすのである」と。しかしそれなら何故、文字はより奴隷的、より軽蔑すべきであり、より二次的でもあると主張するのか?なぜなら文字は、「生命」を裏切るからである。即ち同時に息と精神を脅かし、精神の<自己への関係>を脅かすといのである。エクリチュールにおいては、文字の繰り返しや注釈の中で不毛化したり不動化したりすることが起きる。それに対して、ポンピドゥセンターでの展示に結実した空間としての映画の方法こそに、ゴダールは、空間と視力とを昇華させてしまう権力を拒む、エクリチュールの再生を託したかったのではないだろうか。前に述べたように、ローザンヌは、八十年代以降ゴダール映画の方向を決めた場所である。「方法としてのスイス」のことを考えさ­せてくれる。チューリッヒからローザンヌへと通過する列車は国境を越えないのに、出発のとき中心を占めた言葉が連続的に、そのうち他の言葉に置き換えられていく場所である。「境界」が取り払われているレマン湖を眺めながら、ゴダールにおける言葉の役割を考えると、此方の言葉と彼岸の言葉、たしかに音から音へ連続的に転位していくが、痕跡の如く変化せずに留まるものも存在する。それは他ならないこのレマン湖の映像だろう。抵抗をなすエクリチュール、決して囲まれない思考の形式といえないだろうか。
二十世紀末に、自らがナレーションを努め、或いは登場する映画において、ゴダールは、自らの心境や主張を詩に託した。マックケーブは詩人としてのゴダールの意義を強調する。歴史の末期に重要な詩が多く残されたことと軌を一にする現象で、詩をつくるということが本来、単に感性的対象を語る行為ではなく、自らの世直しの覚悟(「及び腰で逆らう」とて)や、ある時代の繰り返してはいけない終え方を告発する倫理的行為であることを反映するものであろう。思想が自身を書く行為はここに至るー言論の活動だ。カント。超感性的なものと感性的なものが出会うモンタージュからしか、抵抗という人間の条件が始まらないのだろう。









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