子安宣邦氏の公開講座「歎異抄の近代」・第3回(昭和思想史研究会主宰)の感想文

「吾人の世に在るや、必ず一つの完全なる立脚地なかるべからず。若し之なくして、世に処し、事を為さむとするは、恰も浮雲の上に立ちて技芸を演ぜんとするものの如く、其の転覆を免るる事態あたはざること言を待たざるなり、然らば吾人は如何にして処世の立脚地を獲得すべきや。蓋し絶対無限によるの外ある能はざるべし。・・・吾人は只だ此の如き無限者に接せざれば、此世に於ける完全なる立脚地ある能はざることを云ふのみ。而して此の如き立脚地を得た、発達する条路、これを名づけて精神主義といふ。」 清沢満之「精神主義」、子安宣邦「歎異抄の近代」配布レジュメから。 
「精神主義」は明治34年の日本社会、即ち日清戦争、やがて日露戦争が始まろうとする明治戦間期の社会に反響を呼び起こした。日露戦争と太平洋戦争を比較した子安氏によると、「二つ目の戦前の軍国主義とは<全体主義>であることだ。そこでは己の精神に自由の<立脚地>を求めることも許されない」。ちなみに、「吾人は只だ此の如き無限者に接せざれば、此世に於ける完全なる立脚地ある能はざる」の中の「無限者」とは、阿弥陀のことをいう。
清沢満之の最晩年、明治36年に綴った言葉から。「血をはいた 病の床にほととぎす」。「如来の奴隷となれ、其の他のものの奴隷となること勿れ」。「信念を発得せば、苦悩を脱却し得べき也。脱却し得べしと云ふも、得べからざると云うも、言語に過ぎず。実際は、汝自身ら之を実験すざるべからず」。
子安氏の解説よると、「如来の奴隷となれ、其の他のものの奴隷となること勿れ」という言葉は存在論的な命法といったものではない。そこには、「親鸞におきては、ただ念仏して弥陀にたすけまいらすべしと、よきひとの仰せをかふむりて、信ずるほかに、別の子細なきなり」(「歎異抄」)と同様の、他のすべてを捨てて、ただそれだけへの<信>という不条理ともいいうる絶対他力の決断があるという。
ここで、清沢の真宗大学経営の挫折について一言すると、かれは教員資格制度の導入に反対した。国家の管理である教員資格制度に従うことを拒んだのではないか。子安氏によると、清沢には国家を超えた普遍主義の理想があったという。その後清沢はアジールであった宗門から除名処分(僧籍剥奪か?)を受けてしまったのである。
さらに子安氏は、清沢が「ろう扇記」のなかで、エピクテタスの「語録」の要旨を摘記していることに注目する。以下引用。「如意なるものと不如意なるものがある。如意なるものは意見、動作及び欣厭なり。不如意なるものは、身体、財産、名誉及び官爵なり。己の所作に属するものと否らざるものなり。如意なるものなるものに対しては、吾人は自由なり。制限及び妨害を受くることなきなり。不如意なるものに対しては、吾人は微弱なり、奴隷なり。他の掌中にあるなり。此区分を誤記するときは、吾人は妨害に遭い、悲嘆号泣に陥り、神人を怨謗するに至るなり。如意の区分を守るものは、抑圧せられることもなく、妨害を受くることなく、人を謗らず、点を怨みず、人に傷けられず、人を傷けず、天下に怨敵なきなり」。清沢はこの「エピクテタス語録」から「精神主義」的立ち上がりへの決定的な支えともなる思想を聞き取ったと子安氏は解説するのである。そこから導かれる結論は、<「精神主義」を私は、我々に於ける国家的被拘束性からの最初の思想的離脱と考えているからである>。
現在我々は清沢満之の声を聞かなければならない。「日本を取り返せ」と安部は訴え続けるが、一体それがいつの日本なのかが問われるべきだ。インチキな近代主義者の夢、東京オリンピック以降、先進国を意識し始めた1970年代か?否。ホンモノの日本人がいた軍国主義の前夜に戻れというのである。名誉とか財産は自分ではどうにもならないもの、だからこれらに無責任で構わない。現在進行中の選ぶ民主主義の下で、安部の演説をききながら、名誉と財産の如く自分では背負いきれない国家に負い目を感じなければならない。喋る民主主義を伴なわなければ、我々は益々自分を知らない破片と化すだけだ

子安宣邦氏の講座「歎異抄の近代」は、毎月第二週午後一時に、早稲田大学(大抵14号館)の小教室にて行われます。誰でも自由に参加できます。無料ですが、ただしプリント代に500円ぐらい必要です










この記事へのトラックバック