子安宣邦氏;「日本思想史」の成立とイスラム世界ー和辻哲郎と大川周明ー(「日本近代思想批判」)の感想文



子安宣邦氏;「日本思想史」の成立とイスラム世界ー和辻哲郎と大川周明ー<「日本近代思想批判、ー国知の成立」(岩波現代文庫、2003年)より>の感想文

帝国主義と旅行者の視線、この両者はオリエンタリズム形成の条件だった。例えば、19世紀末帝国アカデミの画家は旅した仏領の風景を描いたのであった。30年代に西欧の視線の客体から主体へと転位したと思い込んだ日本のアジアに対する視線は、留学先の独逸に向かう一人の旅行者の視線に折り重ることになった。和辻哲郎である。
他方、偶然に、ある回心は神田古本街の散歩のとき起きた。かれは、「三酔人経綸問答」(中江兆民)の豪傑先生的アジア浪人・中国浪人の如く外の変革を通して内の変革を夢見たのか、又は反西洋の対抗の中で日本を復興亜細亜の戦士の盟主にする構想を抱いたのか?両方がこの散歩者の欲望をとらえた。大川周明である。

子安氏はいう。「青年期における知的環境を共にしながら、そして帝国主義的国家の伸張と挫折という昭和期日本を背景にしながら、一方は帝国日本の知的指導者の有力な一人としてアカデミズムにおける経歴を順調に経ながら、風土論的な、あるいは文化類型論的な視界を介して日本の倫理思想の理念史的叙述に向かっていく。他方は一つの回心を経由して西欧帝国主義支配下のアジアの復興の課題と連携しながら、日本の国家改造を主張し、その内的動力としての「日本精神」の歴史的な再構成を企てていく。一方は「日本倫理思想史」の和辻であり、他方は「日本精神研究」の大川である。」と。

さて、例外なく、哲学概念は、国家との関係に於いてその機能を測らないと、私小説的語りに陥いる。本質主義も然り。旅行者和辻哲郎の視線も、散歩者大川の回教的回心も、国家との関係において、前者の本質主義は国策的オリエンタリズム、後者の本質主義は反西欧の対抗的イデオロギーとして機能したのである。

ここで、和辻と大川を分析した批評が収められている「日本近代思想批判、一国知」(岩波現代文庫)のタイトルは元々、「近代知のアルケオロジー」(岩波書店)だったということは覚えておいてもよい。副題は、「国家と戦争と知識人」である。知のアルケオロジー、即ち、考古学的探求からは、一見対立する両方の考え方が互いに類似しているだけでなく互いに相手の側に自己の足場があるということが明らかにされていく。例えば「西欧」の旅行者和辻は、「旅行」によって外部で新しい見聞を得たわけではなかった。寧ろ既に所有していたオリエンタリズム的知識をアジアに人類学的神話的に適用しただけだった。それに対して、大川の方は、植民地主義の現実を描いた「新印度」との出会いによって、和辻が依ったオリエンタリズムをリアルに批判したのである。

こうして明らかなように、和辻と大川は互いにオリエンタリズムに対して正反対の態度をとったけれども、強い国家をつくれとする共同の幻想が両者に働いた。その結果、ここで子安氏の言葉を引用すると氏が鋭く指摘するように、和辻による日本の「国民的」への自己遡及的な言及も大川による「日本精神」史の自己宣伝的な叙述も、かれらそれぞれの反西洋的立場にかかわりながら、昭和期日本に成立してくる言説なのである。

最初に、大川からみてみる。「既に韓国を併合し、中国に二十一箇条の要求をつきつけ、朝鮮の独立運動や中国の反日運動を呼び起こしている帝国主義的国家日本の知的指導層の一員として大川が、従属的アジアの悲惨から立ち上がる人々と一体化して、自らを「復興亜細亜」の戦士と名乗ることはどのようにして可能なのか」と子安氏は問う。つまり、大川は民衆史を語るときは、散歩者の読書のときのリアルな立場を失い、和辻的に神話主義的に考え始めてしまうのである。つまり和辻はアジアの人々を西欧の視線の客体の側に置いたように、民衆史の大川はアジアの人々を情報の客体として語り始めることに躊躇しないのである。

次に和辻をみよう。旅行者の、自分に都合よくしか対象を語らない視線について、もっとはっきり言うと、このような視線は、対象を丸い円で囲った上で対象の内部から内部に即して自己自身を語った視線に他ならない。そうであるからこそ、旅行者の視線は、外部からの正当化を欠いては成り立たないものなのであろう。これこそが、居直った正当性の論理と子安氏が呼ぶものではないか。子安氏はいう。「高度の文化認識者である旅行者和辻は、アラビア半島の「乾燥」という自然的な特質が、「服従的、戦闘的の二重の性格」をもった<砂漠的人間>」を作り出すという。(…)和辻の上の論は論理的な詐術によって、外部的他者である旅行者による自己に異質な他者理解の正当性を導こうとしている。だが他者性に居直ったこの旅行者である認識者による他者理解とは、自己との異質性において他者を見出すことでしかない」。そうして子安氏は、その他者理解が「本質的理解」であるという他者性に居直ったこの認識者の傲慢を指弾する。
結局、和辻達において、大川的に、ヨーロッパ的普遍性が地域的特殊性に押し戻しされていく。と同時に、これと全く逆の方向の運動が生じる。、倫理学の対象が「日本の国民的性格」という一般化が措定され昭和という歴史の特殊条件が消去されてしまうのである。あるときは、普遍性が特殊性に縮約され、またあるときは特殊性から一般性が回復される。これらは、強い国家に迎合する居直った正当性の論理というものからしか説明できないだろう。

最後に、思想に於ける他者としてのアジアの介入が、「日本思想史」の課題にあった。とくに子安氏は和辻論理学の意義を明らかにする上で、いつものように内部のなかに絡み取られないようにと、あえて外部から別のもの、即ち大川を方法的に導入したと思う。和辻もそして大川も失敗したのは、この両者とも、方法としてのアジアを、実体化してしまったことにあるだろう。結局抵抗としての精神の歴史を失ったのである。けれども、和辻は失敗者とはいえ、彼が考えた日本的近代とそれを乗り越えていく(「もうひとつの近代の超克」)の課題がそのまま無効となったわけではないだろう。現在、われわれは彼の問題に直面している。ヨーロッパの市民社会とは別の日本的近代があることを認め、これを乗り越えていくこと。これはもはや日本人だけでは不可能で、どれだけ東アジアの人々とともに考え行動することが問われてきたのではないだろうか。安倍自民党による「強い国家」の幻想は、この課題から逃げているのではないだろうか? 以上。




その他


「日本近代思想批判、一国知」(岩波現代文庫、2003)は元々は、「近代知のアルケオロジー、-国家と戦争と知識人」(岩波書店1996)だった。子安氏はこの本とタイトル(「近代知のアルケオロジー」)が好きだったけれども、全然売れなかった。が、岩波の編集者にしたがって、文庫本のタイトルを「日本近代思想批判」に変えたらたちまち売れ始めたという話を喋っておられた。現在は編集者が本のタイトルを決めるということになっているらしい。柳田国男批判は、この、「近代知のアルケオロジー」に収められている。有難いことに、ネットのおかげで、青森とか高知とかに生活している意識的な書き手が発する情報を享受できる。「ひとつの日本」に回収されない、色々な「いくつもの日本」を垣間見るのだ。この「「いくつもの日本」は子安氏のキーワードでもある。子安氏的「「いくつもの日本」は、赤坂憲雄による柳田的「ひとつの日本」批判の課題をもつ。即ち、思想における他者としての介入を、破れ傘的空間を中心として、表現した考え方。赤坂氏も東北をベースに、「ひとつの日本」に回収されない多様性を掘り起こしているという。ところで、固有性の内部性を拒む、全体に回収されぬ余剰を散在させる、徳川日本という言い方も、「いくつもの日本」による介入を為す。昭和日本、明治日本、徳川日本という切り口で語ると、同じものが色々に違った見方で見えてくるーセザンヌとかピカソが描いた絵みたいな...
子安氏は柳田国夫を点検した結果、<内><一><固有性>という三重の致命的誤謬を犯していた。;彼は「旅人」ではない>内なる観察者>新しい「お国学」>平民の日常への視線>「国民」を主題とする学>「国語」の将来>方言の視線>一国言語学の成功>民族の内なる心意>「固有信仰」という語り

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