原初のテクストを映画に与えることー ゴダールの芸術至上主義について問う

原初のテクストを映画に与えることー ゴダールの芸術至上主義について

「子の曰く、吾、衛より魯に反(かえ)りて、然して後、楽正しく、雅頌各得(がしょうおのおの)其の所を得たり」(「論語」)。嘗て定位した共同儀礼のホームレスとなった詩と’音楽が意味を喪失した後世に、詩とは何か、音楽は何かが問われたと子安氏は指摘した。孔子だけではなく、詩と音楽の言葉への帰還を語った文と私は解した。さて、まさにこのようにして、映画とは何かと問い続けてきたのは、ゴダールだった。彼のかの有名なテーゼにしたがうと、映画は五十年代後半に消滅していた。これはいわゆる表現上のフロンティアの消滅を言及した言葉と理解されるが、同時に、そこで、映画のアイデンティティーが五十年代後半には消滅したことを言おうとしたのではないか。ここで映画史へ。リュミエール兄弟の発明した映画は百歳を迎える前に、テレビを前に、人々によって決定的に忘却されてしてしまったのである。戦後の映画の歴史とは、バラバラにホームレスとなった映像と音とが意味を喪失して行った、孤独の歴史に他ならなかった。だからこそ、八十年代からの「故郷への帰還」というゴダールの問題意識が成り立ったともいえよう。このことは大事だ。つまり映画が依拠した映像と音の、言葉への帰還を探究が可能となったからである。ちなみに、「映画史」発表の90年代以降、渡辺一民氏のようにそれまでゴダールを熱心に支持してきた人々が一斉に、ゴダールを芸術至上主義への傾斜と非難しはじめた。この芸術のための芸術、即ち、芸術至上主義とは一体なにか?私は改めて問う。私は、ゴダールとの対談の中でデュラスが語ったことに注目する。デュラスは、失敗した植民者家族の娘として過ごしたベトナム時代に、(映画館にて)貧富の差が暗闇によって消された安堵感のことを証言している。つまり、そこで、映画は政治よりもっと曖昧なそんな共同儀礼という側面をもつことを証言したのではなかったか。全体主義批判を行ったアンナ・ハーレントならば、デュラスが映画に見出したものー政治よりももっと曖昧な領域に存在したーを、階級なき社会における「芸術のための芸術」と呼んだかもしれない。最後に強調しておきたい点は、ゴダールは映画におけるシュールレアリズムの継承であったということである。これを理解するためには、テレビだけでなく、映画を解体していったのは、映画自身であったことを知らなければならない。つまり彼が複雑な関係をとり続けたハリウッド映画のことだ。総括してみると、結局、ゴダールをはじめとしたヌーヴェルバーグの芸術至上主義は、再び自らを解体した映画の構造に依拠することは根本的に不可能だった。そうして死んだ映画を相続したのは、言葉であった。言葉が受け取ったものはなにか?分からない。ただ、ふたたび語ること、ファシズムに対峙する、われわれの動揺する暗闇の中から思考としての映画の形式を煌めくことが始まろうとしているのではないか

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