90年代以降日本ポストモダニズムは, 脱構築ではなく、ノンポリ的右翼の脱抵抗 ?




90年代以降日本ポストモダニズムは<脱構築>ではなく、<脱抵抗> ?

デリダの脱構築論は、<抵抗>に定位した思想だからこそ、マィノリティーに向かってHello!と常に言うのです。これについて思い出すのですが、このデリダのジョイス論を読んだアイリッシュは、他者にHelloと言うデリダの精神を実践。不愛想な彼らが、日本から来た純粋な異教徒と呼ばれることもあった外国人の私に、Hello!と必死に声をかけてくれたものです。デリダは自分の本に、Bloomー in ーtheー telephoneと書いたのは、自他にたいして、存在論的に開かれているかどうかを問う哲学だったからでしょう。(ちなみにこのブルームはユダヤ人の名と関係があります。) 一方、90年代以降日本ポストモダニズムは、迎合的なノンポリ的右翼よろしく、<脱抵抗>を郵便的に書き綴っただけのもの。例えば、出発からデリダに依拠していたはずの東氏などは、愚かにも、大日本帝国憲法の切手が貼った憲法改正案すら拵えます。ここから少数者を拷問していく同化主義の危険性すら...

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